3

 言い捨てるが早いか、オルテガは走り出した。

 その姿を追うと、どうやら左前方に見える、長身の彼の倍ほどもある岩へと向かっているようだった。

 オルテガがそこへたどり着く寸前、遠くで一本の線が糸を引く。

 ギャッという人ではない悲鳴があがった。

 そこへ続けざまに矢が射かけられると、白い塊が飛び出す。

——あれが、ケルベロスか!——

 白い立派なたてがみに鋭い牙。

 薄暗い木立の中で、瞳が赤く揺れた。

 獣は大人の何倍もの重量がありそうな大きさだが、一度沈み込むと嘘のように跳ね飛んだ。

 そのまま駆け出してくるケルベロスへと繰り返し矢の雨が降る。

 しかしどうも半分は外れているようだった。

 矢の軌道からして、親娘は別の位置におり、そこから後退しながら矢を放っているらしかった。

——逃げながらだから外れている、いや、あれは……、魔獣の行く手をコントロールしているのか?——

 ケルベロスは刺さった矢を嫌がってか、時折止まると身震いして振り落とそうとしたり、前足で頭を擦ったりしていた。

 そうこうしているうち、ついに魔獣は大岩まであとわずかと迫っている。

 もちろんその影には、あの男がいた。

 四つ足はそんなことなど露知らず、矢を放つ親娘を追って岩を通り過ぎようとした、その時。

 隠れていたオルテガが飛び出し、ケルベロスの前を横切った。

 獣はそのまましばらく前へ進むと、ぼとりと首を落とした。

 頭を失った身体はなおも数歩進み、やがて力無く崩れ落ちた。

——たった一太刀ッ!——

 見事というほかになかった。

 その後も基本は同様の連携をとり、確実に誘い出して刈り倒していく。

 ときに相手が一頭ではなく二頭と重なるときもあったが、そのときはオルテガは無理に首を狙わず、足を一本斬り飛ばし自由を奪った。

 足を失った獣はバランスが取れずに途端に動きが鈍くなり、もう力を発揮できない。

 手負の相手の様子を確認するまでもなく、彼は次に向かってくる一頭へと意識を切り替え、今度はまた首を刎ねた。 

 オルテガにいくら力があろうとも、はじめから正面で対峙していては相手も警戒する。

 俊敏さもあり、こうも簡単には行くまい。

 あくまでオルテガを隠しておき、そこへ誘導して不意を突くから簡単に見えるという作戦だった。

 それにこれならティファネの腕力程度で放たれる矢であっても、十分に意味のあるものとなるのだろう。

 なにせぶ厚い皮膚を貫く必要などまったくないのだから。


——これだ!——

 考えれば考えるほど、復讐のために強さは必要だ。

 いや、むしろそれしかない。その上でうまく活かす。

 その方法がここにあった。

 ド・フェランを討つには奇襲しかないだろう。

 王城に味方がいるならともかく、そういう伝手は僕にはまったくないのだ。

 それも行き当たりばったりではなく、こうやって相手をはめ込むような戦い方が必要だ。

 おそらくド・フェランに仕掛けるとして、移動中を襲うぐらいしか僕には機会がないだろう。

 ならばまずはじめに、僕自身に戦える力がなければ話にならないではないか。

 ——そうだ、剣だ! オルテガがケルベロスの首を鮮やかに刎ねたように、やってやる。

 ド・フェランの首を、僕がッ!——


 僕は目の前のケルベロス狩りの様子をド・フェランに重ねて見た。

 実際にそうなれば、どれほど胸がすくことだろうか。

 そしてその首を、墓のない姉に捧げるのだ。

 僕はすっかり見事な狩りの見物人で、見たるべき未来の妄想の虜となり、しばしの時を過ごした。

 ド・フェランの首が刎ねられる。

 それは妄想であったとしても、ここ最近で一番わくわくする時間だったのだ。


 ガサッ!

「うん? なんだ」

 ケルベロスや三人が暴れ回っているから、近場の鳥や獣はすっかり逃げ出しているはずだった。

 だが、どうやら逃げ遅れた間抜けがいるらしい。

——どうせウサギかキツネの類だろう——

 そう思って振り返ってみる。

「なッ、ケルベロス! なんでここにッ」

 血のように赤い瞳が、僕だけを見すえてそこにいるではないか!

——逃げなければッ——、そう思ったが、あまりに近過ぎる。

 背中を見せた瞬間、ひとっ飛びで首にでも噛みつかれてしまう距離。

 かといってジリジリと下がっても、なんの解決にもならないと思われた。

——どうすれば……、そうだ!——

 いまさらになって、オルテガに渡されていた剣のことを思い出す。

 オルテガも言っていたではないか、構えをとれば時間を稼げると。

 ならばそのあいだに助けを呼びさえすれば、どうにかなるはずだ。

 剣は鞘から抜いてある。

 抜いてはあるが……

 三人の狩りに感心するあまり、座り込んで眺めていたときに手放し、地面に置いたままにしていたのだ。

——大丈夫、すぐそこだ。地面に置いたままのそれを、しゃがんで拾い上げ、正面で構えるだけ——

 ゆっくりと腰を下げ、剣を拾い上げるや否や、それはあっさりと弾き飛ばされた。

 魔獣はこちらのわずかな隙を決して逃さない。

 地面の剣へと視線を切ったその瞬間、目の前まで距離を詰めてきたのだろう。

 つかみ上げた瞬間、それは前脚によって跳ね飛ばされてしまった。

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