9
罪人の腰縄を持たぬ護衛の兵士たちは、指示を受けて作業をはじめた。
人が足らぬのか、弟分の縄引き五人のうち、二人も作業に向かった。
あらかじめ橋の上に用意されていた木材を使い、橋の中央、下流側での作業だ。
正直に言って登るだけで疲れていた僕は、手伝わされずに済んでホッとする。
もっとも罪人に手伝わせるには縄を解く必要がある。
たんに手間やリスクといった安全上の管理を考えてのことで、決して役人の泣けるような優しさではないのだろう。
警護にあたっていた兵が作業にあたっているから、警備の人数そのものは薄くなっている。
隙があるならどうにかしたい。
しかし目に入るのは、立場の違いだった。
兵たちは替わるがわるに水を飲んだり補給食を口にしたりしていた。
だが罪人たちには一切が支給されない。
羨ましそうに見る者、あえて目を逸らす者、くだらない話に興じる者(ボスと弟分だ)に分かれていた。
僕はといえば、正直に言えば息を整えるので精一杯だった。
いくら牢屋で動き回っても、荒地を登るほどの負荷はかからない。
ぬかるんだ登りのせいで、逃げるよりもなによりも、休んでまず体力を回復させるほうが先だった。
いま待機させられているこの場所はひらけて見通しがよい。
遠くの景色を楽しむ遠駆けや、旅の途中なら、最高だろう。
しかしそれは隠れる場所がないことを意味している。
潜めるような藪や飛び込む森もなく、降りられそうな崖もなさそうだ。
相当に逃げ足に自信があっても、待機中に事を起こすのは厳しそうだった。
いまや雨は完全にやんでいる。
ときおり雲間を割って差し込む光は高くなりつつあり、そろそろ正午が近いように思う。
焦りを感じながら打つ手も無くずっとそれを見つめていたが、「そろそろ時間だな」とボスが口にした。
「やっと立ったみたいですね」
作業が行われていた橋の中央に、一本の大きな柱が立てられた。
兵士が数人がかりで大騒ぎし、縄をかけて引き起こしていた太い丸太が異様に見えた。
間違って磔の刑にしようとしているのか、と勘繰るような違和感。
「あれになんの意味があるんですか?」と話しかけると、ディアドラは目を伏せて顔を背けた。
さんざ僕を構ってきた彼女にしては、首を傾げる動作に思える。
仕方なく「どう思います?」とボスに振ってみる。
「あれがどうかなんて、たいして重要なことじゃないぜ。どうせやることは同じよ。
それよりも大事なのは、あとどのくらい時間がかかるか、それだけよ」
その後も作業は続けられる。
柱を中心にして、一段高いステージを作っているようだ。
そこまで手間をかける必要があるのかと、他人事のようにそれを眺めるしかなかった。
いまさら時間も何もなく、処刑までの刻は迫っている。
なのになぜ『どのくらい時間がかかるか』と、ボスはそれを気にしたのだろうか?
ボスの顔をそっと盗み見る。
その瞳は、じっと組み上げられつつある、罪人の晴れ舞台を見ているように見えた。
何を考えているのだろうか。
その視線を追って橋のほうを見る。
向こうの空に、正午近いから炊事の煙だろうと思われる筋が数本、空へ昇っていた。
ひどく空腹を覚えた。
さっきの長官とボスの言葉を思い出す。
最後の食事は無いと言っていた。
最後の食事は何であったろうか?
カビかけのパンか、スープであったろうか?
きっとあの煙の下で、誰かが飯の支度をしているの。
こんな山奥でも人の暮らしが煙の下にある。
それを見つめる隣の豪快な悪党も、ぼんやりと眺めながら『腹が減った……』などと僕と同じことを考えていたりするのだろうか……
そんなことを思い、煙からボスへと再び視線を移した。
——いや、違うッ——
いつのまにか男の眉間にはシワがより、さっきまでの無駄口を叩いていた表情とは一変していた。
遠くの煙を射抜くかのような鋭い視線に、僕は目を逸らす。
しかし、それでももう一度……
この男、ボスと呼ばれる男へと、自然に目が引き寄せられた。
——『完璧な逃走計画』……
あれはたとえではなく、口をすべらせたんだ。だから弟分が『兄貴ッ』と諌めた。そうに違いない。仲間はまだ残っていると言っていたはずだ。だとすれば、生きる道がここに——
見下げた悪党。
処刑の前に説教してくるおかしな男。
死を目前にして豪快に笑っていられる理由。
男は『自分のやりたいことをやってやる』と、そう言った。
やってきたと、終わったことのようには決して言わなかった。
仲間が駆けつけ、助け出されて逃げおおせる。
そんな確信があったなら、自分の処刑を人ごとのように笑い飛ばしてもなんら不思議はない。
そうだ、そうに違いない。
なにせ処刑される予定はボスの頭の中には存在しないのだ。
僕の事情をカネにできないか考えるという妙な関わり方も、それならおおいに納得がいく。
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