第4章 弓の名手 ③

「この町にはね、悪い領主がいて、町民達はその悪政に苦しめられているのよ」


 そう切り出したオリバー自身の方こそが、セフィルには悪人に思えた。


 どこへ連れて行かれたものか、サマードとマルスを人質に取られていた。かく言うセフィルも逃げ出さないようにしっかり椅子にくくりつけられている。

 オリバーは余程、先程のことを根に持っているらしい。


「あたし達はその領主を倒し、民を解放ようとしているわけ」

「…旅の薬屋が、何で?」


 セフィルの上げ足取りにオリバーは一瞬言葉に詰まって、しかし回転よく返事をする。


「それは世間をはばかる仮の姿。本当は愛の義賊、オリバー党ってわけよ」

「嘘くさいなぁ」

「それはともかく」


 バンッと再度のテーブルを叩き、つかつかとセフィルに歩み寄るオリバー。セフィルを見下ろし、にっこり笑みを作る。既に厚化粧は直していた。


「やってくれるんでしょうね」

「いやだね」


 一言で返す。


「あらまあ、きっぱり言ってくれちゃって。でもいいのかしら、奥の部屋で眠っているお友達」


 きつい目で睨んでくるセフィルを、オリバーは面白そうに見やる。


「その怒った目、好きよ。何かぞくぞくするわ」


 言いながらオリバーはセフィルの顎を捕らえ、上を向かせる。薄暗い部屋に灯るローソクの明かりに揺れ動く影。それにちらりと目をやって、オリバーは冷たく笑う。


「聞いてもらうわよ。そして、失敗は許さない」


 セフィルは睨み返すことしか出来なかった。



   * * *



「遅いですね。そろそろ帰ってきてもいいとは思うのですが」


 とっぷりと暮れた空に、リオンがのんびりとした口調ではあるが、心配そうに呟いた。が、その声が聞こえている筈のエドガーはそれに答えず、ソファから立ち上がる。


「ああ、捜しに行ってくれるんですか? 助かります」


 すかさず声をかけるリオンに一瞥をくれ、短く答える。


「放っておいたらいい」


 それだけ言うとエドガーは腰に剣を携えて、部屋を後にした。残ったリオンが一大決心をして出掛けるまでにそれからおよそ半時の時間を要した。



   * * *



 半月が昇りはじめた頃、高台にある町一番の屋敷は宴の真っ最中だった。それを見下ろせる高さの塀に上り、オリバーは小さく舌打ちする。


「タヌキオヤジがっ」


 侮蔑のその口調はオリバーの外見にそぐわなかったが、隣にいるセフィルはそのことを気に掛けている余裕はなかった。


 結局マルス達を盾に取られ、不承不承ここまで連れて来られたが、気持ちは未だ拒否を繰り返す。


 人を矢の的にすることに今更ためらいなどない。現に危険をくぐり抜ける手段として幾度も用いてきた。嫌なのはそれが他人に使われること、オリバー達に賛同できないこと、そして人質を使う連中のやり方自体が許せなかった。


「さあ、用意はいい?」


 その声にオリバーを見やる。冷たい眼差しが見下ろしていた。手渡された弓と矢を握り締め、セフィルはそのオリバーから目を逸らす。


「あのキンキラの宝石にまみれた太ったオヤジが目標よ。心臓めがけて、一発でお願いね」


 成る程、オリバーの言うとおり、その男は見るからに悪徳領主といった体ではあった。


「ああやってね、毎晩宴会の日々。人々は貧困にあえぎ、今日の祭りを最後にこの町を追い出される町民も少なくないわ」


 自分の行為を正当づけようとするオリバーの言葉は、セフィルにとってどれも空虚なものだった。


「よく狙ってちょうだい。チャンスは一回きりだからね」


 オリバーはそう言ってセフィルの背中をポンと叩いた。

 一気にセフィルの身体を緊張が走った。拒絶の思いが強くなる。


「大丈夫、あんたの腕なら。それにお友達のこともあるしね」


 悔しかった。しかしオリバーには逆らえなかった。今、ここでさえ自分の周囲には彼の仲間が幾人も息をひそめている。的を外した時にはすぐにでも出でて領主を切り裂くと言う。剣を使えば被害も領主のみに止まらないことはセフィルにも知れた。


「さ、奴が椅子に頓挫している今がチャンスよ」


 オリバーに促されてセフィルは矢を番え、狙いを定める。この距離ならば正確に的を射抜くことはできそうだった。


 所詮、通りすがりの町、通りすがりの人。その命の重さなどセフィルには関係ないことだった。それよりも仲間の方が大切だと、そう自分に言い聞かせて弓を引く。


 とその時、セフィルの目の端に、部屋の片隅から飛び出してくる女の子の姿が映った。まだ年端もいかぬこの少女が、この領主の娘であることがすぐに知れた。領主の顔の緩むのが見て取れた。


「セフィル」


 オリバーの急かせる声に、セフィルは意を固めた。

 ヒュンッと風を切る矢の音がしたかと思うと、その矢先はまっすぐに領主のかぶる帽子をさらい、そのままむこうの壁につきささった。領主は無傷だった。それと同時に吹き抜けた突風が、部屋中の明かりをかき消した。


「なっ…!」


 騒然とする館内。護衛の者達が庭に姿を現し、セフィル達の姿を捕らえるのに時間はかからなかった。


「ちっ、引き上げるよ」


 明かりが消えたのでは、当初と計画が変わってくる。オリバーは舌打ちし、セフィルの腕をつかむと、身軽に塀を飛び降りた。手下達もそれに続いた。



   * * *


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