第4章 弓の名手 ②
その催し物を見つけたのは、マルス目的の砂糖菓子を手にいれた直後のことだった。人だかりのできた一角を、興味本位で覗こうと人垣をかき分けていった。
それはちょっとした腕自慢のゲームだった。舞台の上に立つ人は弓を持ち、前方の的に当てるという、ごくごく単純なルールだ。矢は十本、全部の矢を的の中心に当てることが出来ると、大枚の賞金がもらえるというので人だかりができているのだった。
「セフィル、やってみなよ」
砂糖菓子をなめながら、マルスがセフィルをつついていた。
「えーっ、オレがぁ?」
「大丈夫だって。セフィルならあんなの百発百中だよ」
気の進まない様子で、セフィルはサマードを振り返る。止めて欲しいという表情がありありと分かった。
「ふんっ、どうせ恥をかくのがオチだぜ。やめとけ、やめとけ」
望みどおり止めてやるつもりだった。が、選んだ言葉が間違っていたらしかった。
セフィルはムッとした顔をサマードに向けて言い返す。
「その言葉、取り消させてやるからな」
単純な馬鹿だと、サマードは心底思った。
セフィルはつかつかと壇上に上がると、参加料を払って弓を手に取った。
拍手が巻き起こる。
「セフィルはね、ああ見えても村一番の弓使いだったんだよ」
マルスが自慢そうにサマードに耳打ちした。
壇上でセフィルは、それでもやっぱり緊張するのか、大きく深呼吸をしてからゆっくりと矢をつがえた。
ピンとのばした背筋が、自分の知らない人物のようにサマードには思えた。いつもの陽気な表情と打って変わって、真剣な横顔がひどくサマードの目を引き付ける。
辺りの雑音が消えうせる。
そして、矢が放たれた。
白い羽をつけた矢は真っすぐに的の中心へと突き刺さる。
観衆に感嘆の声が上がる。
「ね」
マルスがサマードに小さく言って、自慢そうに鼻の下をこすった。
実際、セフィルが矢を射るのを見るのは初めてだった。弓を使うことは知っていたが、本当に的に当たるとは思っていなかったのである。そう言えば、初めて国でセフィル達に助けられた時の矢、あれは彼のものだったのだろうか。
続けて放たれた矢も、目的の場所に突き刺さる。
三本、四本、たて続けに放たれる矢は、言葉どおり寸分違わず的の中心に命中していった。まさに百発百中の腕前だった。
「ま、まぐれだよな、あんなの」
さしものサマードも驚いた。が、眼前で見せられた事実をどう否定してよいものか、言葉が見つからなかった。
そして全ての矢が的に命中した時、観衆から嵐の様な拍手が沸き起こった。どれもが素直な感嘆の声。その声に壇上のセフィルは少しだけ照れ臭そうに、しかしうれしそうに微笑んだ。
* * *
「ラッキー、これだけあれば当分お金の心配はないよね」
セフィルが得た賞金の袋を覗き込みながらマルスが言った。サマードが国を出る時に持たされていた金が、かなり残っているものをと思い口を挟むが、マルスはそれを否定する。
「いつまでもあると思うな親と金ってね。サマード、もう少し気を配った方がいいんじゃない? リオンもきっと困ってるよ」
「何だよ、俺ひとりが我が儘なガキみたいに聞こえるじゃねぇか」
「気に障った? ごめんね」
そう言ってプイッとマルスはそっぽを向く。その態度に腹が立つ。殴ってやろうかと思っていると、振り向き様にアッカンベーが飛んできた。本当に可愛くない奴だと思った。
「それにしても気持ちよかったなぁ。セフィル、腕は鈍ってなかったね」
「ああ、久しぶりだったからあんまり自信は無かったんだけどね」
マルスにそう返して、セフィルはサマードを振り返る。そして。
「前言撤回しろよな」
そう言って笑ってみせた顔はいつものセフィル。サマードはドキリとして、慌てて顔を逸らす。
「まぐれってのは、恐ろしいよな」
ふふんっと、マルスが鼻で笑うのが耳に入った。何だかすごく腹立たしかった。
* * *
「あんた達、やるじゃないの」
背後から聞き覚えのある声がかかった。途端に頭に浮かぶあのカラフルな衣装。振り返ると案の定、さっきの薬屋だった。
「あたしもあちこち旅して長いけど、あれだけの腕前をもった人にはお目にかかったことないわよ」
面白いものを見せてくれたお礼だと言って、薬屋は三人を無理やり近くのテントへ引きずり込んだ。ご馳走してくれると言うので三人は、うさん臭いとは思いはしたものの、それでものこのこ付いて行った。
「あんた、まだ子供なのに大したものだわ」
褒められて、セフィルも気分の悪いものではないらしく、笑顔を浮かべる。
「それほどでもないですよ、ええっと…」
「そうそう、名前がまだだったね。あたしはオリバー。見ての通りの薬売り。世界中を回って商売をする一方、実はね…」
薬屋・オリバーはそこまで言って、声をひそめる。
「世界中を回って、とーっても美しい衣装とか宝石を集めるのが趣味なのよ」
そんなもの、わざわざ声を小さくして言うことかと、サマードはばかばかしく思い、目の前のグラスを煽った。目の端でオリバーが一瞬、怪しげに笑んだのが見えた。
「今、注目なのはね、あんた達、聞いたことないかな、エルフィロードっていう特殊な糸で編んだ織物なんだけど、これが月の光よりも美しいと言う夢のような布でね、あたしはこれで編んだ生地が欲しくって欲しくくって」
マルスとセフィルが思わず顔を見合わせる。そんな二人を見て、オリバーがズイッと近づく。
「やっぱ聞いたことがあるんだ? さっすが、弓の腕も超一流だけあって物を知っているようね」
「何のことか僕達知らないけど」
答えたのはマルス。
「何だよ、その、エルナントカっての」
グラスの中身はアルコールが含まれていたのかも知れない。少し思考がまとまらないサマードが割って入った。
「エルフィロード。昔語りに登場する織物でね、原材料の白月絹に妖精の羽を織り混ぜた糸なの。これが例えようもなく美しいって言われててね。その糸を使って布を織り出し、それをふんだんに使った衣装を身にまとうの」
その言葉に、サマードは一瞬セフィルの方を見やる。ポーカーフェイスを装うマルスと違って、少しだけ顔が引きつっていた。
「ああ、もう、考えただけでわくわくしてきちゃう。そんな衣装をまとう夢のようなあたしの姿が想像できる?」
想像したくもないと呟いたのはマルス。
「あたし、妖精の羽が手に入るのなら、いくらでも出しちゃう」
ふーっと、誰かがため息をついた。
「もう、帰ろうよ。リオン達、心配しているよ、きっと」
自分は明らかに関係ないと言った口調でマルスがセフィルを促す。自分よりもこの幼なじみの方がうっかり口を割るのではないかと、内心、冷や冷やしていたのだ。
「さ、サマードも」
言いかけた時、ふとマルスの身体が揺らいだ。立ち上がろうとした体は、ゆっくりとテーブルの上に半身を倒れ込ませた。
「マルス?」
横にいたセフィルが介抱しようとするのを、彼の腕を掴んで止めたのはオリバーだった。
「あーらら。ちょっとお酒がきつかったかしら。こっちの坊やもお休みになったみたいね」
「酒…?」
呟いてセフィルはもう一人の連れを見やる。そこにはグラスを片手に握り締めたまま、テーブルに突っ伏しているサマードの姿があった。
「大丈夫よ。ちょーっと長旅で疲れていたみたいだから、ゆっくり眠らせてあげようと思ってね」
「何を入れた?」
キッとセフィルはオリバーを睨む。
「眠ってもらっただけよ」
オリバーは笑みを作りながらセフィルを引き寄せる。そしてもう片方の腕も掴み上げる。
「あんたのこの腕を見込んでちょっと頼みたいことがあるんだ。聞いてくれるよね?」
「ふざけるな」
言うが早いか、セフィルはオリバーの股間目がけて膝を繰り出した。オリバーは引きつった悲鳴とともに、床に転がりもんどり打つ。その間にセフィルはオリバーをひょいとまたいで出口へ走る。
が、その行く手は遮られた。つい今し方までそれぞれのテーブルで酒を飲んでいた筈の男が二人、入り口に立ち塞がっていた。
「こぉのガキんちょ、よくもやってくれたわね」
奇麗に塗りたくった化粧の下から脂汗を吹き出させてよろよろと立ち上がり、オリバーが低い声で言う。振り返るとマルスとサマードの二人を取り押さえる、彼の仲間が他にもいた。
「そう簡単に逃げられると思ったわけ?」
「何だよ、あんた達は」
このテント自体、オリバーの息がかかっていたと気づいたのがこの時だなんて、セフィルは自分でも間抜けだと思った。
* * *
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