7
——ん? 音が違う?
牢屋番とはじめて話したあの日とおなじように、僕は違和感を覚えた。
これまでは彼ひとりだけしか、この穴ぐらを訪れる者はいなかったのだ。
牢屋番は常に鉄格子の向こう、奥の方で寝泊まりしていた。
しかしその日、地下へと続く階段を踏み鳴らす、その響き……
それは教えていた。
ここに別の誰かがやって来る、と。
——まさか、今日が処刑か?——
思わず身構えてしまい、胸の鼓動が大きく、そして早くなった。
やがて、階段がいつもよりも明るく照らされた。
そのまぶしさに腕をあげ、光をさえぎる。
ようやく目が慣れたころ、視線をやるとそこに、僕にとって一番見たくないものが見えた。
「御機嫌はいかがですかな?」
「オーギュスト・ド・フェラン!
いったい何をしに来たッ。宰相ともあろうものがこんな場所に!」
「フッフッフッ、またお目にかかれましたな。二度と会うこともないと思ったのですがね。部下の『しくじり』に駆けつけたのですよ。まさに立派な上司の鏡でしょう?」
「なんだとッ、どういう意味だ」
「いやいや、なかなかどうして。私もあなたに教えられましたよ。
傷ついた経験こそが人を成長させるというのは、まったくもって本当のことだとね。まるで死んだフォウラ姫が乗り移ったかのごとく、そんなあきらめの悪さではありませんか。
思い返せばあの日、女の尻に隠れるだけですべてをフォウラ姫に任せていた王子がねぇ。せっかく隠れずとも引きこもれる地下の穴倉を用意して差しあげたというのに、無駄になったようですな。
もっとも、隠れる背中がなくなれば新しく自分を隠してくれる背中を探す。それは変わらぬようですな。
いやはや、さすが生まれながらの王族。人使いがお上手で」
ド・フェランみずからここに来た。
ということは牢屋番は、まさか……
「彼は? 彼は……、どうなった?」
宰相ド・フェランは、いつもであればその彼が座っていた、そのイスに腰掛けた。
牢屋番の目方の倍はあろうかという宰相が座ったためか、椅子が軋み音を上げる。
「彼が無事で済む、と? ……あなたも予想していたことでしょう。こういう結末もね。すべてね、あなたのせいなのです。もっとも、ただ監視するだけでよかったものを、あなたの話にまともに付き合ってしまったあの男にも、いくらかの落ち度はあるかもしれませんな。死にゆく男の迷い言など、無視を決めればよかっただけのこと。王子の罪が生きていることなら、そうですな。さしずめ彼の罪は、無能ということでしょうなあ。王子と共にここを抜け出たとしても、彼程度ではあなたの役になど、とても立ちませんよ。
フム、ということは王子、あなたをみじめな野垂れ死にの旅から救ったのは、この宰相めかもしれませんなぁ」
少しも面白くない冗談を言って、オーギュスト・ド・フェランは大笑いした。
穴ぐらに下卑た笑いがこだました。
耐えきれず、耳を塞ぐほどに。
「いやいや本当にあなたには驚かされましたよ。こんなところにブチ込まれれば、普通はあきらめるものですからねぇ。
道なきところに道を通そうとする、そのさま。あなたは存外に父王より、この宰相めに似ておられるようだ」
「なッ! 似ているなどとよくも言える!」
思わず鉄格子を殴りつけた。
しかし、それで壊れるような牢ではない。
——鉄格子さえなければ、この男の首をしめてッ!——
行き場のない思いを込めてさらに鉄格子を揺するが、柵はビクともしない。
無意味だとわかっていても、ムダなことをせずにはいられなかった。
「いやいや、勘違いされるな。これでもね、わたしは褒めているのですよ。
なにせこの国で一番の実力者はわたしですからな。それに匹敵はせずとも、似ているところがあるとね。
まあ、英雄は同時にふたりは必要ありません。わたしが英雄ですから……、そうだ、あなたはさしずめ詐欺師といったところですかな。
フィン王子、じつに残念なことですが……、あなたは牢屋番という器について、読み間違えたようですな」
「器?」
「そうです。器には、入れる物や、入れる量が決まっているものですよ」
宰相ド・フェランは腕を掲げる。するとランプの光にグラスが照らし出された。
しばし揺らしたあと、ひっくり返す。
グラスに入っていた液体は、机の上にこぼれ、さらにそこから床へと落ちた。
いつもより明るいせいで、その様がここからも見てとれた。
「このグラスに、小麦や芋を詰め込もうとする者はいないはずです。違いますかな?」
「当たり前だ。芋がワイングラスに入るはずもないし、小麦をよそって食うものなどいない」
宰相は満足げにうなずくと立ち上がり、こちらへと歩いてくる。
「たしかに王たるダナーンの一族に、ひどいことをしたのはわたしですな。しかし、この牢屋番の男に限って言えば、ひどい扱いをしたのはわたしではない。絶対に違うのです。
なぜならこの男を陥れたのは、フィン王子、ほかでもないあなただからだ!」
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