第1章 出会い ③

「だーっ、放しやがれ!」


 暴れるのは得意技。なので、ロープでぐるぐる巻に縛られ、床に転がされた。


「てめぇら、ふざけてるとただじゃおかねぇからなっ」


 しかしその台詞も、文字どおり手も足もでないこの状態では、いささか迫力に乏しかった。そんなサマードを、誘拐犯達は笑って見下ろしていた。


「我々は真剣ですよ、いつだってね」


 その中の一人が歩みでてきた。その声にサマードは聞き覚えがあった。


「…おめえ…」


 相手はクククと小さく笑って、ゆっくりと顔を覆う布をとった。そこにはサマードにとって見慣れた顔があった。

 それは国の政治を扱う大臣のひとりであった。

 サマードは呆れた溜め息をつく。


「やっぱ、てめぇかよ」

「おやおや、ご存じでしたか」

「はんっ、てめぇが一番怪しそうじゃねぇか。税金着服してるって噂もあるしよ。もしかして本当なんじゃねぇのか」

「さあて」


 相手はそう言って、くるりとサマードに背を向けた。


「おいこらっ、逃げんのかっ?」

「ええ、お気の毒ですが王子にはここで黒焦げになっていただきます」

「黒焦げって…」

「大丈夫ですよ。すぐにお父上お母上にも後を追っていただきますから、寂しくないでしょう」

「てめえ」


 サマードは何とか起き上がろうとした。しかし、いも虫のようなこの体ではどうしようもなく、体をくの字に曲げてみせるのが精一杯だった。そのサマードを残して、誘拐犯達はそのまま部屋に鍵をかけて出て行ってしまった。


「ばかやろーっ!」


 サマードの怒鳴る声も連中には聞こえないようだった。


 冷たい床に転がされたままサマードはごろりと寝返りを打ち、天井を仰いだ。

 目隠しをされてここまで運ばれてきたが、かかった時間からして、城からさして遠くない所であると知れた。どの辺りなのだろうか。

 しかし今のサマードの位置から見る窓の外は、星空しかなかった。


「くっそーっ」


 舌打ちしてサマードは窓に背を向けた。


 連中は黒焦げになってもらうと言った。ぞっとしない話であるが、十中八九、この建物に火を放つつもりだろう。しかも今すぐにでも。こんな格好で床に転がっている場合ではなかった。が、いかんせん、ロープで縛られていては何ともしようがない。せめて努力くらいはしようと、その格好のままごろごろと床を転がった。


 その時、階下がいきなり騒がしくなった。


「何だ」


 顔を上げたサマードの丁度鼻先に、ドアが開いた。寸でのところでドアで鼻を殴られるのを回避した。が、それもつかの間、ドアから入って来た人物がサマードの腹に蹴つまずいてくれた。


「なに?」


 どてっと、大きな音をさせながら相手は、サマードと同じように床に転がった。


「いってーな、何やってんだっ」

「それはこっちのセリフだ」


 振り向いて見た相手は何とセフィルだった。思いっきり顔面から床に突進していったらしく、気の毒なほど痛がっていた。思わず吹き出すサマード。


「せっかく助けにきてやったのに、笑うことはないだろう」


 プイッとセフィルはそっぽを向き、すねてみせる。その様子がまた笑いを誘う。


「分かった。助けていらないんだな。なら、オレは帰るよ」


 セフィルはそう言ってさっさと立ち上がると、もと来たドアから出て行こうとする。ようやく自分の立場を思い出したサマードは、あわててセフィルを呼び止めた。


「初めからそうやって素直になればいいんだよ」


 セフィルはサマードのロープをもどかしい手つきで何とか解くと、最後にそう付け加えた。サマードは多少しびれの残る手足を馴染ませながら、言いなりになっていた。


「さて、そろそろ逃げようか」


 セフィルは再び部屋から出ようとする。と、ドアからまた人が飛び込んできた。


「いつまでぐずぐずしている。早く逃げろ」


 姿を見せたのはエドガーだった。手に携えている剣にはべっとりと血のりがついていた。ギョッとしてサマードは二人を見交わす。そこへなだれ込んで来る男達がいた。異国の衣を身にまとった先程の誘拐犯達だった。彼らの手にも長剣が握られている。その中の一人が飛び掛かってくるものを、エドガーは振り上げた剣でたすきがけに切り落とす。飛び散る血しぶき。むせるような血の匂いが、サマードの鼻を刺激した。胃から込み上げてくるものを押さえ込もうとした時、手を取られた。

 セフィルが手を引っ張っていた。その手に引きずられるようにしてサマードは、隙間のできたドアの外へ飛び出した。


 エドガーの剣の背にかばわれる形で外に出た時、狭い廊下には敵がひしめいていた。すぐそばに見える階下への階段にも敵がいた。そして階段からわずかに立ちのぼってくる煙。これでは逃げるに逃げられない。

 どうすれば良いものかと考えるサマードの手をセフィルが思いっきり引っ張った。


「こっちだ」


 下へ降りられなければ、上へ上がるしかない。そう判断したのか、階上へと通じる階段を選んで、セフィルは駆け上がった。その後を追おうとする男を、エドガーが一太刀で床に伏せさせるのが目の端に映った。


 階段は螺旋状に上へと続いていた。察するにここは結構高い塔のようだった。この町でこんな高い塔と言えば、そうある筈もない。おおよその目星をつけながら駆け上がる階段に息を切らせる頃、ようやく最上階にたどり着いた。


 屋上のドアを開けて外へ飛び出すと、眼前に夜の町並みが広がっていた。月明かりの照らす町は、はるか遠くまで続いているように見えた。

 城から見る景色よりもずっと間近に見える町。何だか胸の奥が熱くなりかけた。そんな感傷を打ち消したのは、階段を昇ってくる幾つもの足音だった。

 どれだけ剣の腕が優れようとも、多勢に無勢、エドガーも数に勝てるはずもなかったのだろうか。セフィルを見遣ると、サマードと同じように足音の聞こえる階下に目を向けていた。その横顔は心配そうな色を浮かべている。が、すぐに思い改まったようにサマードの方を振り返った。


「逃げるよ、サマード」

「逃げるって…袋のネズミ状態じゃねぇか。どこへ逃げるんだよっ」


 どうやって逃げ道を探すというのか。しかしセフィルは涼しい顔をして笑ってみせる。


 その時、ふわりと、風が舞ったような気がした。


 月明かりがセフィルの姿をぼやけさせたように見えた。あわてて目をこすってみるサマードの眼前で、セフィルの身体がわずかに変化していった。見まちがいかともう一度目をこすって、再び開いた時、見たこともない生き物がそこに立っていた。


 いや、顔形にさほど変化はない。が、青く光る目、ピンと尖った耳、そして何よりも目を引くのは、その背から生える羽根だった。月光にさえ溶けるかのように淡い色をしたそれは、ピクンとセフィルの背で動いた。


「お前、一体…」


 知らず後ずさるサマードにセフィルは笑顔を崩すことはなかった。


「オレが怖い?でも人を取って食べる趣味はないから、安心していいよ」


 そういうことではないと言いかけて、階段の下に人の気配を感じた。


「さあ、早く」


 背に腹は代えられない状態で、サマードは差し出されたセフィルの手をつかんだ。するとセフィルはサマードを抱き寄せるように、肩に腕を回してきた。

 トクリと、心臓が大きく脈打った。


「しっかり捕まってないと振り落とすよ」


 冗談とも本気ともつかない口調で、セフィルが耳元でつぶやいた。反射的にしがみつくサマードの耳に、セフィルのくすくす笑うのが聞こえた。

 風が全身を包んだような気がした。そう思った途端、身が軽くなった。足元から地面が消えたかのような気がして下を向くと、本当に宙に浮いていた。

 塔の屋上に駆け上がって来た男達を眼下に眺めながら、サマードは生まれて初めての感覚に、ほんの少しだけ目が回りそうだった。



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