第23話 1時間未満の未来

 俺は少し前に会社を辞めた。早朝から深夜までの、ハードな仕事に嫌気がさしたからだ。


 今、マンガ喫茶にいる。かれこれ1ヵ月ほど通い詰めている。

 暇であったし、俺はマンガが好きだからだ。時間のあるときには好きなことをしていたい。


 流石に1ヶ月も通いつめていると、店員さんも俺の顔を覚えるようだ。

 俺が店に入ると、「あぁ、また来た」みたいな感じで頭をぺこりと下げられる。

 特に、とある女性の店員さんは、もう少し距離が近かった。俺を店で見かけると、「こんにちは」と声をかけてくれ、軽い談笑をしたりもした。もちろん悪い気はしない。

 胸もとの名札を見ると「ユリ」と書いてあった。苗字じゃないんだ、と思うが、それが店の方針なのだろう。


 俺がこのマンガ喫茶が好きな理由は二つある。

 一つは蔵書が多いこと。この店はメジャーなものからマイナーなものまで揃っている。これはマンガ好きにはとても嬉しい。

 もう一つは店員のユリさんの存在だ。声をかけてくれるというのは、素直に嬉しい。お客と店員さんという関係であったが、繋がりを感じればその店に足を運ぶ、というのは当然の事のように思えた。


 マンガも適当に読み終わり、そろそろ帰ろうか、と思い時計を見る。18時少し過ぎ。家に帰るには、ちょうどいい時間のように思えた。会計用紙を持って、レジに向かう。


 レジにはユリさんがおり、俺は会計用紙を渡した。

 すると、ユリさんは何故か会計をせずに、手元にあった紙に何かを書き出した。ちょっと変な感じがしたが、書き終わるまで待つことにした。何かを書き終わったユリさんは、俺にその紙を渡した。それにはこう書いてあった。


「私のバイト、19時で終わりなんです。もしよかったら、もう少しだけ待っていていただけませんか?」


 一瞬、何が起こったかを理解することが出来なかったが、数秒後に意味を悟った。

 再度ユリさんを見ると、少しはにかんだ笑顔で会計用紙を差し出していた。


 俺は会計用紙を受け取り、もう一度さっき座っていた席に戻った。そして改めてマンガを読み始めた。胸が高鳴っているせいで、マンガの内容は頭に入ってこない。あと1時間未満の未来が待ち遠しい。早く、早く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る