3・神様なんていない①

古書店へ出かけた同日の夕方。優兎ゆうとは自室の隅のベッドで、前のめりにうつむいていた。


首を振ったり、時折低い声でブツブツ呟いたりしている。病の影響で苦しんでいるのだろうか? 家を勝手に出た事が祟ったのだろうか?


いや、いずれでもない。優兎は開いていた辞書を閉じると、紙上にペン先を落とす——




『「ライトニングソード!」


 リュートはさけんだ。するとリュートのけんかみなりが集まって、けんがビカッ! と光かる。リュートはけんを下の方へった。すると、けんにたまっていたかみなりが、臣人きょじんのところへんでいって、臣人きょじん直撃ちょくげきした。


「よっしゃあ!」


 リュートは言った。


「やれやれ、やっとたおせたか」


 スカイは頭をかいた。


 すると、妖精ようせいのキャロルが飛んで来て、リュートのかたに止まった。


「よっしゃあ!じゃないわよ! たった二体たおすのに、時間がかかりすぎなのよ!」


 キャロルはプンプンおこりながら言った。リュートは「ごめんごめん」と言った。――』



 ここまで書いて、優兎はふう、と息をついた。わずかな時間で結構先に進んだ。優兎は台の上にシャーペンを置くと、今日書いた分を読んで満足感に浸った。


 優兎は小説を書く事を趣味にしていた。「勇者リュートと金色こんじきのドラゴン」というタイトルの物語だ。ストーリーは主人公リュートが相棒のドラゴン・スカイや仲間達と共にさらわれたお姫様を助け出す為、世界を支配しているドラゴンを倒しに行くという実にありふれたもの。それでも優兎は楽しみながら執筆していた。家庭学習もやりつつ調子のいい時はいつだって書いている。割合にして七割と、明らかに偏ってはいるが。


 そんな優兎の将来の夢は、やはり小説家だ。空想を描いた本を読むのが好きで、いつの間にかペンを取り、自然と夢見るようになっていったのだ。力をつけなくとも、学校に通っていなくとも、物語は骨張った指でもつづる事は出来る。


 実際、ありふれたお題から想像力で広げていく面や彼の持続力には光るものがあった。四大元素の魔法を操るドラゴンと戦士を仲間に加える「四獣しじゅうたけき戦士編」。十二星座を参考にした賢者から知恵と力を授かる「十二宮殿の賢者編」。各誕生石を守護石に持つ妖精の国で泥だらけのゴーレム群と戦う「宝石の国編」。七つの大罪になぞらえた呪いから町を救い出そうと奮闘するも、仲間から死者を出してしまう悲劇の「七死ななしの病編」。先のシリーズで命を落とした仲間を救助する為、七十二柱の悪魔をモチーフにした、七十二階建て迷路タワーを横スクロールアクション風に駆け上がるという、優兎自身もあんまり気に入っていない「迷走!デビルタワー編」。そして童話に登場するお姫様と花言葉を掛け合わせて竜騎士化させた「花の戦乙女いくさおとめ編」が、現在執筆途中となっている。


 ただ。想像力や持続力に自信があっても、決してうまい文章とは言いがたいのが最大の難点であった。


 優兎はベッド脇にある、勉強机用のイスの上に突っ立ったペットボトルを口へ持っていった。ごくりと水を一口。……ちなみに優兎はせっかくある勉強机を通常通りに使ってはいない。病におかされた後はノートを広げた事はなかった。机から手の届く範囲へベッドを寄せ、図鑑や本、資料置き場として活用している。幅広なひきだしがあったところには父の製作した出し入れ出来る台があり、使用の際は台を引っ張り出して固定し、ベッドの上で物書きを行っていた。イスは食事のお盆を置く場所と化していて、背もたれの部分にはカレンダーやメモを貼付けていた。


 ペットボトルを戻すと優兎は背伸びをした。さあ、になるまでもうちょっと頑張るか! 優兎はシャーペンを手にした。


 すると、下の階の方で大きな音がした。


 ガッチャアアアンッ!


 家全体が震えるような音。母が洗いものの最中に誤って皿を割ってしまったわけではない。玄関の閉まる音だ。――あんなにも耳障りで近所迷惑にもなりかねない音を響かせて閉めるのは、家族で一人しかいない。


 優兎の妹、瑠奈るなが帰って来たのだ。


「たあーだいまあーっ!」


 瑠奈は大きな声で言った。


「瑠奈! あんたは家を壊すつもりなの?」 母は洗い物を済ませ、タオルで手を拭きながら言った。「おかえりなさい」


「えへへへー。ごめんなさあーい」


 瑠奈は靴を荒っぽく脱ぎ捨てると、二つ縛りの髪を揺らして階段を上っていった。ランドセルの中身が立てるガチャガチャ騒がしい音が、優兎の部屋にどんどん近付いていく。……来るぞ。優兎はさっと身構えた。


「お兄ちゃん、たあーだいまあーっ!」


 バアン! とドアが全開する。瑠奈は全速力で駆け抜けると、勢い良く優兎に抱きついた。


「へぐおッ!?」


 まだ小さいから、手加減する事を知らないのだろう。優兎は瑠奈の猛烈なアタックに負けて、そのまま後ろに倒れこんだ。


「お、おかえり……」 優兎は苦しそうに言った。 「瑠奈、早くどいてくれない? お、重い……」


「もう! お兄ちゃんったら、女の子に重いなんて言っちゃあいけないんだよ!」


 瑠奈は剥(むく)れながら優兎の上から降りた。優兎は溜息をつく。まったく、帰ってくるたびにこんなのを食らってたら、僕は病に命を奪われる前に息絶えてしまうかもしれないな。



輝明優兎てるあきゆうと:十三歳の若さでゲームオーバー。

 死因:妹の愛ある、つ破壊的な攻撃力を誇るタックル。』



 思い浮かべて、優兎は自分の体の弱さに肩を落とした。


「あ、お兄ちゃん、また書いてたんだ?」


 瑠奈は台の上に広げてあるノートに気付いた。


ね。そうだよ」


 優兎は起き上がって答えた。瑠奈はにっこり笑って、ノートを取り上げた。ペラペラとページをめくって、先ほどまで優兎が書いていた文章に目を通していく。優兎は返せとムキになったりはせず、好きなようにさせてやった。ドキドキと心を振るわせてただ見守る。

 しばしの間、優兎は編集者に作品を見せている新人作家になったような気分を味わった。


「あははは! へったくそー!」


 小さな編集者は笑って言った。


「う、うるさいなあ! ヘタなのは分かってるよ!」


 と言いつつ、実はちょっと自信があった文章だった。それをストレートな言葉で、しかも笑い飛ばされたので優兎はへこんだ。


「あはは、漢字間違い発見! また『巨』が『臣』て字になっちゃってる。こっちは送り仮名が違うよ」


 瑠奈は楽しそうだった。毎度ちょっと文章を書くと、瑠奈が読む。間違い探し感覚で誤字脱字を指摘するのが面白いのだ。指摘してくれるのはありがたい――といっても小四までに習う漢字だけだが――し、物語が急展開を迎えた時には素直に驚いてくれるので嬉しい事はある……のだが、ほとんどダメ出しばっかりなので、優兎は毎回痛烈なダメージを食らうのだった。普通に読書している時はその本に対して何も言ってこないので、本当に目に余る程ヘタなのだろう……。



『輝明優兎:約二週間後の誕生日を迎えずにリタイア。

 死因:当人の作品に向けて放った、妹の無慈悲にして残酷なパワーワードの数々。』



 優兎は何も言わずに瑠奈からノートを取り上げると、勉強机の上に置いた。


「あれ? 続き書かないの?」


「書こうと思ったけど、後にするよ。……なんかえた」


 誰かさんのせいで、と嫌みを込めて付け足す。自分が原因だと気付かない瑠奈は「また見せてねー」と言うと、優兎に背を向けて部屋から出て行った。

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