校舎裏に捨てられた暗号

白川ちさと

本編

 ホームルームも終わった放課後。


 席に座ったまま鞄に荷物を入れていると、後ろから声をかけられた。


「美化委員って水原さんだよな」


「うん。そうだけど?」


 振り返るとクラスの男子生徒、土屋くんがこちらを見つめている。


 なんだろう。もしかして、緊急の美化委員の集まりでもあるのかな。


 土屋くんは腰に手を当てて、少し怒っている様子で言う。


「実はこのところ校舎裏にゴミがすごく散らかっているんだ」


「ゴミ?」


「そう。ほとんどが紙を丸めたゴミなんだけど。それが放課後、校舎裏に行くと毎回散乱しているんだ。僕がすぐに片付けているから、誰かが毎日そこに捨てているんだと思う」


 なるほど。


 せっかく片付けているのに、また捨てられるから土屋くんは少し怒っているんだ。


「分かった。先生に注意してもらえないか言っておくね。でも、その前にその校舎裏に案内してくれる?」


 別に土屋くんを疑っているわけじゃないけれど、本当にゴミが散らかされているか見ておかないといけない。


「こっちだ」


「うん。ごめんね。先に帰っていて」


 私は一緒に帰ろうとしていた友人たちに手を振って、教室を出て行く土屋くんの後に続いた。





 やって来た校舎裏は誰もいない。風が少し肌寒くて、私は腕をさすった。


「あ! やっぱり、まただ!」


 土屋くんが走り出す。そこには確かに紙を丸めたゴミが十個ぐらい転がっていた。


「本当だ。あ、待って。現場を撮影しておくから」


 さっそく拾おうとする土屋くんを止めて、私はスマホを取り出す。カメラのアプリを起動して、写真を数枚撮った。先生に報告するにしても、証拠があった方がいい。


「よし。オッケーだよ」


 私と土屋くんはしゃがみ込んで、ゴミを拾い始める。ゴミ袋は土屋くんが用意していた。


「こんなことが、どれぐらい続いているの?」


「もう四日目だ」


「四日!?」


 一日や二日なら、そんなこともあるかなと思えるけれど、四日も続いているとなると誰かが意図的にしているとしか思えない。


 焼却炉は校舎の反対側だから、わざわざこんな所にゴミを持ってくるのも手間だ。


「一体だれが……。あ、あっちにも」


 ゴミの一つが風に飛ばされて、少し離れたところに転がっていた。私は小走りで駆け寄って拾いあげる。そして、土屋くんの方を振り返った。


「もしかして」


 少し離れたところから見たことで気が付く。


 校舎裏だから人気ひとけはない。いるのは土屋くんだけ。通れるところは三メートルぐらいの幅があって、片側はフェンスに囲まれている。フェンスの向こう側は崖で、反対側は当然校舎がある。


 その校舎は四階建てで――。


「ねぇ、土屋くん! このゴミ。窓から投げ捨てているんじゃない?」


 私は土屋くんに駆け寄って、興奮気味に話した。


 校舎には窓がある。わざわざ毎日ここに来てゴミを捨てるより、教室から出たゴミを丸めて捨てる方が簡単だ。


「やっぱり水原さんも、そう思うか」


 土屋くんは渋い顔で言う。


「あ。そうだよね。すぐに気づくよね」


 得意げになった自分が少し恥ずかしい。


「ここの窓は家庭科室と音楽準備室、美術室、視聴覚室だ」


 土屋くんは窓を見上げるので、私も顔を上げた。確かにここは特別教室が集まっている校舎だった。


 だけど、どの教室も窓を閉めていて見ただけでは手がかりはない。


「となると……」


 私は手にしていたゴミの一つを広げ始めた。


「そこまでしなくても。水原さんはもう先生に報告してくれたらいいけど」


「でも、ここまで来たら気になるじゃない」


 私は気になることは、とことん綺麗にしておきたいタイプだ。部屋の掃除もそうだし、ミステリー小説は最後まで読まないと眠れないし、どこかに謎があれば首を突っ込まずにはいられない。


 むしろ、土屋くんが紙の中を見ていないことが不思議なぐらいだ。


「え! 何これ!」


 広げた紙を見て驚いた。土屋くんも紙を覗き込んで目を見開いている。


 てっきり紙には手掛かりになることが書かれていると思っていた。


 家庭科室ならレシピの走り書きとか、音楽準備室なら楽譜の写しとか、美術室だったら失敗したデッサンとか。


 だけど、紙に書かれていたのは、意味の分からない言葉の羅列だった。




『たふはしひ。にかしややしにふつ』




 ひらがなの羅列の下には謎の記号もあった。真ん中に点があって、そこから外に向かって四方に矢印が伸びている。


「暗号?」


 土屋くんは首を捻る。


 私もそう思った。


 ただの言葉の羅列じゃない。謎を解けばちゃんとした言葉になる暗号だ。


「たぶんひらがなの羅列が本文で、記号がヒントだと思う」


 きっとそれしかない。でも、ひらがなには法則性がないように思える。


「問題はこの記号だよね。何を意味しているんだろう」


 真ん中から外側に伸びるもの。


 太陽の光、人の手足、時計。……どれも違う気がする。


「水原さん、他の紙も同じことが書かれている」


 土屋くんが他の紙も広げていた。驚いたことに九枚の紙、全てに同じことが書かれている。


「これって、わざわざコピーしたんだよね」


 手書きだけれど、よく見ると全部印刷だった。ここまでして丸めて捨てるなんて、どういうことだろう。暗号まで作って計画的だ。


 犯人の動機が分からない。


 ふと土屋くんが一枚の紙を手にして言う。


「あれ? これだけ他にも何か……」


「何々? 何があるの?!」


 私はすぐに見たかったけれど、土屋くんはジッと紙を見つめて渡してくれない。


「やっぱり、あいつ!!」


 紙を握りしめたまま、土屋くんは走りだしてしまった。


「え! どこに行くの!」


 放っておくことも出来ずに、私も土屋くんを追いかける。





 土屋くんは靴を脱ぎ捨てて、校舎に入っていく。特別教室の校舎だ。そのまま、土屋くんは階段を駆け上がっていく。


「おい! 花岡!」


「音楽室?」


 土屋くんが乱暴に開けたドアは、二階にある音楽室のものだ。


 もしかして、土屋くんは謎を解いたのだろうか。一枚だけ何か書かれた紙を見て、暗号を解き、音楽準備室から捨てられたものだと。


「土屋くん! 戻って来たんだ!」


「よかった!」


 音楽室からは予想外の反応が返って来た。土屋くんの姿を見て、女の子たちが駆け寄って来る。


 戻って来たってどういうことだろう。


 音楽室では椅子を扇状に並べて、吹奏楽部が部活を始めようとしている。


「なんだよ、土屋。血相を変えて」


 奥から出てきたのは花岡くんだ。


 去年は同じクラスだった。確か吹奏楽部の部長になったはず。


 土屋くんは花岡くんの顔を見ると、キッと睨む。例のぐしゃぐしゃの紙を見せながら、大声で怒鳴った。


「お前だろ! 俺への嫌がらせをしていたのは!」


「え! 花岡くんがやったの?」


 私は花岡くんの顔を見つめる。だけど、花岡くんは肩をすくめてみせた。


「何のことを言っているんだ?」


「これのことだよ! 花岡が毎回俺のいる場所に捨てていたんだろ!」


「そんな紙、知らないね!」


 フンッと花岡くんは顔を逸らす。土屋くんもだけど、花岡くんってこんなに興奮して話す人だったかな。


「しらばっくれるなよ! ここにお前の字が書かれているだろ!」


「え。見せて、見せて」


 私は土屋くんの持つ紙を覗き込んだ。そこにはひらがなの羅列に矢印の記号。その横に他の紙には無かった手書きの文字が書かれていた。


 そこには『スマホばっか見て、何が楽しいんだ』と書かれている。


 なんでこれだけと思うけれど、新たな手掛かりだ。


「俺の字じゃない」


 だけど、花岡くんは首を振った。確かに証拠にするには不十分だ。筆跡鑑定なんてこと出来ないし。


「そんなくだらないことで来たのか。よっぽど暇なんだな!」


「なんだと! 大体、こんな陰湿なことするやつ、最初からお前しかいなかったんだ。ちょっとでも信じた俺が馬鹿だった!」


 土屋くんと花岡くんは、顔を突き合わせていがみ合いだした。


 こんな姿は初めて見る。


「この二人って、元からこんなに仲が悪かったの?」


 私は少し離れて吹奏楽部の女の子に話しかけた。すると、女の子は首を横に振る。


「ううん。前はこんな感じじゃなかったんだ。だけど、土屋くんが秋の演奏会の指揮者に選ばれて」


「土屋くんって、吹奏楽部だっただ」


「うん。でも、例年だと秋の演奏会の指揮者は部長がするの。だからかな。花岡くん、それが気に入らなかったみたい」


 だから、土屋くんは花岡くんがした嫌がらせだと思ったんだ。


「それに土屋くんって、ちょっと言い方がきついでしょ。指揮をするときは、もっと厳しい言い方になって。だから、部活の間もギスギスすることが多くなったんだ。花岡くんはトランペットなんだけど、特に注意されていて。花岡くんも我慢できなくなって、大喧嘩になっちゃったんだ。それで一週間前に土屋くん、もう指揮はしないって出て行っちゃって」


「そうだったんだ」


 だから、吹奏楽部の部員なのに、放課後校舎裏にいたんだ。


 校舎裏にいた理由はきっと――。


「私たち、土屋くんに帰って来てほしいんだけど」


「うーん。あれじゃね」


 土屋くんと花岡くんは、相変わらずいがみ合っている。部長なのに部員をまとめられていないとか、指揮者なのに指示が雑だとか。互いを罵りあっている。


 私は例の紙を取り出す。


 犯人が花岡くんかは分からないけれど、暗号を解いたら何かが分かるだろう。


 ひらがなの羅列。四方に伸びる矢印の記号。そして、一枚だけに書かれていた『スマホばっか見て、何が楽しいんだ』と言う文章。


 スマホばっか見てって、土屋くんは自分のことだと思ったから怒ったんだよね。土屋くんは実際に校舎裏でスマホを見ていた。それを見て犯人は皮肉を込めて、この文章を書いた。


 でも、ただの皮肉なのかな。


 私はポケットからスマホを取り出す。スマホって言ったら、写真を撮ったり、メッセージを送ったり、電話をしたり。


「あ! もしかして! えーと、黒板借りるね!」


 私は音楽室の黒板に駆け寄った。五線譜が書かれている黒板。


 白いチョークを手にひらがなを書く。ア行は『あ』が真ん中で、左に『い』、そして右回りに『う』『え』『お』と四方に書いて行く。カ行も同じ法則で書いた。次はサ行。


「水原さん、これは?」


 私に気づいたのか、土屋くんは言い争いを中断して近くに来た。周りには吹奏楽部の部員たちも並んでいる。


「うん! これはスマホのフリック入力だよ。あの記号はフリック入力のことを指しているんじゃないかな」


 私も暗号を解いてみないと確信はないけれど、きっと真ん中の点と四つの矢印は指の動きを示している。


 暗号を下に書くと、再びスマホを取り出す。


「これを英語で入力していくと……」


 入力方法をアルファベットに切り替える。


『たふはしひ。にかしややしにふつ』


 黒板に書いたひらがらと照らし合わせながら、同じ位置にあるアルファベットを確認する。暗号の下にアルファベットを書いた。


「たはG。ふはOだね。それで……」


 ちゃんと文章になる。だけど――。


「花岡くん」


 私たちは花岡くんを見つめた。


 暗号の文章は解くと、


『GOMEN。KAETTEKOI』


 つまり、『ごめん。帰って来い』と書かれていた。


 これを書く人物は一人しか心当たりがない。


「花岡。何でこんな」


 土屋くんが花岡くんに話しかける。


「……ごめん。土屋……」


 花岡くんは絞り出すような声で語りだす。


「俺、土屋に嫉妬していたんだ。部長になったけど指揮者にはなれなくて、先生が実力を見て土屋を選んだって分かっていたんだけどさ。言い方キツイけれど、言っていることは的確だって部員は全員分かっているのに……」


「でも、どうしてこんな回りくどいこと」


「土屋が音楽準備室の裏で吹奏楽の音を聞いていることには、すぐに気づいたんだ。それで声を掛けようと思ったんだけど、土屋がスマホばっかりいじっていて。なんかムカついてさ。でも、悪いのは俺だし。だから……」


 花岡くんは謝りたいけど、素直に表現できないから暗号にしたんだ。


 でも、土屋くんは花岡くんが嫌がらせなんてしないと思って、紙を開きもしなかった。全然、気づかない土屋くんに花岡くんは焦れて、こっそりヒントを追加したのだろう。


「土屋くん。スマホで何を見ていたの?」


「……これ」


 土屋くんはスマホを取り出して、見せてくれる。そこには楽譜を撮った写真が表示されていた。すると、花岡くんは泣き出しそうな顔で再びごめんとつぶやく。


 やっぱり土屋くんは指揮を辞めると言って出て行った後も、校舎裏で演奏を聞いていたんだ。そうじゃないと、毎日校舎裏に行ったりはしない。楽譜を見て指揮のイメージをしていたんじゃないかな。


「俺こそ、ごめん」


 今度は土屋くんが謝った。


「指揮者に選ばれたのは、何も俺の方に実力があったからじゃない。ほら、トランペットって一年が多いだろ。先生も花岡を抜けさせるわけにはいかなかったんだ。だから、花岡の代わりに指揮をちゃんとしようと頑張っていたつもりなんだけど、空回りして……。キツイ言い方をしているって自分でも分かっていたのに。……ごめん、みんな」


 土屋くんは吹奏楽部のみんなに頭を下げて謝った。


「土屋くん、頭を上げてよ!」


「そうだよ! 土屋くん帰って来て!」


 土屋くんは吹奏楽部のみんなに囲まれる。


「帰って来てくれ、土屋」


 その輪の中には花岡くんも入っていた。


「水原さん、ごめん。こんなことに巻き込んで」


 部活を始める前に、土屋くんと花岡くんが私の元に来てくれる。


「そうだよ! 最初から素直にお互い謝っていたら、ゴミなんて散らさなくて良かったんだからね!」


 危うく先生に言いつけるところだった。私が二人をねめつけると、再びごめんと言って苦笑いをしている。


「でも秋の演奏会、楽しみにしているね!」


 これで綺麗さっぱり、謎も解けて吹奏楽部も元通りだ。


 きっと仲直りした二人なら吹奏楽部を導いて、素敵な演奏を響かせてくれるだろう。



  了

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