似た者同士

1

 地下の牢はほとんど真っ暗だ。

 遠くに待機する監視役のランプが遠くに揺らめくのみ。

 目を開けても手元もはっきりと見えない闇の中にいると、いつも当たり前と思っていた『なにかを見る』ということができない。

 だからかわりに、ほかの感覚が鋭くなる。

 床は冷たく固い。

 だがそれは王宮の磨かれた床石などではなく、石や土である。

 それも平らに整地などされておらず、横になると背中や肩が凸凹に当たって痛んだ。

 外の風を取り込む窓が地下にあるはずもなく、空気はカビ臭い。

 子供の頃、遊びで隠れた倉庫の匂い、あれを凝縮させたようなものだ。

 そしてなによりも鋭く僕を責めたてたのは、過去の出来事だった。

 ほとんど見えない視界の代わりにリフレインする、あの部屋の光景……


 そこで死を迎え、永遠に明かりを失ったのならどれほど楽なことだったろうか。

 生きている……

 いや、生かされているからこそ、苦しかった。

 いまはただ、姉さんをひとり先立たせたことの後悔に埋もれていた。

 もっと城内の事情に詳しければ、姉さんは死ななかった。

 もっと家族以外の者に警戒していれば、姉さんは死ななかった。

 もっとダバンのような者を大事にし、信じられる者たちを多く集めていたら、姉さんは死ななかった。

 もっと僕が強ければ、姉さんは死ななかった。

——フォウラ姉さん……——

 ダバンの家族はどうなったろうか?

 宰相ド・フェランは、父王の情け深さを激しく指弾した。

 父のように甘いことはしないだろう。

 いや、『しないだろう』ではなく、『絶対にしない』だ。

 ならばもう、ダバンの一族は誰ひとりとしてこの世にはいないはずだ。

 それも僕のせいだ。

 いまさらなんの意味もないことだが、『すまない』と心の中で繰り返し謝ることしかできない。

 すべては終わったことだ。

 どれほど後悔しようとも、何も変わらない。

 ここでの僕は、自分から死ぬことさえできないのだ。

 なのになぜ、涙というものはあふれて止まらないのだろうか?




 ここにいると、時間の感覚がなくなる。

 涙が枯れ果て、どれほどの時間が過ぎたろうか?

 昇る朝陽もなければ、沈む夕陽もない。

 満ち欠けする月もなく、星明かりもない。

 もちろん雨が降ったかどうかもわからない。

 食事も一日に一度。

 これはあくまでもそう感じるだけだった。

 そもそもいつからいつまでが一日なのかわからないのだ、正確な判断のしようもない。

 それとて食べる気など起きないことがほとんどだ。

 そんなだから、すべてがぼんやりとしてくる。

 起きているのか、寝ているのか?

 つらい現実が夢なのか、幸せな思い出が嘘なのか?

 色も、光も、欲も、失った世界。

 そんな世界であっても、ただただ思い出す姉さんは美しい。

 これまでも、これからも。

 もし生きていたなら……

 姉さんがいれば、こんな暗闇の地下牢でさえ、その金色の髪とおなじように明るく輝く……

——馬鹿馬鹿しいッ——


 たまに暗いランプを掲げてやってくる牢屋番は、変わった男だった。

 気づくと僕に何かをしゃべりかけていることがある。

 僕はそれに一切の答えを返さない。

 なにもできず、こわれかけて終わりかけている僕に、いったい何の話すことがあるだろうか。

 返事を返さない他人へ話しかけ続けるという行為が、いったいどういうことなのか。

 僕にはとても理解できそうにない。


 ただ、その日は牢屋番の様子が違っていた。

 いつもわざわざ寝泊まりまでして、逃げるはずのない僕への無駄な監視をまじめにしている。

 それなのにその日は、かなりの長時間にわたって席を外していた。

 気配だけでなく、遠くのランプの揺らめきが消えていたから間違いない。

 ようやく戻って来た牢屋番は、俗世のにおいをその身に強烈にまとい、僕の元へとやって来た。

 食事を運んできたのだ。

 男から強烈なにおいを感じた僕は、思わず鼻を押さえた。

 ようするに、酒臭かったのだ。

 地下牢にあるはずのない上の世界の臭いは、僕を強く刺激した。

 そのにおいのせいか、それとも彼の独り言の内容のせいか、いつもは無視している牢屋番の話がはっきりと耳に残った。

「飲みたんねぇなぁ、ったく! あんたら王族のおかげでよぉ、牢屋番の仲間はしばらく楽になるって喜んでたぜ。新しい王の即位祝いで、クソッタレな罪人どもに恩赦をくれてやるんだとよ!」

 ——新しい王の即位祝い?——

 僕はそのとき、はじめて牢屋番の顔を見た。

「なぁんだよ。なにこっち見てんだよ。いままで散々、俺様のことを無視してたくせになぁ。

 知りたいのか、えぇ? 聞きたいのか?」

 壁にもたれきりだった僕は身体を引きずって鉄格子に近づき、つかむ。

「おいおい、どうしちゃったのよ。いつもと違うじゃねぇかよ、そんなに聞きたいのか」

「……ング、ゴホッゴホッ」

 かなりのあいだ誰とも話していなかったせいだろう、上手く言葉が出てこない。

 頭の中では話せているつもりでも、舌がもつれるようで言葉が出ていない。

 それがひどくもどかしく、咳ばらいを繰り返す。

「必死じゃねーか。そうかそうか、なら話してやらんこともない。ただしそうだな……、まずはそれをちゃんと食え」

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