2・不知の病を持つ少年
六年前のこと。思い当たるキッカケも予兆すらもなく、
それは発症からの回復・再発を繰り返す病。インフルエンザばりの高熱が出たと思ったら、その数日後、急に何事もなかったように元気になり、また数日後、今度は頭痛に悩まされたり、それが引いたと思えば数時間後には咳き込んだり……といったような症状を繰り返す風変わりなものだ。風邪のような類いばかりではなく、体のどこかが痛み出したり、時には動く事さえままならない事だってある。突発的な上にランダム性のある状態異常だ。
加えて厄介なのは、体の免疫力が低下しているだけという判断で済まされてしまう事だった。どれだけウイルスやアレルギーや食事に気をつけても、対処のしようもなく起こるのに、通院する程でもないような些末なもので済むことが殆どであるため、「この子の両親は少々過保護なのでは?」という目で見られてしまう。
おかしい
(どうして? どうして自分がこんな目に……?)
この病のことだ、気まぐれに心臓が止まってもおかしくはない。そんな恐怖とも戦っている。
(負けたくない……こんな理不尽に負けちゃいけない。きっと希望はあるはずなんだ)
優兎は自身を苦しめる名もなき病に、特別感を持たせてかっこよくしてやろうという、ちょっと
店内で再び本の厳選作業を始めてから暫く経ち、時刻は午後一時四十分。優兎は腕時計を確認すると、分けていた片方の小山をカウンターへと運び出す作業に移った。購入する本はぴったり十冊。厚みのあるシリーズ作品も紛れているので、二回に分けて行ったり来たり。出しっぱなしにしていたもう片方の山を片付け、脚立も元の場所に戻してからカウンターへ向かった。
チーン! と呼び出しベルを鳴らす。少し待っていると、奥の方から
「ほう、厳選し終わったか」
源次郎は積まれた本を並べていった。
「これも、それも……なるほど、全部ファンタジーか。
「はい。昔からそのジャンルの本やアニメなんかが大好きなんです。剣とか魔法とか、あとドラゴンやエルフみたいな、空想上の生物が出て来るものが特に好きなんです。同じ素材を扱っていても、作者によって解釈の差や違った味わいが出てきますし」
優兎は照れくさそうに言った。源次郎はふうんと返して、本の間に挟まっているスリップを抜き取っていった。
「『
「奴隷用にとはいえ魔王様が誤って作った鼻輪だから、恥を晒してはいけないと魔王側の軍勢が主人公達を追ってくるんですよね! でも主人公自身は父親を捜す重要な手掛かりだから、魔王軍の手に渡って欲しくない。一巻の、主人公達と魔王軍による鼻輪の争奪戦は本当に面白かったです! 最終巻の結末は
優兎は興奮を抑えきれない様子で話していたが、源次郎が無表情で自分を見ていることに気付くと、恥ずかしそうに
「すみません……。あはは、つい熱くなっちゃって。僕、ファンタジーの話になると、我を忘れがちで」
「いや、別に構わんよ」源次郎は言った。
「うん? 二巻目までしか買わないのか? このシリーズは三部作だったはずだが」
「あれば欲しいところですけど……人気だからよく売れてるみたいですね。確実に手に入れたい人にとってはここは穴場でしょうし、この店にはありませんでした」
「他の店で買うのか?」
「いえ。きっと転々としないと。これ以上、親に迷惑かけたくありませんから」
源次郎は眉をひそめたが、優兎の事情を思い出して口をつぐむことにした。
「最終巻か……。あまり客が来なかったからな、もしかしたら倉庫の方に在庫があるかもしれん。見つけたら小僧の家に送ってやろうか?」
「本当ですか!?」あ、と優兎は声が大きすぎたと口に手をやった。 「お願いします!!」
「まあ、ここの店によく通ってくれたというよしみでな」源次郎は引き出しから、紙とボールペンを取り出した。 「これに本の名前と作者名、それから小僧の住所なんかを書け。名前は振り仮名付きでな。在庫がなければ取り寄せる」
優兎は頷いた。差し出された紙束とペンを受け取る。スラスラと必要事項と、それから名前の欄に「
本をショルダーバッグに詰めて古風な引き戸を引くと、外は小降りの雨が降っていた。小さな雨粒がぽつぽつと落ちて、アスファルトを濡らしていく。空を仰げば、あんなに晴れ晴れとしていたのに、今では灰色の雲に太陽が隠れてしまっていた。
近場ならまだしも、ここは家から遠い。病を
だが、すぐに優兎はいいものを見つけた。道路を挟んだ向こう側の街路樹に、ビニール傘が引っかかっていたのだ。優兎は目を輝かせた。車が来ないか左右を確認し、雨降る中を一気に駆け抜けた。
ビニール傘は留め金が外れた状態でぶら下がっていた。持ち手を引っ張って、捕まっていた木から解放してやる。ブンブンと雨粒を降り落としてバサッと広げた。ふうむ、骨組みが一本折れているが、使えないことはない。雨で大量にくっついた桜の花びらが、傘の外面を飾り立てていた。
「じゃーん! 優兎は聖剣エクスカリバーを手に入れた! ……ははは、なーんて」
優兎は拾った傘で雨をしのぎながら、人気のない
停留所から町内バスに乗り込むと、優兎は中間の窓際の席に座った。彼を除いた乗客は老人夫婦と、デジカメをいじっている男性が一人。
隣りの座席に鞄を置いていると、雲間からちょうど太陽が顔を出し始めた。突発的な天気雨だったようだ。雨粒の付いた窓を静かに見つめ、雨粒同士が混ざりあって流れ落ちていく様を目で追う。桜の木が並んだ場所をバスが走っていると、一粒一粒が桜色に色づいているように見えた。
と、バスは道中の停留場に停車。振動で雨粒が一気に流れ、その奥の背景に学校が見えた。知らない学校であるが、看板や校庭の遊具群から小学校である事が分かる。
「……」
時を忘れるくらい一点を見つめる。ここへ来るといつもそうだ。意識が吸い寄せられてしまう。しかし発車のエンジン音でハッとすると、優兎は鞄から本を一冊取り出してそっちに集中することにした。
乗客はいつの間にか、優兎一人になっていた。
目的地に着くと、優兎はお金を払って電車を降りた。雨は止んでいたので、傘は再びボロの聖剣となる。
さあ、ここからは家まで歩いていかねばならない。本来ならもう何分か乗っていれば、家に近い停留所はある。だが今回は親には内緒で自由に行動している事情もあり、少しでも費用を削減したかった。皮肉にも時間には余裕がある。
自転車もあるにはあるが、小学生が乗るサイズのものだった。二十分はかかる道のりと、重くなった荷物のことを思うと、気が進まないなあ。優兎はため息をつくと、ゆっくり歩き出した。
疲れと肩の痛みに奮闘しながら歩道を歩く。「やっぱり今日は贅沢してもよかったかな~」と愚痴を零すに至り、ヘロヘロになりながらもようやく家路に着いた。ここに引っ越してきてまだ数年しか経っていないので、比較的家は新しい。家が見えると一気に気持ちがラクになる。優兎は安堵して早々と玄関の前に立ち、ノブを捻って中へ入った。
だが安心したのも束の間だった。靴を脱いで居間に入ると、とある人物の姿があった。
「お帰りなさい、優兎?」
その人物はわざとらしくニコリと笑ってみせた。
「うげっ!」優兎は表情を引きつらせる。 「か、母さん……」
優兎の母は、こっちへ来いというふうに手で招いた。優兎は戸惑いながら鞄を床へ下ろすと、しぶしぶ食事用テーブルの方まで歩いていって、母の目の前のイスに座った。
「……きょ、今日は仕事のはずじゃなかったっけ」顔色を伺いながら優兎は言う。
「そうよ。でも、昨日残業したおかげで、早めに帰れたの」
母は口の端を上げて笑みを深めた。その笑顔が逆に恐ろしい。普段本人が気にして化粧で誤摩化している目じわが、笑みによって露わになる。
「優兎、どこ行ってたの?」
「いつもみたいに、ちょっと散歩へ……」
「へえ? 鞄持って? ずいぶん重たそうだったわねえ~。──正直に言いなさい」
ここで化けの皮がはがれた。随分と怒っているようだった。優兎はついてない、とため息をついて、閉店間際の古書店へ行っていたことを明かした。
「またこっそりと行ったのね、呆れた」母もため息をついて言った。 「別に外出する事自体は悪いとは思ってないわよ。趣味に没頭するのも悪いとは思ってない。ただ、一人で勝手に行かないでほしいわ。いつ、どこで病が現れるか分かったもんじゃないのに」
「嫌だよ、趣味にまで親同伴なんて。もう小学生じゃないし、あれくらいの距離一人だって行ける。人気のない所には行かないようにしてるし、もしもの時の備えもバッチリだ。絆創膏に包帯、咳止めなんかの錠剤と、住所や職場の電話番号を書いたメモだって用意してる」
「そんな程度で安心出来るわけないでしょう。まったく。──説教は後にするわ。あんたちょっとホコリっぽいからシャワーあびてきなさい。明日は病院行くんだから、念入りに洗ってね」
優兎は席を立とうとした。しかしその前に母が「あ! ちょっと待った。忘れるところだった」と言うと、イスから立ち上がって、台所の方へと消えていった。ま、まさか……。
すぐに母は戻ってきた。優兎の目の前に、安い陶器のちゃわんが置かれる。ラップでつつまれたちゃわんの中には、カピカピに渇いたご飯が半分入っていた。
「これはなんでしょう」
と、母。
「……お母様に作っていただいた、卵や野菜などの具材の一切がない、シンプルな塩味のみという素晴らしさを持つ、ほっぺの落っこちるほど美味しいおいしーい
優兎は声色を変えて言った。
「ほっぺの落っこちるようなものを、なーんであんたは残したりするのかしらねえ? 毒でも入ってると思った? 母さんは森の魔女なんかじゃないのよ?」
母は優兎のふざけた言葉にもきちんと対応した。
「正直に言いなさい」
「飽きました」
母は優兎の頭にチョップを食らわせた。「またそんなこと言って。ちゃんとこれ食べないと、夕食も同じものにするからね」と付け足す。その言葉に優兎は苦い顔をした。それだけは勘弁だ、発病中でもないのに。元気な時くらいべちょべちょした柔らかいものではなく、噛みごたえのしっかりとしたお米が食べたいもんだ。
優兎は「分かった。チンして食べるから、おかゆはやめてください!」と言って手を合わせた。母はふっと笑みを零す。
「さあさ、勇者のユウト君。あなたには今、三つの選択肢がありますね」
母は元気よく言った。
「どのルートを先に選ぶのかしら? ──ご飯? お風呂? それとも
息子の影響か、それっぽく言う母に優兎はクリティカルヒットして、思わず吹き出してしまった。
――2・不知の病を持つ少年 終――
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