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「不満そうだな?」
「えッ」
そのつもりはなかったが、あからさまに表情に出てしまったらしい。
——場所も相手もわからないのに、しまったか——
動揺する僕のことなどどうでもいいかのように、男は懐から何か取り出した。
それを指で揉んでから口に入れ、屑か何かを床に捨てた。
ボリボリと砕く音がしている、ナッツの類だろう。
噛み砕いて飲み込むと男は口を開いた。
「フン、では証拠をあげてやろう。ここがどこかわかるか? ここはな、魔獣の森と呼ばれる森よ。『魔獣の——』なんて呼ばれるくらいだからな。このあたりに住む奴なんかろくにいないのさ。おまけにおまえが打ち上げられていた川べりな、あそこは普段誰かが立ち入る場所ではない。
なぜかって?
そりゃそうだ、上流から死体が流れ着いたりする川だからな。この意味、おまえにわかるか?」
「……」
僕はどう応えるべきか、判断がつかなかった。
たった今目覚めたばかりなのだ。
そもそも裁きの滝へと飛び込んだはいいものの、助かってからのことまで考える余裕などなかった。
僕にあったのは、ただ生き残ってやるという意気込みだけ。
どこに流れ着き、どうやって生きていくのかなんて、計画もなければ伝手もない。
そこへきての、この問いだ。
男は僕の答えを待てなかったのか、あるいは初めから期待してなどいなかったのか、続ける。
「たまたまティファネの奴が、気まぐれで行っただけよ。そこにどういうわけかおまえが倒れてた。
ろくすっぽ住んでる奴がおらんのに、ティファネの奴が見つけたんだ。ひどく傷だらけなのにまだ息がありやがるおまえをな。そしてわざわざ縁もゆかりもない、何処の馬の骨ともわからん者を家にあげて面倒を見てやるという、なんとも奇特な俺様がいたと。
どうだ、これだけそろって奇跡以外になにがある」
——奇跡、か……
僕は今日、ここで目覚めた。しかしフォウラ姉さんやダバン、牢屋番は二度と目を覚ますことはない。僕と彼らをわけるものとは、奇跡があったか、無かったか。たったそれだけの差なのだろうか——
僕はしばらく考え込んだ。
「で、どうした? いったいなにがあった?」
「なにが、ですか?」
「そうだ。誘拐か、見せしめに投げ込まれたか、それとも……」と男はニヤリと笑う。
——困ったな、滝流しの刑を知っていると言う口ぶりに思えるが、どう言えば……——
聞かれたからといって、まさかすべての真実を話すわけにはいかない。
僕の身に起こったことは簡単に話せるようなことではないし、この男がそれを信じるかどうかもわからない。
うかつに事情を明かせばすぐに身柄を引き渡され、せっかく裁きの滝をくぐり抜けた苦労も、すべて水の泡になるかもしれないのだ。
いや、それだけではない。
下手をすれば明かされるべきではない秘密を知ってしまった彼らまで、牢屋番のように巻き添えをくって殺される。
そんなことはもう嫌だった。
「どうした、なにか聞かれると不都合があるのか?
まさか少年が処刑されるような罪を犯して、泳いで逃げて来たわけではあるまい?」
——……黙ったままはまずい。はやく何か答えをッ——
「その、じつは——」
「——開けくれるかい! 手がふさがってるんだ!」
部屋にくぐもった声が響いた。
扉の向こう側から、さっきの少女だろう、呼びかける声がした。
少女の声は、いまの僕にとって救いの女神だった。
とりあえず口を開いたものの、僕にはどう答えるべきか、なんのアイデアもなかったのだ。
男は「いま開ける」と声を張りあげて立ち上がり、扉へ向かう。
少女は中へ迎え入れられると、「ありがとよ」と男に軽く礼を言う。
ふんわりと室内になんともいえぬにおいが満ちる。
急に腹の軽さが気になってきて、自分が空腹であることに気づかされた。
「ずいぶんと水っぽいメシだな! それじゃ腹の足しにもならんぞ」
「オルテガ、まさか自分が食べる気? ほんと信じらんない。さっき食べたばっかりでしょ!
あっ! またここでナッツを食べたね! 自分じゃ掃除しないくせにッ。
……あっと、ごめんよ、騒がしくしちまって。病人がいるんだかなら、静かにしなきゃ」
少女はベッドの端にトレーを置くと、さっきまで男が座っていた椅子を僕の枕元に寄せて腰掛けた。
「だいたいね、弱ってる人が肉のカタマリをムシャムシャ食べるなんてことあるわけないでしょ。オルテガとは全然違うのよ、この人は」
「どういう意味だ、それは」
「この人は繊細で優しそうってこと」
「なに! じゃあ俺はその反対か?」
「そうね、がさつとか、気が利かないとか、野蛮とか、食い意地が張ってる?」
「おまえ、俺をそんなふうに思ってたのか。こいつが繊細だと? たんにこいつが枯れ枝のように細く頼りないだけだろうが。俺が力を入れればポッキリと折れちまうぞ、ったく」
オルテガと呼ばれた男は少女に居場所を奪われ、腕組みをして壁に寄りかかりつつ文句を言った。
が、少女はそれを相手にしない。
「さ、無理にでも食べてもらうよ。空腹じゃ、生きる力が出ないからね」
そう言ってひと匙すくうと、僕の口の前へと差し出してきた。
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