7
僕のつぶやきが聞こえたのだろう。
ディアドラは目を閉じると胸の前で指を組み、祈りの言葉をつぶやく。
そうだ、ということらしい。
地母神マーティナを信じる者の中で、特に敬虔かつ覚悟のある者は修行を積み、信徒を守るための兵となるらしい。
宗教的苦難から、信仰を守るために。
しかし兵とはいえ、マーティナの教義では高位の者は一切の刃物の使用を禁止されていた。
だから彼女はメイスを身につけているのだろう。
たいていの神官兵はといえば、神殿や街の教会に詰めるものである。
だが一部に、彼女のように国の兵士として務める者たちもいた。
国に仕えているうちに信仰に目覚める者もいるが、年若い彼女の場合はそうではなかろう。
おそらく教団から派遣されているのだ。
人員を派遣することで国に協力し、見返りとして税や布教に関して優遇を受ける。
持ちつ持たれつの関係が両者にはあった。
そんな関係であっても、地母神がグラディールにおいて国教となっているわけではなく、僕の身近な護衛やメイドにも信徒がいたことはこれまでになかった。
ディアドラが神官兵であることに気づいた僕は、なるほど話が合わないわけだ、と理解がいく。
敬虔すぎる宗教人とは、信じる神を持たぬものからすれば変人と変わらぬものだ。
向こうに悪気はなかろうと、こちらにしてみれば嫌味を言われているのと同じ。
これまでのやりとりに苛立っていた僕は、ふとこの女をやり込めたくなった。
「参りましたよ。馬車の中でいじられて。あなたが若く美しい女性だから羨ましい、代わってほしいって」
「預かり知らぬこととはいえ、迷惑をかけたならば謝罪しよう。この通りだ」
ディアドラはためらいなく歳若い僕へ謝罪の意を示し、頭を下げて言葉をつなげる。
「だが役割を替わることはできない。なぜならわたしが望んで君についているからだ」
「望んで? そんな馬鹿な」
「もちろんほかの罪人におそれをなしたわけではない」と彼女は滝を見やる。
その横顔は憂いを感じさせたが、住む世界が違うのだ、その本心はわからない。
「人とは残酷なものだ。しかしそれをわたしは変えられない。そんな現実の中でも、わたしは自分の心に従い、やるべきことをやろうと思う。それゆえだ」
「死にゆく子供に同情したと、そう言いたいのですか。
これは屈辱的だ。そんなのはディアドラ、あなたの自己満足だ。処刑場に送られる人間の中で線を引いて、こいつはかわいそうな子供だと僕を除外した。ひとりの人間として認めずにね」
「……手厳しいな、君は。
……たしかにそういう部分があったかもしれない」
「かもしれないですって? そうでなければいったい何だというんですか?」
ディアドラは目を閉じて首を振るだけで、反論しようとはしなかった。
「あなたのおかげで死ぬ前に、少し賢くなりましたよ。住む世界の違う人とはやはり、わかりあえないって」
やり込めるどころか、さらにいらついただけだった。
そういう意味では、滝を見せつけるということは長官の言うように、十分に意味があることなのだろう。
こうして一歩ずつ、処刑台へと歩かされることになった。
だが、その道のりは文字通り平坦なものではなかった。
ゴツゴツした岩場、急な登り、縛られて自由にならぬ両手……
そこへ来て、この湿気だ。
ここ数日は雨が続いたらしい。
さらに滝で舞い上がる飛沫は、確実にまわりの全てを濡らしていく。
髪は顔や首筋に張り付き、粗末な囚人服でさえも重くなったような気がする。
「うわッ」
情けない声をあげると、すぐに横から細い腕が伸びて支えられる。
何度目だろうか。
踏みしめる岩にはびっしりと苔が生え、わかっていても滑ってしまう。
そのたびにディアドラの手を借りる形になる。
さんざ悪態をついておきながら、このザマ。
たまらなく自分が嫌になりつつあった。
——このような情けないことでは、とても復讐など……——
心は折れかかっていた。
そんな僕の心中を知ってか知らずか、
「坊主、世話してもらいてぇからってわざと転ぶのは感心しねぇぞ。羨ましいじゃねぇかよ」
前を歩くボスが大声で茶々を入れてきた。
なんでいちいち僕に話しかけてくるのだろうか?
あの男は、ずっと黙っていると死んでしまうのかもしれない。
いや、そうに違いない。
「転んだのは、雨続きの天気のせいですよ。僕のせいじゃない。
それに僕の縄を引くご主人様は立派な宗教家らしいから、飼い犬に咬まれるような苦難は大好きなんじゃないですかね」
「ガハハ、そうきたか! 俺も数十年ぶりに、祈っとくかな、神によ。これから起こる重大イベントに向けてな。
そうそう、なんで俺たちの晴れの処刑の日に、こんな天気が悪いのか知りたくねえか?」
「天気? こんなのは偶然でしょう?」
「これがよお、偶然じゃないわけよ。いいか、この刑はな、大雨の後に処刑するって決まってんだよ。なんでかって? その方が、増水して流木やら石やらが、上流からゴロゴロと押し流されてくるからよ。
俺たち悪党もクズだがよ。こういうのを考える役人ってのは、アタマがいいだけにクズっぷりじゃ上をいくぜ。俺様も、ちょっとかなわねぇや。ガハハハ!」
べつに面白くもない話で、付き合いの愛想笑いも出ない。
もっともボスは僕の返事など求めてはいないだろう。
フッと横を見ると、ディアドラは眉根を寄せていた。
悪党の冗談が不快なのだろうか。
はじめのうちはそんな馬鹿話をする余裕もあったが、だんだんと道が進むとしんどくなってくる。
滑る岩場を延々と登らされるのは、想像以上にしんどいことだった。
誰もが無言になってしばらく行くと、いつの間にか鈍色の空が大きく広がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます