12
ディアドラは賭けには参加していなかった。
どちらに賭けるか聞かれもしなかったようだから、いつも参加していないのだろう。
うつむいていたままだったディアドラと目が合う。
彼女は僕が不安に怯えていると思ったのか、僕の肩にそっと触れてきた。
掌から温もりが伝わってくる。
ついに男が蹴落とされた。
すぐさま「いち、にい、さん、し」と兵士たちが声を合わせて数えはじめた。
——なんだ、この音は?——
兵たちの叫ぶカウントの合間に、別の響きがした気がする。
濁流の水音に隠れてはいるが、さっきまで聞こえなかった音だ。
——いや、音はいい。むしろ気にすべきはこの男の動き——
すぐさまボスを見る。
……やはりだ。音に気づいているものが、僕を除いてあと二人……
ボスと弟分は目配せし、うなずきあう。
すると間髪いれず弟は飛んだ。
大柄な弟分には三人の縄引きがついていたが、賭けに夢中になるあまり意識は完全に濁流の方。
唯一自由な足で、兵士の膝あたりへと踏み下ろすような蹴り。
膝下を押し潰されて支えを失った男は、呆気なくその場に崩れ落ちた。
弟が蹴り付けた男とは別の縄をグイとやると、縄の先にいる男は不意に引かれてつんのめり、弟の側へよろける。
そいつを下から膝で蹴り上げて身体を起こすと、最後の三人目が持つ縄を強引に引いてたわませると、引き込んだ男の首へと器用に一瞬で巻きつけた。
三人目が倒れまいと踏ん張ろうとすると、当然二人目の首に絡んだ縄がギュッと締まる。
息ができない男は苦悶の表情を浮かべた。
必死に指をかけて外そうとするが、どうにかなるはずもない。
自分の持つ縄が仲間の首を絞めていることに気づいた三人目の兵士は、助けようと弟分側へと一歩踏み出す。
が二歩目が続かない。
あっという間にふたりが無力化された事実に気づき、恐れたのだろう。
そのせいで首の縄がふたたび締まり、カエルを踏み潰したかのような仲間の悲鳴があがった。
兵士は一瞬の逡巡のあと、仲間を救うべく剣を引き出し縄を切った。
伸び切った縄が切れた反動で、切断した男はうしろに数歩たたらを踏み、そのまま四つん這いになる。
三人目の兵士の判断、それはすべて遅過ぎた。
いつのまにかボスが自分の担当官から自由になっていて、三人目に向かって走ると強烈な体当たり。
男は死角からの一撃に弾け飛び、別の兵士を巻き込みながら手摺を越え、下に消えた。
なんとわずかな一瞬で兄弟は自由になり、おまけにその手に得物まで収めていた。
すべての兵士がこの騒ぎに気づいた頃、誰の耳にも明らかな蹄の音が響いていた。
石畳を叩く蹄。
数頭の馬に乗るボスの仲間が、ついに橋の上まで辿り着いたのだ。
石橋の上の処刑場は、たちまちパニックに陥った。
数では兵士の方が多いものの、完全に不意をつかれたのだ。
——チャンスだ! しかし、どう動く?——
僕はディアドラを見る。
彼女もまた、突然の騒ぎにどう動くべきか判断がついていないらしい。
僕の縄を両手でしっかと持ちつつも、半歩踏み出し騒ぎの方へと目を走らせている。
仲間の危機に駆けつけるべきか、罪人である僕の確保を優先すべきか、その瞳には迷いの色が見えた。
僕はディアドラが縄を手放し、飛び出して行くことを願った。
あっという間に馬に乗る賊がたどり着き、向こう端の兵と戦端が開かれた。
さすがにもう賭けどころではなかった。
双方の激しい斬り合いが始まる。
囚われた仲間を救うべく戦う賊と、それを阻止せんがために剣を槍を振るう兵士たち。
戦いの中心はやはり、賊の中心人物であるボスと弟分だった。
二人を逃すまいと大勢の兵士が囲むようにし、それを崩し助けだそうと馬に乗ってきた賊が斬り込む。
そんな展開だ。
あたりには剣戟が響き、罵声が飛びかい、血飛沫が舞う。
冷たく固い石畳を枕にして、すでに動かない者もではじめていた。
繰り広げられる激しい戦いに、ディアドラはずっと固まったまま。
それにつられるよう、なぜか僕も動けずにいた。
乱戦の中で、一瞬人垣が割れる。
目の前の人壁が消えると、奥のボスと目が合った。
「坊主ッ! 連れて行って欲しけりゃ自分で女をどうにかしな!」
——そうだ、逃げねば!——
我にかえってディアドラを見ると、彼女の身体は細かく震えていた。
若く美しい女性兵士である彼女には、実戦の経験が無いに違いない。
怒号や罵声が飛び交う中で、聞き逃せない言葉が耳に飛び込んだ。
あの長官の声だ。
「捕らえている罪人は即刻切り捨てよ! すぐに殺せッ、殺してしまえッ!」
その声にビクッとしたディアドラは、振り向いて僕を見た。
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