第22話 プライオリティ
定時を回ったが、俺の仕事は終っていなかった。今日は花火大会が海で行われるはずだ。
俺には好きな子がいた。そしてその花火大会に誘おうか迷っていた。
結果論だが、誘わなくてよかったと思う。残業で約束が果たせなくなるところだった。
「あれ、まだいたのか。今日花火だろ? てっきり好きな子誘って行ってると思ってた」
そう声をかけてきたのは、俺の上司だ。
20年近く営業マンとして働いている大ベテランだ。駆け出し営業マンの俺の、尊敬の対象でもある。
フランクで面倒見のいい人なので、俺に好きな子がいることは伝えていた。
俺は「まだ仕事が終わってないので帰れません」と返答した。
「んー。そうか……ちょっといいか?」
俺は、なんのことだろうか、と思った。仕事が遅いことに対する叱責だろうか。
「営業っていう仕事はな、物売るのが仕事だ。でもそれだけじゃないんだ。物売ることでお客さんを喜ばせ、幸せにするんだよ。この話は前にもしたと思う」
確かにこの話は前にも聞いた記憶がある。しかし少なくとも、俺はそう思って仕事をしてきたつもりだ。
上司は続けた。
「でだ、今のお前がお客さんを喜ばせられるとは思えんわけ。女の子一人喜ばせられないお前が、どうやってやるんだよ。ましてやお前の好きな子だろ?」
言葉が胸に突き刺さる。確かにその通りとおりだった。自分の好きな子を喜ばすことすら、俺には出来ていないのだ。
「お客さんを喜ばすためには、相手のことを考えないといけないわけだ。顧客視点ってやつかな。でだ、今、好きな子を喜ばすためにはどうしたらいいと思う? そうやって考えてみたことある?」
それを聞いて、俺は上司に頭を下げた。
「すいません。行ってきます。ありがとうございます。」
「いい男ってのはな、仕事も恋愛も両立させるんだよ。でな、いい男だからいい仕事が出来るんだ。だからほら! さっさと行ってこい!」
俺は急いで帰り支度をした。仕事は明日にでも処理すればいい。多少忙しくなるだろうが、花火は今日しかやってないのだ。
片づけが終わり、自分の車に向かった。そして途中であの子に通話をかけた。
発信音の後、少しあって繋がった。
「もしもし、どうしたの?」
いくらかの会話のあと、今から一緒に花火大会に行く、という約束を取り付けた。
出かける準備に20分くらいかかるらしいが、車でこの子の家に行くならちょうど位の時間だった。
俺は心の中でガッツポーズをした。
通話を切った俺は会社の方を向き、頭を下げた。感謝、という言葉がぴったりの心境だった。
俺はあの上司の下で働けていることを誇りに思った。
「ありがとうございます」小声でそう呟きながら、車に乗り込んだ。
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