第6話 紅き侵攻作戦
僕の腕がスローモーションに落ちていく。10年以上僕と一緒だった腕が、僕の一部が落ちていく。
どうして、どうしてこんなことに…………。
……そうだ神取も腕がない。僕も一緒になれたんだ。
【おい】
腕がなくても、このなんの役にも立たない能力で作らなくたっていい。このままでいいじゃないか。彼女と一緒ならこれでいいじゃないか。
【やめろ】
腕がないことを受け入れると自然と心が軽くなっていくような気がした 。腕が地面に近づくにつれて、僕の心は反比例して浮かび上がっていく。
【止まれ】
訳が分からなかった僕の能力も、あんなことがあって大嫌いだったこの能力だけど、今なら許せる気がする。あの子を殺したこの能力を。
【…………】
黒くドロドロとしたスライムのような能力は何の役にも立たなかったけど、今の僕になら相討ちまで持っていける。
この先生の大量の血の中へ。僕の能力を潜航させて、その先の贖罪へ向けて、僕の精一杯の命をこめて…………
【誰の体だと思っている!!!】
カチンッッッッッッッッッッッッッッッ
謎の金属音のような音が頭の中に響いて、僕の思考は泥の中に沈んで行ってしまった。
ハゲ眼鏡「ちょっと!
清水は黒いドームのようなもので守られている、中の様子はこちらからはわからなかったが、未界の腕が落ちてそのまま倒れたことはだれが見ても明らかで、それは隣の部屋にいる
ふふん、と無い胸を張ってなぜか得意げな様子で横の棚に向かい、おもむろに彼女は1m四方くらいのキャンバスを取り出した。どうやら絵が描いてあるみたいだ、これは……学校?
ハゲ眼鏡「なんですかこれ。学校の見取り図と、これは俺と先輩?」
ということはこの黒い円は清水だろうか?驚くべきごとに、この絵は何もしなくてもテレビやスマートフォンの液晶のように、リアルタイムで動いている。
赤い絵の具が蠢き、(紙の中の)美術室を満たしてしていく、どうやら今のこの状況を反映しているようだ。
同時刻 美術室前廊下
「えっ何何何」
「あ?」
「きったねぇな。なんだ?」
通りがかった生徒は壁から滲み出す赤色の液体に対して水道管の破裂だとか、美術室で誰かがバケツをひっくり返した……そんな想像をしていたが、携帯に夢中な男子生徒が思わず液体を踏んでしまい、腕が人形のようにするりと落ちて状況が一変した。
悲鳴と怒号が廊下を響き渡る。
ハゲ眼鏡「───ッッッ!!助けに行かないと!!!」
走り出しそうになる眼鏡を片手で制止した。
壁が真っ赤に染まって今にも血が染み出してきそうだが、こちらには一切漏れ出してこない。これが先輩の能力か?
絵の中の未界に腕を書き加えながら彼女はそう言った。
「由紀~~!!ヤナセンがよんでる~!」
昼休みの楽しい談笑タイムを中断させたのは同級生の大声で、その元凶はのっそりと立つのっぽの白衣男、ヤナセンこと柳先生である。ちなみに嫌な先生略してヤナセンでもあるが、そこまでは本人は知らない。
由紀「え……」
なにも身に覚えがない、というか担任でもない物理の先生が休み時間に呼びに来るって何の用があるのか。課題についてなら次の授業の時に伝えてもらえばいいし。
いやこんなこと考えても何にもならないんだけど。
由紀「はーい」
間延びした返事をして、一緒に食べていた友達と適当に分かれてヤナセンへ向かう。
柳「少し歩くが、河合………理科室まで来てくれるかい?」
分厚い眼鏡の向こうで針のように細い目をさらに細めながら言う。ここでは言えない話なのか、ますます気になる。
由紀「わかりましたー」
と、歩き出そうとするタイミングで壁のスピーカーから聞きなれないアラーム音が耳をつんざいた。
〖火事です。火事です。東校舎2階美術室周辺で火事がありました!ただちに避難してください。繰り返します。火事です……
どろどろと、どろどろと無限に血がわいてくる。無限に侵食していく。学校を、世界をすべて彫刻で埋め尽くすのだ。
あの雪の日、あの時私が誤って指を切ってしまった同級生の男の子。もう治らないと聞いたときは3日家から出れないくらい泣いたっけ。
でも、今の私は理解したの。欠けているものこそ満たされている、欠けているからこそ芸術として完成していくのよ。だから違うの。彫刻は、罪は、私の罪は…………
ハゲ眼鏡「はぁ?
ハゲ眼鏡「圧力……未界に血が襲い掛かったときは確かに水鉄砲のような攻撃じゃなくて、大雑把に大きな波を起こしてましたね」
先輩は喋りながらも、もの凄いスピードで筆を動かしている。
絵の中の未界の腕はまた抜けてしまった。
美術準備室と美術室をつなぐドアにある小窓も深い赤色で全く奥が見えなくなってしまっている。
ハゲ眼鏡「それよりも先生はどうやって止めるんですか」
ハゲ眼鏡「はぁ!?!!」
バラララララララララララ!!!!!
美術室に似つかわしくない爆音が部屋中に鳴り響く。絵具が縄張り争いしていたカーテンも、椅子も、美術部部員が描いた絵も、とっくに見る影もなく塵になっていた。
壁、窓、床、天井はすべて真っ赤に染まっている、紅の部屋の中央で、圧倒的な存在感を誇る彫刻がいまだ鎮座していた。
その周りをぐるりと無数の小銃が取り囲んでいる。
水の密度は空気の約800倍である。つまり、通常800m飛ぶ銃弾が水中では1mしか飛ばない。血はほぼ水と密度が変わらないが、これに圧力をかけることで密度が飛躍的に上昇し、凝固しきらない、いわば液体金属のような状態の血は、銃弾を弾く硬度と柔軟性を獲得していた。
血の波は貝無を守るように周回して銃弾をはじくものと、周りの銃器を高速で破壊してまわるもので分かれている。
美術部部長 陸枝蘭は銃器が血で壊される速度とほぼ同じ速度で銃器を生成し続けている。
毎分1000発を超える5.56ミリの銃弾が彫刻を襲い、流動する血がそれを弾き、そらし、ほかの波が銃を破壊する。戦闘開始から数分しかたっていないこの教室では硝煙の香りと血が焼ける匂いが拮抗し、両者一歩も譲る気はなかった。
ハゲ眼鏡「いや十分ド派手ですけど……そんな(銃弾が飛び交う)教室で二人は本当に無事なんですか!?」
ハゲ眼鏡「繭…………よくわかりませんけど」
そういうと腕が見えないほどの速度で動かしていた筆を止め、ぐぐぐっと背伸びをした。
ハゲ眼鏡「どこに」
紅き侵攻は校舎を突き進んでいく。廊下を濁流が這い回り、柱と壁を赤く浸食し、触れた生徒を悉く五体不満足にしていく。貝無が想うあるべき姿へと変えていく。悲鳴が飛び交う凄惨なこの状況を地獄といわず何というのか。
しかし元凶たる彫刻のなかには、外の喧騒とは打って変わって、森閑とした無限の世界が広がっていた。
上を見上げれば満天の星が瞬く夜の下の、広くて深い大きな赤い海。大好きな血に揺蕩いながら、彼女は恍惚に浸っている。
むせかえるような血の匂いも、ざぶざぶと打ち消しあう波の音も、まぶしくなくて心地よい星の光も、彼女にとって限りなく一意的で、平穏そのものである。
これからはずっとこの世界の中で生きていくの。幸せに包まれながら、温かい血の中で何物にも邪魔されずに眠る……はずが、この世界では有り得ない自分以外の声が聞こえた。
「違うね。いままで犯した数多の罪を数える世界だ」
この精神世界の中は肉体としての貝無は存在せず、ただ精神が快感を得るだけの空間である。しかし精神世界の中で蘭だけが、陸枝蘭だけが物質世界と変わらない外見で、物理法則を無視して海の上で豪勢な椅子に座っている。高級そうな木材でできたこげ茶色のひじ掛けを撫で、足を組みなおしながら続ける。
広々とした赤い大海原だったこの世界に、大理石の壁が四方からゆっくりと迫っていた。上を見ても終わりが見えない大きな壁が空間を緩慢に狭めていく。
血の海からはだれのものかもわからない無数の腕が生えてくる。
限りなかった綺麗な星空は、壁にさえぎられて見えなくなった。迫りくる壁は、無数の腕と血の海と貝無を一緒に潰して、同じ液体になるよう強いてくる。
貝「いやああああああああああああああああああああああ」
バタン────────────────
美しい彫刻は腕からの出血を止め、代わりに少しだけ目尻から血を流し、そのまま動かなくなった。
*
「校長室へは届かなかったか……」
全身黒ずくめの男は学校近くの森で様子をうかがっている。校舎の壁4割が赤く染まっている異常事態にも関わらず、たいして驚きもせず不思議そうな顔をしていた。
「本当は校長室前で発動させる予定だったのに美術室で暴発しちゃうとは……能力の開花自体が早まっちゃったか~。蘭も未界クンもそんな影響する系統だったか?こういうの俺さっぱりだからなぁ。タイムリミットまであんまり余裕ないし、どこから崩すかね……」
黒いマントを被った男……もとい切り傷だらけの戒は近くのリスを捕まえてそのままかぶりつく。
咀嚼に合わせて首の傷がゆっくりと治っている。まだ癒えない腹の傷をぽりぽりと掻いた後、闇へと消えていった。
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