お似合い
「ただの飲み会にしては遅いんじゃない?」
「同僚の愚痴が長引いたんだよ」
「女の人もいたんでしょう!」
監治は玄関で革靴を脱ぎ終わると、苦笑いをした。
「そりゃあいるよ。依子ちゃんも知ってる足立と増永だよ。足立は既婚者だし、増永は課長に惚れてる。どう転んでも何かあるわけないって」
「そうかしら」
「俺は依子ちゃん一筋だよ」
監治がそう言ってやると、依子の気も済んだようだった。
「飲み会の時は一時間ごとに連絡してよね」
「分かったよ」
依子は誰もが羨む狐目の美人だが、かなり嫉妬深い。
付き合いたての頃はどうも嫉妬を抑えていたようで、依子は監治の交友関係に口を挟まなかった。それがどんどん隠しきれなくなって、同棲する頃には浮気の痕跡がないのか、帰ると服から何までチェックされるようになった。
満員電車で甘ったるい香水の匂いがつきでもしたら、一から説明をして依子の機嫌を取るのはかなり大変だ。
監治の友人はみんな依子と付き合っていることを羨ましがったが、依子が嫉妬深いのを知ると神妙な顔つきになる。
「いくら美人だからって、息苦しくて仕方ねえよ。よく君は付き合えるなあ」
監治は友人の言葉を笑って受け流す。
実のところ彼に不満はなかったし、むしろ依子の嫉妬を可愛らしく感じていた。
監治は夜、依子が寝静まるとパソコンを立ち上げる。決まったキーを叩くと、依子のスマホに接続される。位置情報アプリと電子マネーの決済記録から、その日の依子の行動を把握するのが監治の日課だ。
「お」
依子は仕事帰りにアクセサリーショップで買い物をしている。
依子のSNSの投稿も一通りチェックすると、監治は依子と同じベッドで眠りについた。
「昨日アクセサリーを買ったんだってな。自分用?」
「やだ、また私の行動を見たのね」
朝食を食べている席で、監治は依子に聞いた。依子は嫌そうな顔をしたが、そこに驚きはない。監治に行動を監視されるのは日常茶飯事なのだ。いつアンインストールしても、スマホには位置情報共有アプリが勝手に入っている。
「今月は監治の誕生日でしょ。早めに昨日買っておいたのよ」
「ああ、そういうことか」
監治は依子と付き合う前から、ネットストーカーの気があった。芸能人の匿名アカウントを特定して、不倫を突き止めたこともある。
清廉潔白な人物の裏の「顔」を、自分だけが知っている優越感はひとしおのものだった。
監治は依子と職場内の飲み会で出会って、たちまち夢中になった。男は絶えないが、なぜかすぐに別れてしまう美人。とても魅力的に映った。
付き合ってからは、情報を収集する先は依子だけになっていた。依子の趣味、交友関係、行動範囲をすべて知りたくなった。
一方の依子は、監治がいつも携帯やパソコンを見てばかりで不安になっていた。とうとう彼女が浮気を疑って問い詰めた時、監治が何をしているのか知った。
依子の友人たちはようやく依子が一人の男に落ち着いたことを祝福していたが、監治の悪癖を知ると、口々に別れを勧めた。
「気色悪い。すぐに別れた方がいいわよ」
「そうかもしれないけど、あの人は私に一直線なんだもの」
依子は監治の興味の対象がすべて自分に向いているのを知って安堵していた。愛されている証だと感じていた。
ある休日に、依子と監治はデパートでショッピングデートをしていた。
買いたいものを一通り買って、二人は帰ることにした。
帰り道の公園で、ベンチに座ったカップルがいた。カップルは仲睦まじく語らっていたが、男のもとに電話がかかってきたのをきっかけに、男は女を置いて急いでどこかに行った。
依子と監治はその様子を見て、自分だったらどうするか考えていた。依子はどこへ行くのか強く問い詰めるだろうと思った。監治は自分と別れた恋人の動向を、スマホでチェックするだろうと思った。
カップルの片割れの女は男を見送ると、何も不安を持たない表情でそのままベンチに座っている。
「あの、あなたは不安にならないんですか?」
思わず依子は女に声をかけた。
「不安といいますと?」
「さっきのあの人、急に走っていきましたけど、浮気とか不安じゃないですか」
女はにっこりと笑って答えた。
「はい。あたしは信じていますから」
依子と監治が何も言えないでいると、女はぺこりと頭を下げて立ち去った。
詮索をしなくても、携帯に位置情報共有アプリを仕込まなくても、相手を信じて受け止めること。
考えもしない選択肢だった。
依子と監治は手を繋いだまま、何を言うべきか迷って見つめ合う。
痺れを切らしたのは依子だった。
「ねえ、さっきの子に見惚れてたんじゃないの?」
「まさか。あの一瞬だぜ」
「……そうよね。分かってる。ごめん」
ちらちらと白い粒が、暮れかかった空から落ちてくる。
監治は依子の頭を撫でた。
自分たちの在り方が変わっても、依子とずっと一緒にいたいと思った。
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