第35話 宣誓の元に ~ 帰還 ~ 5/7

「特別な魂など、存在しない。というのは、誤りなのだろうか」


 苦笑を浮かべながら、閻魔大王がそう呟く。


「誤りではないとは思いますが」


 後方に控えるナズナが、呟きに応えるように口を開く。


「誰かにとっての特別な魂、というものは、数多く存在するものです」

「そうであったな」


 閻魔大王の前に立っているのは、エマ。

 アスミの記憶を消された魂は、前の魂の持ち主であるエマの姿へと戻っていた。

 もちろん、その魂が持つ記憶もエマのもの。


「アスミさん・・・・わたしは、こんな事になるとは・・・・ただ、わたしは・・・・」


 アスミからの手紙を読み、涙を流すエマに、ナズナが歩み寄って肩に手を添える。


「そこに書いてあるでしょ、あなたが悲しむ事なんて、無い」

「だが」

「それに、マーシュがヤキモチ妬くわよ?『俺だってまだエマの泣き顔なんて見たこと無いのにっ!』って」

「・・・・子供じゃあるまいし」

「子供よ、あいつは」

「まぁ、確かに」


 ようやく笑みを浮かべて涙を拭うエマに、閻魔大王が尋ねる。


「改めてそなたに問う。行き先は『カウンセリングルームα』。異論は無いか?」

「はい」

「主の正体も、知っておるな?」

「はい」

「それでもなお、あの者についていくと言うか。それが何を意味するか、理解はしているか?」

「正直なところまだ覚悟はできておりません。ですが、理解はしているつもりです」

「そうか。ならばよかろう」


 立ち上がると、閻魔大王はナズナへ告げた。


「この者を、カウンセリングルームαへ」

「かしこまりました」


 ナズナは恭しく閻魔大王へ頭を下げると、そっとエマの右手を取る。

 エマと目が合うと、閻魔大王はその瞳に子供のような邪気の無い光を浮かべて柔らかな笑顔を見せ、こうべを垂れた。

 それは、この冥界を支え続ける王としての姿ではなく、息子を想う、愛情深い父親の姿。

 伝わってくる温かな感情に、エマは頬を緩め、敬意を持って深くあたまを下げた。



「ナズナ、さん」

「ナズナでいいわ」

「分かった」


 ナズナに手を引かれてルームαへの道を歩きながら、エマはナズナに尋ねた。


「マーシュとは、その・・・・」

「話したわよ、ちゃんと」

「そうか」


 あっけらかんと笑い、ナズナは続ける。


「テラとも、ね」

「テラと?」

「そ。ほんと、言っちゃなんだけど、テラってすんごいシスコンよね」

「・・・・確かに」

「でも。すごい人ね、テラって」

「そうだ。テラはすごいんだ」

「・・・・ブラコン」

「はっ?」

「まったく、いいコンビね」

「まぁ、双子だから、な」

「良くも悪くもね」

「ん?」


 小首を傾げるエマを、ナズナは呆れたように見る。


「マーシュも鈍感だけど、エマも鈍感?」

「どうだろうか・・・・わたしにはわからない」

「わからない、って言うだけマシかな」

「それは、褒めているのか?」

「一応ね」


 クスリと笑い、緋色の瞳を細めると、ナズナはその場に立ち止まる。

 同時に足を止めたエマに、ナズナは笑みを消すと真っすぐな瞳を向けた。


「あたし、マーシュが好きよ。本人にも伝えたけど、あなたにも伝えておく。この気持ちはそう簡単には変わらないわ。だからしばらくの間は、無理に気持ちを抑えたりしないで、このままマーシュのことを好きでいようと思うの。でもだからって、あたしに気を遣うことなんてないからね?そんな同情は、こっちからお断り。この気持ちは、あたしの力なの。この気持ちを力に変えて、あたしはもっと自分を磨く。そう、決めたから」


 じっとナズナの言葉を聞いていたエマが、ポツリと呟く。


「・・・・強いな、ナズナは」

「そうよ?あたしは、強いの・・・・なんて、ね。実はテラが教えてくれたのよ」

「テラが?」

「そ」

「そうか。さすがだな、テラ」

「ほんと、ブラコン」

「悪いか?」

「別に」


 ふふふっと。

 どちらからともなく笑いあい、同時に一歩足を踏み出す。


「わたしはこのまま、戻ってもいいのだろうか」

「まだアスミさんのこと、気にしてるの?」

「どんな人だった?ナズナは会ったのだろう?」

「感じのいい老婦人、てところかしら。でもそうね、同じ魂なんだから当たり前だけど、あなたとよく似ていたわ」

「わたし、と?」

「逆の立場なら、あなただって同じこと、してたんじゃない?」


 目指すルームαは、もうすぐそこ。

 ナズナはエマから手を放し、そっとその背中を押した。


「さ、行ってらっしゃい。マーシュのところへ」

「・・・・ありがとう、ナズナ」


 小さく頷き、ナズナはルームαへと繋がる扉の前に立つ。

 左手に、アスミからの手紙を握りしめて。



「なんだよ、いったいどうなってるんだ?天国ってのは、人間にとって憧れの場所なんじゃないのか?!頼むよ、勘弁してくれ。テラみたいな変わり者は、あいつ1人で十分だっ!」


 次にやってくる魂の情報に触れると、マーシュは閉じていた目を開いて盛大に溜め息を吐く。

 冥界カウンセリングルームα。

 マーシュはこの、ルームαの主。

 真っ白な部屋に、黒いデスクと黒い肘掛け椅子。

 左手には、地獄のAからEまでそれぞれ続く扉。

 右手には、地獄のFからHまでと、リハビリテーションルーム、現世戻りの間へと続く扉。

 さらにマーシュが腰かけている椅子のすぐ後ろには、最近ではちょくちょく開いている、天国へと続く扉がある。

 この天国への扉。

 以前は一度も開いたことが無かったのだ。

 それを開いたのは、テラ。

 冥界入り口で『天国行き』を告げられながら、頑として受け入れず、『現世戻り』を望んだ変わり者。

 とある約束を交わし、ようやく天国行きを受け入れて天国へと行ったかと思えば、驚くほどしょっちゅう、マーシュの元を訪ねてこのルームαへとやって来る。

 故に、開かずの扉と思われていたこの天国への扉は、今では非常にしばしば開く事となった。


(あ~、あいつ来ないかな。こういう時に限って来ないんだよなぁ、あいつは・・・・)


 チラリと後方の扉に恨めし気な目を向けると、マーシュは再びため息を吐いた。

 次にやってくる魂は、テラと同様に、天国行きを拒んでいるという。


(今度はどんな無理難題吹っ掛けてくるんだよ・・・・)


 テラが天国行きを受け入れた条件は、妹であるエマを自分の代わりにマーシュが守ると約束すること。

 その約束のお陰で、マーシュはエマと出会った。

 エマと出会い、そして心惹かれ、恋に落ちた。

 テラとの約束が無くとも、心から守りたい、共にありたいと、いつしか願うようになっていた。

 だが、そのエマは今、ここにはいない。


「テラーっ!どうせ暇なら手伝いに来いっ!」


 自棄気味にそう叫んでみるが、天国への扉は閉じたまま。


「あいつ、こっちの都合はお構いなく、自分の都合のいい時にしか来ないんだよな、まったく・・・・」


 諦めたようにそう呟くと、マーシュは魂の情報のインプットを再開した。

 暫くの後。

 マーシュの声が、誰もいない真っ白なカウンセリングルームαに響いた。


「んっ?これって・・・・」

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