生まれ変わる 暗闇のキラン
1
「姉さんッ」
「痛ッ!」
女性の悲鳴が聞こえてきて、僕はハッと目を覚ました。
叫んだ僕の目の前には、今まで見ていたはずの光景はもうどこにもない。
血染めのドレスをまとい、今にも死にゆくフォウラ姉さんの姿は……
どうやら悪夢にうなされていたらしい。
背中や脇がじっとりと汗ばみ、それが冷えて気持ち悪かった。
視界には見知らぬ木組の屋根裏が見えている。
どうやら自分はベッドに寝かされているらしかった。
ギシッと軋む音がすぐ横から鳴った。
気づけばベッドの脇に、姉さんには少しも似ていない少女がいるではないか。
名前も知らず、見覚えもない。
彼女の服はなぜか襟首が伸びていて、胸元の肌がきわどいところまで露わにのぞいていた。
張りのある浅黒い肌は健康的、かつ、活発な印象を見る者に与え、深窓の令嬢然とした姉とは正反対。
栗色の髪をバックにまとめており、ぱっちりと大きな鳶色の瞳に引き込まれた。
「……姉さんじゃ、ない……」
「悪いね、夢を壊しちまったみたいで。残念だけど、あたしは姉さんじゃないよ。
それはそうと、手を離してもらってもいいかい?」
「これはッ、すまない」
僕はついさっきまで悪夢にうなされていた。
死にゆく姉さんをなんとか引き止めようとするあまり、現実世界の少女の服を、強くつかんで引いていたらしい。
慌てて僕が手を離すと、彼女は襟首や肩口を引き上げて整え、腰紐を結びなおして身なりを整える。
——ここは、いったいどこだ?——
少女の着る服は王族や貴族のドレスではないし、メイドのものとも違っていた。
シンプルな生成りのチュニックを腰で縛ったもの。
部屋の壁や屋根は木がむき出しのままで、いっさいの装飾はない。
妖精が一面に描かれた王子の寝室の天井ではなく、かといって地下牢の湿った黒い岩肌でもない。
「まあよかったよ、そろそろ気がつかなきゃダメかと思ってたからね」
少女は袖を離した僕の腕をとると、毛布をめくって布団の中へと導いてくれる。
「ここは……」
「目が覚めたんなら、無理にでも食ってもらうよ。あんたは二日も寝込んでたんだ。ちょっとでも食べなきゃ元気にならないからね」
年の頃は僕といくらもかわらないように思えた。
しかしこの口ぶりだ、僕より年下という感じではない。
「ちょっと待ってな、あっためなおすからさ」
そう言い残して少女は扉を開け、出て行ってしまった。
建物のつくりや少女の様子からすると、ここはどこかの農村のように思えた。
『ここは……』の問いに答えてもらえなかった僕は、自然とその答えを自分で探そうとした。
屋外の景色を見れば、場所がどこなのかわかる手がかりがあるかもしれない。
「痛ッ」
そう思って半身を起こそうとしたが、途端に身体が悲鳴をあげた。
それでもどうにか、ベッドから引きはがすようにして上半身を起こそうと試みる。
なんとか起き上がって、すぐそこの窓まで歩いていきたい。
——たいした距離ではない。なんとか無理をすれば——
けれども片肘をついて身をよじるのが精一杯で、ベッドから降りることさえままならなかった。
ここで二日も寝込んでいると少女は言っていたが、どうやら本当のことのようだった。
ここがどこか、少女が誰か、それはわからない。
だが一つだけわかることがある。
——僕は勝った……——
これまで生きてきて、はじめて自力で勝ったと、そう思えた。
姉を守れず、皇太子を追われ、牢屋番でしくじった。
けれど、だ。
絶対に負けられないという、ここ一番。
生き残るということ……
その一点で、僕は勝ち残ったのだ。
悪党どもと手を組むことを良しとせず、裁きの滝へと自分から飛び込み、無実を証明してみせた。
誰の為でもなく、自分の為に。
宰相は僕が死んだと思っているに違いない。
生きてさえいれば、復讐の機会は必ずある。
いや、たとえ無くとも、この手でつかんでみせる。
ド・フェランの首を、必ず掲げてやる。
コンコン!
ドアをノックする音が室内に響くと、僕が返事を待つまでもなく扉が開かれた。
少女が部屋に入ってくる、そう思ったが、そこにさっきの少女はいない。
代わりに立っていたのは、すらっとした長身の男だった。
長い手足に、これまたスッと長い首。
それでいて長身のものにありがちな細身ではなく、胸や二の腕にはしっかりとした筋肉がうかがえた。
男の姿に思わず警戒し、身体に力が入る。
「どうだ、調子は?」
——代わりに入ってきたこの男……、少女の父親か?——
「どうにか、大丈夫そうです」
「そうか、まあ、そんな様子だな」
男はベッドの脇までやってきた。
さっきまで少女が座っていた椅子をつかむと逆向きに回す。
それから背もたれを膝ではさみこむように座り、背もたれの上で腕を組んで顎を乗せ、僕を見た。
「ツイているな、少年。
ツキのある奴ってのは、どうやって殺そうとしても死なんもんだ」
唐突なその言葉に、思わずムッとする。
——ツイてるだと? なにも知らずに気楽なことをッ——
自分がツイているなどと、思えるはずもない。
ここ数十日のあいだに起きたことを思えば、怒りを感じずにはいられない、軽い言葉だった。
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