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ここ数日、珍しくオルテガは出かけていた。
出かけるといっても森の中ではない。街へ、である。
いつもは食料から雑貨まで、たいていのことは定期的に街に出かけるダービッドにおんぶに抱っこの、あのオルテガが、だ。
俺がこの森に来て以来、初めてのことだった。
数日前、ダービッドが街から帰ってきた。
ダービッドは定期的に街に出て獣の皮を売り、かわりに生活に必要な食料や雑貨を買い込んで戻ってくる。
それが生活のパターンだった。
ところが今回、変わったものを持ってオルテガの元へと訪れた。
きちんと封のされた書簡だ。
それを読むなりオルテガは支度をし、「四、五日で戻る」と言い残して出かけたのだった。
驚きはしたものの、家主のオルテガが留守だからといって、べつに何かが変わることはない。
誰かがこの家を訪れるわけでもなく、どこかへ俺が出かける必要もないのだ。
いつもどおりに鍛錬を繰り返すだけのこと。
ただ、気掛かりはあった。
それは、『いつケルベロスを狩りに出かけるか?』だ。
オルテガが四、五日経って戻って来るならば、そこで課題の話が出るということは十分にあり得る話だ。
いつも以上に弓矢に剣の手入れをし、一人で獣を狩りに出ては想像を膨らませて練習をこなした。
対決の日が近いなら、万全の準備が必要だ。
そのためには、自分だけではできない、とても重要なことが残っていた。
オルテガが戻るのが明日か明後日かという夜。
落ち着かなくなった俺は、ティファネに頼みに行く事にした。
もちろん翌日の昼でもよかったのだが、遅い時間に出かけることを咎めるオルテガはいないのだ。
わざわざ断って出かけるということをしなくても済むぶん、こんな夜でも気軽に出かけられる。
剣だけを身につけ、暗いとはいえ、すっかり慣れた森へと駆け出した。
「ダービッド! ティファネ!
遅くにすまない、キランだ、入れてくれ!」
ノックをしながら中へと呼びかける。
……が、ふと気づく。
いまは夜。あたりは当然暗い。真っ暗だ。
それならば扉の隙間からは、必ずランプの灯りが漏れているはず。
しかし、そこに浮かびあがるはずの、オレンジ色の光の筋が地面にない。
妙だった。
——もう寝ている?——
すぐさまそっと扉を引いてみる。
すると戸はすぐに開き、やはり中は外と同じく真っ暗だった。
親娘で揃って街に出ることは、これまでにもあった。
その可能性を考えるも、すぐにそれを打ち消す。
だいたい何も言わずに街へと出かけることはないはずだ。
それに、美味そうなこのにおい。
奥のほうからは、ごく最近に調理したと思われる、いいにおいが漂っていた。
勝手に奥に入ってかまどを確認すれば、やはり温かいスープが残されている。
思わず味見とすくって飲むが、やはり美味い。
しかしそんなことをしている場合ではないとすぐさま建物を出て、暗い森へと呼びかける。
「ティファ!」と何度も呼びかけるが、答える者は誰もいない。
かわりに聞こえてくるのは獣や鳥の鳴き声ばかり。
おかしな事態に気持ちがザワつくのを感じる。
いつしか胸の鼓動が早くなって、俺はあてもなく駆け出した。
——いったいなにが起きているんだ——
月のない、真っ暗な夜。
こんな夜はただの鳥の鳴き声さえも、なんだか不吉なものに聞こえてしまう。
けれどそんなのは聞いている俺の方の問題だ。
鳥が人の言葉をしゃべりだして不幸を報せるなんて話は古今東西聞いたことがない。
不安な時に聞けば不吉に感じるし、気分がいい時なら気に留めることさえない。
そんなものだ。
そして今、俺の耳に届く鳴き声……、それは不吉なものに聞こえた。
ということは、自分がひどく不安を感じているということなのだろう。
——ティファネのやつ、どこへ行ったんだ…… それにしても、うるさいなッ——
鳥や獣の鳴き声は気のせいだと自分に何度言い聞かせてみても、いつもより森が騒がしいことに間違いはなかった。
低く唸るような遠吠えが、いくたびも森をわたっていく。
声のするあの方角は、ケルベロスの縄張りのはずだ。
この森に迷い込んだ誰かが踏み入ってしまったのか?
それとも……
とにかく走った。
騒がしい声のする方へとただひたすらに急ぐ。
獣道を駈け、枝葉が皮膚を傷つけるも構わずに走った。
「ティファ、どこだ!」
「ティファ、いたら返事をしてくれ!」
「ティファネッ」
「キランッ!」
——ティファの声ッ!——
声が聞こえた方へと急ぐが、木々が視界を遮り姿は見えない。
迂回するのがもどかしく、獣道から逸れて暗い崖を蹴って飛ぶ。
——いた!——
「大丈夫か! 安心して、もう平気だ」
飛び降りたそこは、少し開けた場所だった。
しかしながら俺の目に映る状況は、自分がさっき発した言葉とはまるで正反対。
考えなしに飛び込んでしまったことを、早くも後悔するような状況が展開されていた。
「おまえらには会いたかったけど、再会はちょっと早いな」
思わず独り言が漏れる。
——歓迎用の甘い焼き菓子を頼むはずが、これじゃあな…… 気が逸ったのは、虫の知らせってことか……——
こちらを見つめる赤い瞳には、覚えがある。
忘れようもない。
それは、あのケルベロスの瞳に間違いなかった。
「あたし、なにも悪いことはしてないよ! ちっこいのが夕飯のにおいにつられて家によってきたから、ご飯をあげてちょっと遊んであげただけなんだ。それから森に返してあげようって」
「小さくたって、それは魔獣ケルベロスだぞ。呆れるな」
「だってッ、子供に罪はないわよ」
「……だと、いいけどな」
わかっていることは、どうやらティファネと俺は敵だと思われている、ということだけだ。
それが誤解であろうとも、相手は人語を解さぬ連中。
説明が通用する相手ではなかった。
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