8
「よしッ! 整列!」
やっと急な岩場を登りきったところで、長官の声がした。
登りきって川を見ると、泥で茶色くなった流れの先が切れて見えなくなっている。
そこが、さっき見上げた滝なのだろう。
下をのぞき込んだわけでもないのに、馬車から見た景色を思い出して足がすくむ。
かつて王城の監視やぐらに登らせてもらったことがあるが、それよりも何倍か下は遠いのだろう。
——あの滝を落ちて、果たして生き残れるのか……——
降り続いた雨で山か崖でも崩れたのだろうか、建物の屋根まで届きそうに思える樹木が流されいく。
流れに揉まれ、ときおり回転しながら、ついには滝の向こうへと消えてしまった。
はるかに小さい自分が飛び込めば、ただただ無抵抗に流されて落ちるのだろう。
僕はどうにか生き延びて復讐をせねばならない。
それなのにここまでチャンスもなく、なんの策も思いついていない。
いちいち話しかけてくるボスに邪魔され、すぐ近くで縄を引くディアドラにもいちいち心を乱される。
まずい状況だった。
——自分のやったことが返ってきている——
僕は無実だが、牢屋番の死を早めた。
それは間違いない。
彼に死が迫っていると強調し、危険だと煽って自分のために使おうとした。
しかし、失敗した。
言い訳をするなら、牢屋番が唯一生き残る道を示したつもりではある。
わざわざ下流からなめるように見せながら、刑場へと連れて行く滝流しの刑とは、僕が牢屋番にやってみせたことと同じかもしれない。
唐突に訪れる死を許さず、あらかじめ恐怖を与え苦しめる続けていく……
「あんな滝、たいしたことないぜ。ちょうどいい高さだよな、兄貴」
「盗みに入る屋敷の壁をよじ登るのに比べりゃ、ただ下におりるだけよ。楽なもんだ」
兄弟は本気とも冗談ともつかぬ威勢のいいことを言い合っている。
だが、それを近くで聞く兵士たちは、仲間同士で目を合わせて笑っていた。
『どうせ虚勢だ』、そう確信しているという目だ。
僕はそんな様子に、なんとなく違和感を覚えた。
弟分やその他の部下はともかく、ボスはそんな人間だろうか?
豪快ではある。豪快ではあるが、ボスはただの馬鹿では決してない。
「最後の旅、楽しんでもらえてるかな?
すべり易い道を引率するのも、楽じゃない。だがもう少しで刑場だ」
「長官どのよ、なんならいまここから飛び込んだっていいんだぜ?
無駄な時間をかけない方が、早く一杯やれて最高だろうが」
「でも兄貴、あの坊主はもうちょっと長生きしたいんじゃないのか?」
「おう、そリャそうか。だったら坊主だけ正式に手続きさせてやりゃいいのさ」
「ゴホン! 悪党どもに晩酌の心配までしてもらって申し訳ないが、こっちも仕事でな。あんたらも、屋敷に忍び込んだだけで即終了じゃないだろ?」
「そりゃそうだ。頂くもんを頂かなきゃ、苦労して入り込んだ意味がねえな」
「そういうことなんでな、事務的ですまんが、もう少しお付き合い願おうか。例え結果が同じであろうとも、儀式自体に意味があるんでな。
なに、苦労の果てのお楽しみはこれからだ」
いったい楽しみとは何だ、と訝しんで絡むボスを相手にせず、長官は先頭を切ってまた歩き出した。
その行き着く先とは、滝へと続く濁流の上に掛かる、大きな石造りのアーチ橋であった。
「こんな山奥に、これほどの橋が……」
思わず独り言を漏らすと、頼んでもいないのに横から答えが知らされる。
「この川の上流には、太古の昔に創造神の聖地があったと伝えられている。その事実を証明する遺物というわけだ。今ではすっかり忘れ去られた地だがね。こうして残っているのは伝説のごく一部。
かつて裏切りを疑われた者を川へと流すと、創造神が裁きを下されたそうだ。罪ある者には死を、罪なき者には生を、それぞれ与えたと伝えられている」
知りたいことを教えられ、なるほどと感心する場面なのだろう。
だがそれも相手による。
「……地母神マーティナ以外の神を理解するのは、不敬では?」
「ありがとう。わたしを心配してくれるのだね」
「べつにそんな」
「フフッ。地母神マーティナとはね、慈悲深い神なんだ。ほかの神々や地域信仰を認めず一方的に排除するような教えはない。そういうところがわたしは好きなんだ。受け入れるやさしさ、包み込む温かさを持っている。だからこそ人を癒す奇跡を持つと信じられているんだ」
とすると地母神に比べ、この先の地に祀られていた創造神とは、かくも非情なのだろうか。
そう思わせるほどに、この滝に落とされて生き残ることは難しく思えた。
ディアドラとそんなやりとりをしている横で、また長官とボスの会話が耳に届く。
「あの橋から飛び込めばいいって寸法だな」
「いや、飛び込む必要はない」
「なんでだ? それじゃ刑にならねぇだろ」
「川には入ってもらうがね、飛び込む必要はないのさ」
「ちょっと意味がわからねぇな。バカな俺たちにもわかるように説明してくんない」
「まあそう焦るな、これから晴れ舞台を整えてやるさ」
長官は楽しそうにニヤッとした。
「噂で聞く処刑時間は正午ごろだったか。たしかにまだ腹は減ってねぇな。最後の食事ってのは、食わせてもらえるのかい?」
「残念だが用意はないな」
「ケッ、しけてやがらぁ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます