第122話 どうして厳しい訓練だったか分かる?




 誰もが、その話を身じろぎせずに聞いていた。


「だから、諸君も知っているあの1592便の遭難事故は、偶然にも松木が乗り合わせていたから全員が無事に生還できたと言っても過言ではない。あの便の船長は当時二等航行士だったから、コンピューターが正常に稼働していることが前提だ。奇跡だったと記事にはなったが、俺は松木が操縦桿を握ったと知ったときに、『当たり前だ、着ける』と思ったよ。諸君の同級生はそれだけの腕を持った逸材……、いや天才だった」


「際どいところでしたけどね。桃香さんのお父様にも到着点の軌道を上げてもらって助けていただきましたし。わたしは地上からの誘導に従って船を操ったに過ぎません。ですが、今こうしてポートの研修を受けているみんなは、いつ今も『最強の司令官』と呼ばれている原田凪紗さんの立場になるか分からないんです。帰ってお礼を言った時に、凪紗さんも本当は怖かったと半泣きで出迎えてくれました。わたしが船上にいたから出来たことだと。ですから、ALICEポートでの訓練はそのことを忘れないで受けてくださいね」


 あの時は、それまで慣習や手順として規定しているものを踏襲している時間などはなく、その場限りの手順を次々に生み出しては船上に伝えていた。


 しかもシミュレータでのテストをしているいとまもなかったから、全てが一か八かのスイッチ操作をしなければならなかったという。


 凪紗が軌道計算をしているうちに、弥咲は船の設計図と回路図を机に広げ、時間との戦いの中で答えを出していった。


 最後の酸素不足に対し、通常は非常用設備の空調ダクトを外すなど絶対に行わない。40分という制限時間を終えて後に知ったのは、残っていた酸素残量はたった5分という際どいものだったし、エンジンを燃焼させず、燃料をポンプの圧力だけで吹き出させての推進などは、誰もが祈るしかなかったという。


 色々と強引な綱渡りの手法には疑問の声も上がったとのこと。それでもあの状況の中で若干でも余力を残しつつ全員が無事に到着という偉業の前には誰もそれを覆すことはできず、渚珠が異常時対応の報告書を各項目ごとにまとめて整理・提出した程度で、処分を受けた者はいなかった。


「つまり……、今日は私も制服姿ですけれど、みんながこれから選んで着る制服には、それだけの責任を負うと同時に、権限が与えられていることになるんです。あのときに卒業式用のミドルスクールの装いだけだったら、あんな事はできませんでしたから」


 あの事故以降、私用であっても制服を持ち歩くようになり、以前のものより小さく折り畳めるようにデザインを変えたいと上部と交渉したのも渚珠で、なかなか認められない変更も彼女だから通ったようなもの。


「そうか、だから必ず名前が刺繍なんだ……」


「そういうこと。ネームプレートは引っかかったりして取れちゃうこともあるでしょ? 本物は全員刺繍って制服規定にも書いてあるから、選ぶときはそういうことも意識して選んでね」


「そっか。問題はあたしらの配属先だよね。それによっても変わってくるだろうし」


 桃香の呟きに、渚珠と教官は目配せをする。「喋ってもいい」との頷きが出た。


「どうして、異常時カリキュラムの訓練をアクアリアのうちでやるか分かる? アルテミスの基地配属だったら、ここでやれば十分でしょ?」


 最早答えを言っているようなものだ。渚珠の事をいちばん近くで見ていた桃香がそれに気づかないわけがない。


「え? 渚珠……、それ本気で言ってんの?」


「今、新しい海上港は建設中。そこの初代メンバーが訓練を卒業して着任するのを待っている状態ね。最新鋭の設備付きだから。訓練中に見に行く機会もあると思うよ。だから、他のどの教室よりもハードだったと思う。アクアリアでのプログラムもそうだと思うけど……。どうする?」


 教室の外まで聞こえそうな歓声があがる。このメンバーは最初からそれを念頭に一般訓練生とは別メニューで行われてきた。


 中学校ミドルスクールの卒業直後に「アクアリアで待っている」と囁いたのはその布石だったのだから。


「行かないわけ無いでしょ!? そこまで聞いちゃったなら!」


 桃香の言葉に全員が同意する。ALICEポートは歴史上に名を残す場所である一方、新規開港は経験していない。


 そんな土産話を直々に持ってきた渚珠は六人の元同級生からもみくちゃにされて特別講義の時間は終わった。



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