第2章 旅の道連れ ③

 場末の古びた酒場――そんな言葉が似合う場所だった。その薄汚れた、煙草の煙が漂う中に目的の人物を見いだす。

 セフィルだった。


 一人でこんな所にいるということは、思った通りまたエドガーは女性を口説いて、どこかの宿に入り込んでいるに違いない。

 どこかしらセフィルの背は頼り無げに見えた。その姿は、声をかけることをはばからせるものをサマードに与えた。が、ようやく見付けたものを、そのまま知らぬ顔をする余裕もなかった。


「よお」


 サマードは何くわぬ素振りで、セフィルの肩をたたいた。ゆっくりと顔がこちらをを向き、ずっと忘れられなかった青い瞳がサマードを捕らえた。


「何やってんだ、こんなところで」


 平静を装った声だと自分でも気付いた。が、セフィルはキョトンとした表情をして見せた。


「誰…だったっけ?」


 サマードは思わずセフィルの胸倉をつかんでいた。


「おめぇ、言いたいことはそれだけか?」

「ゴメン、冗談だってば、サマード」


 セフィルはそう言いながら、サマードの手を振りほどいた。

 相変わらずな野郎だと思った。


「で、何で一国の王子のサマードが、こんな所にいるんだ?」


 空いていた正面の席に腰を降ろすと、待っていた質問が投げかけられた。お前を追いかけてきたとは、サマードには口が裂けても言えるものではなかった。


「俺は…リオンの野郎が王になるために、旅はいい修行になるからってうるせぇもんだから、仕方なくな」


 口から出まかせ。思いっきりバレるのではないかと思った。しかしセフィルはそんなサマードの内心には気付かない様子で、相槌だけ打っていた。


 やはりどこか元気がないように思えた。じっと見ていると、振り返るセフィルの瞳とぶつかる。何だかすごくぎこちない気がした。


「何?」


 ずっと、追いかけていた瞳。なのに、実際に会うと何も言えなかった。慌てて目を逸らすことしかできなかった。


 カタリと、椅子を立つ音がして、振り返るとセフィルが立ち上がっていた。


「おい…」

「場所、変えようか」


 その足元はおぼつかなくて、ふらつく身体がサマードの脇を通り抜けようとした時、丁度よくサマードの方へと倒れ込んできた。


「えっ、ちょっと…」


 とっさのことに、サマードはそれでもセフィルの体を受け止める。

 ふわりと、柔らかくサマードの腕の中に落ちてきたセフィルは見た目ほどの重量感はなかった。あの、きれいな色の羽根を持った、小柄な妖精の姿が思い起こされる。


「ごめん…」


 そう言って、サマードの腕から逃れようとするが、その実、腕にも力が入らない様子だった。一体どれほど飲んでいたものか。


「とっとと帰って、休めよ」

「だって、宿には…エドガー、別の人と一緒だし…」


 ぎゅっと、唇をかみ締める横顔。頬が朱に染まって見えるのは、酒気の所為だけではないのかも知れない。


「ったく、あの野郎…」


 知らずに悪態が口をつく。


「ごめんな、オレ、大丈夫だから…」


 そう言ってセフィルはまた体を起こそうとする。しかし、それは適わなかった。一度倒れ込むと、体は起き上がる努力を放棄してしまった様子で、セフィルの意志を無視していた。


「仕方ねぇな。俺達の宿へ来いよ。おめぇ一人くらい何とかなるから」

「でも…」


 一応、遠慮の様子を見せるが、行くところもない身、すぐにサマードの厚意にうなずいていた。


 放っておいたら本当に朝まで一人で飲んでいたかも知れないと、一人で立ち上がれないセフィルを支えて店を出ながら、そう思った。



   * * *



「ったく、よくもまあ、こんなにヘベレケになるまで飲んだもんだな」


 途中で気分が悪いとうずくまるセフィルに、頭の上から呆れた声を投げかける。弁解する気力もないらしく、セフィルは俯いたまま、肩で息をしながら、黙ってそれを聞く。その姿が、妙に小さく見えた。


 何か、自分の中でもやもやとした感情が生まれて来るのを感じて、サマードは慌てて首を振る。飲んでもないのに、自分まで酒気にあてられたのかもしれない。


「もうすぐだからよ、辛抱できるか?」

「ん…」


 力なくうなずいて、セフィルは顔を上げた。月明かりに、青い顔がひどく生めいて見えた。

 人ではないモノ――それはどこか危険な匂いを漂わせながらも、サマードを引き付ける。サマードはゆっくりと手を伸ばして、セフィルの頬へ触れようとした。


 その時だった。

 今までなかった筈の気配が、サマード達の周りを取り囲んだ。


「ようやく、見付けた」


 はっとして振り返ると、そこには見慣れない男達がいた。数にして五人、皆一様にして線の細い印象を与えた。衣類は一見して絹と分かるものを身に纏い、腰にはレイピアが光っていた。


「何だよ、おめぇらは」


 サマードは一歩前へ出て、セフィルを背にかばうように立った。


「我々が用のあるのはお前ではない。下がっていてもらいたい」


 物言いは、町外れのチンピラとは思えない、きちんと教育された宮仕えのものに近かった。

 その男達の中の一人が、ゆっくりと歩み寄る。


「王がお待ちです。帰りましょう」


 差し出す手を、セフィルはきつい眼差しで追い返す。


「一人前になったら帰るって言ったでしょ? オレは…それまで帰りません」


 酔っているにしては、はっきりとした口調だった。ただ、後ろへ下がろうとする動きは、すこぶる鈍かったが。


「そうはいきません。我々の任務は、あなたを国に連れ戻すことですから。ご同行願えますね」


 そう言って男は、セフィルの腕を取ろうとする。その手をはたいたのはサマードだった。


「嫌だっつってんだろ。諦めろよ」

「何なんだ、お前は」


 鋭い視線が振り返る。


「何って…その…」


 聞かれて返答に困る。

 よくよく考えると、サマードはセフィルと会うのはこれで二度目だった。一緒に旅をしている仲間でもないし、まだ友達と言えるまで仲よくなったわけでもない。ただ、後を追いかけてきただけの自分って、一体何なのだろうかと、改めて疑問に思う。

 戸惑っていたサマードの横から、セフィルがサマードの腕にしがみついてきたのはその直後。


「サマードはオレの恋人だよ」

「ええーっ?」


 言ったセフィルを除く全員が驚きの声を上げる。当然サマードもである。


「こ、恋人って…?」

「だから、帰りません。そう王様に伝えてください」

「おいこら、ちょっと待て」


 動揺しきったサマードが、セフィルの手を振りほどこうとする。その様子に、後ろから男が疑い深そうな声をかける。


「そう言えば我々が諦めるとでも思っているのですか?」


 セフィルはそれでもバレバレの嘘をつき通そうとする。


「嘘じゃありませんよ。サマードがどう思ってるかは知らないけど、でもオレは…」


 見下ろすと、セフィルの青い瞳があった。酔いのため、わずかに潤んでいた。

 何故か、鼓動が高鳴る。


「サマードのことが…好き」


 静かに瞳が閉じられる。ゆっくりと近づく唇に、サマードは見入られたように動けなかった。


 熱い吐息が伝わる。抱き締めた腕の中で、小さく震えるのを感じた。



   * * *


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