試練
1
手近な目標が定まると、月日の過ぎるのは早くなるものらしい。
これは最近の実体験からの感想だ。
あの日、結局オルテガの弟子になることはできなかった。
だがティファネの機転というか強引さというかで、弟子ではないものの、ここに居ることを許されることになった。
言ってみればそれは猶予期間だった。
『ケルベロスを狩って牙を持ち帰れ』
そう言われてから、目標に向けてやることはシンプルだった。
とにかく鍛錬しかない。
自分に比べて圧倒的強者である魔獣を狩るには、ひたすら鍛えるしかない。
剣を振り、森を駆け、オルテガの訓練を見て、それを真似する日々。
オルテガは狩りのときに僕に貸した剣を、「好きなだけ使っていい。だがくれてやるわけじゃないからな」と、もったいをつけつつも再度貸してくれた。
それからはとにかく剣を手放さないようにしている。
手放すのは水浴びくらいなもので、寝るときはベッドの中で共に横になるほど。
オルテガは彼の言葉通り、直接教えてくれることは決してなかった。
もしかすれば機嫌がいいときにでも、『ちょっとくらいは教えてくれるのでは?』、という甘い期待もあった。
同じ家に住み、似たような暮らしだ。
庭で鍛錬していれば、ときには互いに近くで剣を振ることもある。
だがオルテガは決して教えようとしない。
教えもしないが、近くでそれを観察しようとも邪険にすることはなかった。
彼が出かけて森で獣を狩るときは同行させ、その様子を間近で見せてくれたりもした。
それが彼の最大の譲歩、ということなのだろう。
一方で最近は弓矢の方も覚えはじめた。
それはオルテガではなく、ダービッドから。
猟師であるダービッドの狩りを、ティファネと共に手伝うのだ。
猟師の荷運びの雑用としてふたりをフォローしつつ、弓矢の扱いの手ほどきも受ける。
ダービッドはオルテガとは違う静かな男だ。
性格も主義も違う。
オルテガのように頑なではなく、こちらから頼むまでもなく丁寧に一から教えてくれ、実際に獲物を狙わせてもくれた。
むしろティファネが得意げにして、あれこれ教えようとしてくるほうが鬱陶しかった。
矢を一本も無駄にすることなく獣を射抜いてしまうダービッドに手ほどきを受け、困ることなどひとつも無い。
むしろド・フェランに復讐することを思えば、遠くからも狙える手段があるに越したことはないのだ。
そんな日々の暮らしぶりの変化とはべつに、身体のほうにも変化があった。
いつの間にか、ティファネの背を追い抜いていたのだ。
ちょうど成長期なのだろう。
ティファネを超えた背丈はまだ伸びつつある。
僕は僕を捨て、自分のことを『俺』と言うようになった。
こうして無駄な日々は一日もなく、時間は弓弦から放たれた矢のように飛び去っていく。
いつしかまた月日は巡り、ケルベロス狩りの時期がすぐそこまで迫りつつあった。
正直なところ、まだ一人きりで倒すことは難しいと思う。
だが、やってみせる。
そしてオルテガに認めさせるんだ。
みんなには黙っていたが、俺には勝算があるのだ。
その秘策にくわえ、一年間鍛えた俺を組み合わせる。
そして導かれる結論はそう、確実に勝てる、だ。
オルテガほどあっさり倒せるとまでは言わないが、ほとんど傷もつけられなかったあの頃とは違うはず。
あのときなぜ俺の攻撃がまったく無駄だったのかについては、それはすでに種明かしをされている。
魔獣ケルベロスの体毛は特殊で、毛の流れに沿った攻撃は効果が薄く、通らないそう。
オルテガほどの一撃を持たぬものは、逆立てるように斬り込み、打ち込まねばならないそうだ。
「では親娘の矢は?」という当然の疑問も湧くのだが、その問いはあっさり却下された。
「ティファネの矢は挑発だ、刺さる必要はない。それにな、ダービッドの弓は特別だ。おまえには弾くことさえできんよ。一緒にしてやるな」と。
実際に後で触らせてもらったが、あまりの強い弦の張りにとても引くことはできなかった。
オルテガの剣も特別あつらいのようだったが、ダービッドの弓もまた、具体的なことはわからないものの、やはり特別製のよう。
わかり易いオルテガの凄さに隠れて、見落としていたことがあると気づかされる一件だった。
話がそれた。
俺は三人でさえ知らない、彼らの弱点を知っている。
絶体絶命のあのとき、本当の意味で俺を救ったのはトドメを刺したオルテガではない。
じつはティファネだ。
正確にはティファネの作った、蜂蜜で味付けされた焼き菓子が俺を救ってくれた。
あの日、早めの昼飯に出された干しリンゴと固めの甘い焼き菓子。
ともに濃厚な甘さで、後味が尾を引いて口に残った。
ティファネには悪いが、途中から俺はうんざりしていた。
だからあとで食べればいいかと焼き菓子を食べ残し、包んで懐に入れていたのだ。
それが木にぶつかって倒れたあのとき、ナイフと共にこぼれ落ちた。
完全に無防備になっていた俺を放り出して、ケルベロスは一目散にそちらへと飛びついたのだ。
だからこそ俺は逆転できた。
あの場面で敵を放っておいて、飛びつくとはよほどのことだ。
間違いなく彼らの好物に違いなかった。
ティファネに頼んであの時と同じ物を用意してもらえば、いくらでもやりようがある。
確実に勝てるはずだ。
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