13
すっかり冷静さを失っている彼女は、震えながら首を左右に振るばかりであった。
僕を斬り捨てるなどできず、それでいて反抗されても怖い。
そんな感じのように思えた。
——体当たりでも蹴りつけるでも、今なら僕でも……——
軽く腰を落とし、いつでも動けるように姿勢をとった。
だが、そのあとが続かなかった。
似てなどいない年上の女のはずなのに、なぜかフォウラ姉さんの影が重なり、チラつく。
——こんなときにッ、僕はなにをやってッ——
激しい戦場の片隅で、二人だけは変わらず動けぬまま。 固まったまま向き合い見つめ合うふたりではあったが、戦場は自由に葛藤させる時間を与えてはくれぬ。
互いに斬り結ぶ兵士と賊がもつれてながら、こちらへと流れてきたのだ。
兵士は横目でディアドラのほうを見ると、
「なにをやっているかッ、ディアドラ、殺せッ!」と叱責する。
それに対抗するように対峙する賊が、
「罪人ならおまえも立てッ、戦え!」と僕を煽った。
ディアドラはついに背中に負ったメイスに手を伸ばした。
取り出し正面で構えるも、メイスは震えている。
信じる神の正義とやらも、彼女を迷いなく導くことはないようで、そのまま僕へと向かってくる様子はない。
「ええいッ、こんなガキひとり殺せんのか! 使えん奴めッ」
苛立った声とともに兵士が槍をしごくと、その場でギュッと方向を変えて飛んだ。
槍の穂先が向かう先は斬り結び合っていた賊ではなく、僕。
——かわせるかッ——
身をよじって次に備えねば……、そのとき、思いもかけぬ事態が起こった。
目の前に立ち塞がる、影。
鮮血が舞った。
「なッ、なぜ!」
穂先はディアドラの脇を抜ける。
彼女の肩越しに見る兵士の顔は、予想外の出来事に驚き固まる。
「もらったッ」
一瞬動きの止まった兵士は、目の前の賊を放っておいたことが命取りになった。
賊の刃が弧を描き、兵士の首が刎ね飛ぶ。
「手こずらせやがって。これでお前も自由の身だな。来いよ」
賊は倒れたディアドラを捨て置き、僕と彼女をつなぐ縄を切る。
僕は無言のまま、首のない兵士の槍をつかみ上げた。
「来な、ボスたちを助けるぜ」
賊はそう言うと救うべき仲間たちの方を見た。
その背中に向け、僕はつぶやく。
「おまえらのせいで、ディアドラは……」
そして一直線に突き出した。
槍は男の肩を貫き、不意をつかれた男は崩れた。
「なッ、クソが。助けた恩を忘れやがってッ」
「……頼んでませんよ。今度は外さない」
心臓に狙いをつけ、槍を引き絞る。
「やめ…る……んだ」
「生きていたのか! ディアドラ! よかった」
「止めるんだ。罪を、つくるな」
僕は彼女に駆け寄ると、抱えるように身を起こした。
のぞき込んで見る彼女の瞳は、互いに向き合い葛藤していた頃より、よほどはっきりと光を持っているように見えた。
「ディアドラ、あなたはなぜ僕をかばったんだ、命令だったはずだ。
どうせ助けても処刑を待つ身。助けても得にならないどころか、命令違反で逆に始末されるかもしれないのに」
「なんでかな? 身体が動いた、それだけだ」
傷が痛むのだろう、整った顔立ちが歪んでいる。
しかめた顔は醜くなるものだが、逆に美しく僕には見えた。
「どうせこの役目は無理だ。落とされる罪人と落とす人間、どちらが悪いかわたしには見分けがつかないんだ。処分されるなら、いっそ気が楽」
彼女の中に、一切の後悔は感じられなかった。
それどころか、ようやく自分の心に従うことができた清々しささえうかがえたた。
だからこそ、今度は僕が彼女を守らねばならない、そう思った。
——そうだ、僕も心に従おう——
どうすべきか、僕の心が決まる。
幸いにもこの場所は乱戦の中心からは取り残されていた。
「ディアドラ。僕はね、無実なんですよ。今からそれを証明して見せます」
「なにをする気だ?」と、身体を起こそうとする。
それを押さえてやめさせると、彼女はそれ以上の無理はしなかった。
「しばらく動かない方がいい。怪我をしているんだ。
僕は行くよ。ここは僕のいるべき場所じゃない。
ディアドラ、あなたは僕を庇うなどという命令違反はしていません。あくまでも賊と闘い傷を負っただけのこと。そしてあなたを傷つけた賊は兵に討ち取られたが、残念なことに相打ちでした。それで通してください」
ディアドラの頭の下に手を添えてそっと地面に下ろすと、立ち上がる。
「何を言っている? どこへ……」
「僕は行くよ。ディアドラのように僕も心に従う。これは逃げじゃない。戦いの始まりだ」
再び槍を手に取った。
——もう守られてばかりいるわけにはいかない。自分で踏み出すんだ——
ディアドラは命令よりも自分の信じるものに従い、命をかけて僕を助けようとした。
ならば僕も、そうする。
命をかけるなら、後悔はしない。自分のやり方を貫くんだ。
「……さよなら、心優しい神官よ」
僕はもうディアドラを見ない。
振り向かない。
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