第118話 みんな笑顔だった。前を向いていこう?




 あの日、渚珠を連れてサナトリウムのバルコニーで声をかけたとき、はじめは彼が眠っているのかと思ったほどだ。


 すぐに呼吸がないことに気づいて脈を測ったときに、美桜はこれまで何人もの患者を看取ってきて、初めて涙をこらえられなくなった。


 渚珠に抱きしめられて、嗚咽を漏らし始め、それは次第に号泣に変わった。


 単純に悠介を助けられなかったからという理由ではない。


 一組の男女の純粋な想いの結末に耐えられなかったから。


 遺してしまう彼のために奇跡を起こした彼女。そして、形だけでも二人の夢を叶えたいと願い、残り時間の全てを使った挙式。


 簡単に機械との婚姻は認められないという文言では片付けられなかった。


「美桜ちゃん、二人とも最後は幸せそうに笑っていた。やれることはやったんだよ。美桜ちゃんもお疲れさまでした」


「ありがとう……」


「これから、同じようなことが起きるかも知れないねぇ。やっぱりアルテミスだけじゃなくコロニーでも、最後は好きなところでってケースも少なくないんでしょ?」

 

 奏空の言うとおり、この楽園のようなアクアリアの景色の中で最後の時間を過ごすというのは、多くの人が抱く切ない願いでもあり、渡航が叶わないにしても、本人の意向に一番近い環境でという終末期ケアを行うための疑似環境も、コロニーにおいて増えつつある。


「うん……、そうかも知れないね。だいたい最後はホスピス的な部屋に入ることも多いね」


 美桜が治療をする診療所とは別に、サナトリウムの建屋を作ったのは、こういった経験をもとにしてのことだろう。




「さぁ、終わった」


 全てを収め終えた穴を再び埋め戻し、その上に二人の名前を彫ったストーンを置いた。渚珠のアイディアで、ALICEポートの敷地の管理人としての銘板らしくデザインしたから、墓標と思う人はいないだろう。


「あとは、悠介さんたちに管理はおまかせしましょう。皆さん、また来ますね。凪紗ちゃん、弥咲ちゃん、作業終わった?」


 このあと、この島にはレジャー用の小屋と、航行標識用の電波ビーコンを設置するための準備作業がこの二人によって行われていた。



 渚珠が船を出して、五人で帰路につく。


「今回はおつかれさま」


「奏空ちゃん……」


 一番後ろで、いつまでも元来た方向を眺めていた美桜の肩にそっと手を載せた奏空。


「あの三人は、ちゃんと想いが届いたんだもの。美桜ちゃんが悲しむことはないんだよ。それに最後までお見送りしたんだから、それで大丈夫」


「ありがとうございます……。お恥ずかしいです」


「美桜ちゃんが元気なかったらね……。命を助けるお仕事であると同時に、見送るお仕事でもあるものね。みんな分かってるよ。私たちのお仕事の中にはこういうこともあるって事なんだよね」


 ポートという場所がら、人との出会いと別れはいつも見てきているはずなのに。


「そうそう、美桜ちゃんがこの間言っていた計画、あれには私も渚珠ちゃんも賛成してる。また進めようよ」


「うん、そうですね。あれも考えなくちゃならないですね」


 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。まだここでやらなくてはならないことはいくらでも残っているのだから。


 放っておけば再び零れてしまいそうな涙を、上を向いて何とか堪えた。


「うん、もうこれで終わり。さぁ、また頑張ります私」


 暖かい南風が彼女の髪をかき回す。瞑った目を開いて、美桜は視線を船の前に向けた。


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