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 牢屋番は鉄格子の前に置かれたままのパンを指差した。

「そうだ、それだ。それだってな、俺たち国民からあんたらが巻き上げた金や収穫の一部だぜ。平民の稼ぎで暮らしてるくせに、それを食べ残すなんて言語道断よ。あんたがそれを食わねぇなら、何も話さないぜ、俺は」

 いわれるまま手に取り、口に押し込む。

 固くボソボソとしたパンだったが、味などどうでもいい。

——早く話をッ——

 焦ってとにかく飲み込もうとするが、口の水分を固いパンに奪われ、引っかかって仕方なかった。

 僕が食べるのに苦労している間に、牢屋番は一旦離れた。

 椅子を手にして戻ると、ふんぞり返って足を組む。

「あん? 俺様もしかして、王族に命令しちゃった?

 俺だけせっかくの祭りに休めなくてイラッとしてたが、こりゃいい。これは、アリだな。

 ようやく食い終わったか。

 そうだなぁ、よし、約束しろ。今後出されたものは、残すな、それが話してきかせてやる条件だ」

 僕は大人しくうなずいた。

 パンのことなどくだらない。そんな事などどうでもいい。

 いまはあれからどうなったか、それだけが聞きたいのだ。

 男の話を聞いてみると、牢屋番はどうやら式典そのものの見物には行っていないらしかった。

 式典に行った牢屋番仲間との、酒場での話のようだ。

「そりゃ立派な式だったらしいぞ。後見人の宰相の方が目立ってたらしいがな。まぁ仕切りは宰相だ、実質的な最高権力者様よ。当然だな」

 どうやらすべて、宰相の計画のとおりに運んだらしい。

 父王を力づくで退位させ、双子の弟という偽物を王にすえた。

 それが今日の式典。

 ということは、その偽物はド・フェランの望み通りに傀儡の役割を十分に果たせる人物であるということだ。

 それが意味することは、ひとつしかない。

 もはや、僕を生かしておく必要がなくなったということだ。

 あくまでも非常用の保険で生かされていただけなのだから。

 この数十日の間、『もしかしたら誰かが助けに』と、勇気ある正義の者が煌々と輝くランプを下げて階段を降りてくる。

 そんな場面を夢想したこともあった。

 けれどぶち込まれてから今日まで、牢屋番以外の出入りは一切ない。

 誰ひとりとして囚われの僕を救出に来る者はいなかった。

 つまり、王や姫を助け出す英雄のおとぎ話など、くだらない妄想に過ぎないということだ。

 すべてはオーギュスト・ド・フェランの計画どおりになった。

——この国は、すでにド・フェランのもの……——

 こうして僕が物思いにふけっている間も牢屋番の一人語りは続いていた。

「宰相様は俺にとって王様以上の存在だ。だから宰相が偉そうにしてても、俺には文句は言えないな」

「どぅし…ぇ?」

「どうしてかって? そりゃそうよ!

 宰相様が俺を選んで、わざわざあんたにつけてくれたんだぜ。見張りが終われば、特別報酬に特別休暇の約束よ。難しいことは平民の俺にはわからんけど、上のゴタゴタも俺にはチャンスだったってわけだ。こんな穴倉のヨゴレ仕事でも、ちゃんと見てくれている神がいるってことよ」

「せんだぃの……おう…ぁ」

「ん? ああ、引退して余生は別荘暮らしだとよ。王ならヘマをこいたって、召使いや部下たちと違って処分されたりしないんだから…… ま、いい御身分よな」

 王を殺害するような、大胆な真似はまだしていないらしい。

——生きている……——

 父王はまだ、どこかに幽閉されて生きているのだ。

 だが、生きているといっても楽観的な状況のはずがない。

 オーギュスト・ド・フェランは、ためらいなく実行する男だ。

 食中毒あたりにみせかけ、毒殺することなどたやすい。

 牢屋番の言うような、のんきな『引退』ではない。

 ようはカゴの鳥なのだ。

 ダナーン親子は二人とも囚われの身で、それを助けるものは誰もいない。

 偽物が本物のフィンへと正式になり替わったいま、残された時間は少ないようだ。


 男はなおも話し続ける。

 出店のようす、人々の騒ぎ、パレードの通った場所、酒場のケンカに吟遊詩人の歌……

 ほとんどが仲間からの伝え聞きであるが、さも得意げに語ってみせた。

 それに適当にあいづちをうちながら、僕は自分の考えに落ちていく。

 誰かの救出は見込めず、自分ひとりで脱出できようはずもない。

 新王の即位式典が終わり、処刑の日も迫っている。

 そして、どれだけ祈っても、後悔しても、姉がふたたび帰ることはない。

 太陽のような笑顔は、すでに失われた。

 僕は暗い牢に閉じ込められて、どこにも運命の出口はなかった。

「やはり、宰相様は素晴らしいお方だ。ま、俺に目をかけてくれるぐらいだから、当然だな。なにより演説が良かったらしいぞ!

 すべてのものが、成長するって演説だ」

「成長?」

「そうよ、成長よ」

 牢屋番の男は宰相になりきり、まったく似ていない演説をぶってみせた。

 この演説も伝え聞きなのだろう。

『かつて小役人に過ぎなかった私は、こうして宰相になるまでに成長した。新しき王はわずか御年十二歳。その事実に、不安になる者もいるだろう。

 しかし! しかしである。

 若さには、大きく成長する未来が、必ずッ、必ず約束されているのだ!

 ときに迷うこともある。ときに傷つくこともあるだろう。だが、思い出して欲しい。

 そうして我々は、大人になったのではなかったかと!

 若き王の成長、それはまさに我らの国の成長である。つまり我ら国民の未来もまた、必ず大きく成長すると約束されている、なによりの証明なのだ!』

——『必ず大きく成長すると約束されている』だと?——

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