第3話 海

 チラッと彼を見ると、その横顔はとても綺麗な顔立ちをしていた。

 友人ではないが、騒ぐ気持ちが少し理解出来たのだ。

 見た目は素敵に見えたが、彼は未来人。

 だとすると、この名前も本名ではないのかな。

 どうであれ、私の希望を叶えてくれるんだし、悪い人では無いのだろう。

 

 私達はすぐに歩き出した。

 海までは歩いて15分くらいなのだ。

 通りに出ても、車、人、全てが止まって見える、不思議な世界。

 この世界で動いているのは私たちだけと思うと何だかウキウキしてきた。

 そして念願の海に行ける。


 だんだんと潮の香りがして来た。

時間が引き延ばされた世界であっても、匂いは問題なくあるみたい。

 本当だったらもう波音を聞く事ができる距離なのに、全くの無音なのが残念ではある。

 でも、そこに海はあるのだ。

 そして交差点を曲がると、広い浜辺が現れた。

 そこにはパノラマ写真のように切り取った風景があった。

 すでに海に出ているサーファーの動きが止まったままでいるのも不思議だ。

 でも学校の4階から見ていたように、水面は太陽の日を浴びてキラキラと輝いているのだ。

 来て良かった。

 本当にそう思えた。


 私達は砂浜に降りて歩いた。

 動かない波に手を触れると、それはまだまだ冷たくて、私の手についた水滴を舐めると確かに海水だった。

 私は振り返ると、後ろを付いて来てくれる彼を向いて話したのだ。


「私ね、来週手術するの。

 でも元気そうに見えるでしょう?

 首から下は元気なんだけど、頭の中に腫瘍があるの。

 ずっと様子を見て来たけど、目が見えづらくなったり、頭痛もひどい時があって・・・

 私の親はすごく心配してくれて、中学に入ってからは毎日学校の送り迎えをしてくれるの。

 入退院も繰り返してたからしょうがないんだけどね。

 友達とも、もう何年も遊びに出かけたことなんてないの。

 ・・・わかっているの。

 外で倒れたりしたら大変だからってね。

 だから、4階から見える海にずっと行きたいと思っていたんだけど、言い出せなかったんだ。

 音も動きもない世界だけど、海に来れて潮の匂いを嗅ぐ事が出来て本当に嬉しいの。

 ありがとう。」


黙って聴いてくれた彼が心配そうな顔をして口を開いた。


「でも、手術をすれば元気になるんだろう?」


「成功すればね。

 何の後遺症もなく手術が成功する確率は30%なの。

 でも、何もしなければ、いずれ目も見えなくなって動けなくなって、死んじゃうんだと思う。

 病院の先生も親もそうとは言わないけどね。

 だから30%にかけるんだけど、その前に海を目に焼き付けたくてね。

 ・・・そう言っておきながら、実は迷っているの。

 だって、自分が消えてしまうかもしれないと思うと、怖いの。」


 私は言った後に後悔した。

 今日初めて話す人にこんな重たい話、何でしてしまったんだろう。

 ・・・聞いた方も返答に困るのに。

 彼はやはりその事に関して何も言わなかった。

 私が落ち込んで下を向いていると、彼は顔を覗き込みながら言ったのだ。


「歩くのは大丈夫?」


 私は黙って頷いた。

 この砂浜から橋で繋がっている島に一緒に行こうと言ってくれたのだ。

 

 私達は止まっているように見える、人や車の間をすり抜け、あっという間に島に渡ったのだ。

 少し歩くと、神社が見えた。


「お参りしよう。

 君の手術が成功するように。」


 私達は手を合わせ目をつぶってお願いした。

 よく見ると体操着姿の彼が手を合わせている事がやけにおかしかった。

 私がニヤニヤしてると、彼は目を見開いて不思議な顔をしたのだ。


「何?」


「何でもない。」


 私は笑いながら答えて、島の上の方に歩いて行った。 

 この島は観光地ではあったが、とても自然で溢れていた。

 小さい頃に来て以来だったので、とても新鮮だったのだ。

 彼はといえば、気になる草木を見かけるたびに、ほんの少しだけ自然の恵みを分けてもらっていたのだ。

 そして木々の間を覗くと、この島から見える海の水面がキラキラ輝いていた。

 ・・・もう、十分かな。

 

「帰ろう。

 ありがとう。」


「いいの?

 まだ時間はあるよ。」


「うん、大丈夫。」


 私の足取りは海に行く時と違って、重かった。

 自分が考えていたより体力も低下していたのだ。


「大丈夫?」


 彼はそう言って私の手を掴んだのだ。

 歩くペースがゆっくりな私を見て、彼は手を繋いで引っ張ってくれたのだ。

 何だか少し恥ずかしかったけど、見ている人は誰もいないのだ。

 心臓がドキドキして、彼に聞こえないかと思うくらいだった。

 そして私達は学校へと戻った。


「そう言えば、名前を聞いてなかったね。」


「3年B組の栗原桃香よ。」


 そう言うと、少し間があった後、彼は言ったのだ。


「きっと、手術は成功するよ。」


 気を使って言ってくれたのだろう。

 私が頷くと誰も動かない教室に戻った。

 そして席に座り、窓から手を振り合図をしたのだ。


 少しすると、無音だった世界から一気に沢山の音が聞こえる世界に変わったのだ。

 古典の先生の眠くなる声が耳に入ってきた。

 外ではガヤガヤと騒いでいる生徒の声、鳥の囀りなど、以前と同じようにたくさんの音が存在したのだ。

 外を見ると、吉川拓実が他の生徒と混ざり走っているのが見えた。

 集めた植物はどうしたのだろうと少し気になったのだ。

 後で廊下で会ったら聞いてみようと思った。


 だけど、それは叶わなかった。




 

 


 

 




 

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