踊り子 アナベル 3話

 一日、一日があっという間に過ぎて行き、ついに二週間が経過した。

 アナベルを迎えに来たのは、母親からアナベルを引き離した騎士だった。怯えるように身体を震わせるアナベルを見て、ふいと顔を逸らして「これが金貨二十枚だ。では、少女は連れていく」とテーブルの上に金貨の入った袋を置いて、アナベルの手を強く握って家から出る。

 アナベルは必死に家族へと手を伸ばして抵抗しようとしたが、家族の誰もがアナベルに手を伸ばしてはくれなかった。ただただ、肩を震わせて泣いていた。


「ここからジョエルさまのところへは移動に時間が掛かる」


 騎士がそう言ってアナベルを無理矢理馬車へと押し込む。それから自分も乗り込み、御者へ合図を送ると馬車が動き出した。どんどんと遠ざかっている村を見て、アナベルは泣いた。声を大きくして泣いた。


「……悲しいか?」


 泣きじゃくるアナベルに対して、騎士がそう問いかける。

 アナベルは顔を隠して、こくんとうなずいた。


「……この世のすべては権力者のものだ。お前がジョエルさまの花嫁になるのは、ジョエルさまに気に入られたからだ。権力者に気に入られるっていうのは、面倒なことでもある。だがな……、生きたきゃ媚びるしかないんだよ。……だからお前も媚びろ、媚び続けろ。そうすることで、道が開かれるかもしれない」


 騎士はそう言ってやるせなさそうに目を伏せた。

 アナベルは泣きながら、騎士を見た。騎士の瞳に映る自分を見て、ぎゅっと両手を握る。


「……アナベルは、これからどうなるの……?」

「ジョエルさまの花嫁になる。……籍を入れるのはお前が結婚出来る年齢になってからだがな。婚約者ってことになるのだろう」

「……あんなおじさんのお嫁になるなんていやぁ……」

「……では、あの村は焼かれるな」


 淡々とした口調で騎士が続ける。


「お前はな、村を守るために売られたんだ。……恨むなら、その容姿で生まれた自分を恨め」


 ポロポロと、アナベルの目から大粒の涙が零れる。目元を擦って涙を拭き、睨むように騎士を見た。騎士はアナベルを見て、視線を逸らす。そして、黙ってしまった。

 すると、突然ガタン、と馬車が揺れた。


「きゃあっ!」

「……っと」


 バランスを崩したアナベルに騎士が手を伸ばす。そして、アナベルを守るようにひょいと抱き上げた。


「おい、どうした?」


 御者に話し掛けたが、返事が来ない。不審に思った騎士が御者の様子を見に馬車から降りると――魔物と睨み合っている姿が見えた。


「――っ! マジかよ……」


 騎士の背中に汗が流れる。こんな田舎道で出会うとは思わなかった。いや、むしろ田舎道だからこそ、魔物が居るのだろうか……。そう考えていたのも束の間、魔物は御者と馬をめがけて襲い掛かって来た。騎士が応戦しようと剣を抜いたが、間に合わなかった。御者は血まみれになり、馬は魔物に喰われていた。ガタガタと震えることしか出来ないアナベルは、ぎゅっと目を閉じて耳を塞いだ。


(悪い夢ならもう覚めて――!)


 彼女の願いも虚しく、魔物たちの唸り声、騎士の呻き声、自分の息遣い、すべてがこれは夢じゃなく現実だと教えていた。


(ここにいたら、殺されちゃう!)


 馬車から出て逃げようとするアナベル。魔物たちはいち早くそれに気付き、彼女に襲い掛かろうとした。

 しかし、幸いと言うべきか、不幸と言うべきか、足を滑らせたアナベルは、そのまま崖から落ちてしまった。


「きゃぁぁアアアっ!」


 アナベルが最後に見た景色は、落ちたアナベルを名残惜しそうに見る魔物と、騎士が腕を噛まれている姿だった――……。


「――ッ、ぅ……」


 ――生きている? とアナベルは恐る恐る目を開けた。どうやら、自分の身体はかすり傷程度で無事のようだと安堵すると、アナベルは落ちてきたところを見上げた。

 木の葉がクッションとなり、この程度の傷で済んだようだ。ゆっくりと起き上がり、服の汚れを払う。


「……ここは……どこ……?」


 森の中でたったひとりになったアナベルは、ぽつりと呟く。アナベルの目から大きな涙が零れ落ちるが、アナベルはごしごしと乱暴に目を擦って、深呼吸をした。

 村から一歩も外に出たことのないアナベルは、この現状をどうしようかと悩む。


(家族に会いたい……)


 優しい両親に兄と姉。とても幸せな家庭で生まれ育った彼女にとって、家族はとても大切な宝物だ。


「……村はどっちかな……」


 きょろきょろと辺りを見渡して、ふと黒い煙に気付いた。アナベルはドクンドクンと自分の鼓動が早くなるのを感じた。


(……行かなきゃ!)


 そして、確かめなければいけない。そう感じ取った彼女は、小さな足で黒い煙のほうへと駆け出す。一生懸命に走って、息を切らしたら歩いて息を整えて、を何回も、何十回も繰り返すうちに黒い煙に近付いていった。

 どのくらい時間が掛かったのか、正確な時間はわからない。とにかく黒い煙に近付きたくて、道なき道も駆けた。

 そして目の前に広がった光景に、彼女は息を飲んだ――……。

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