第36話 宣誓の元に ~ 帰還 ~ 6/7

(もしそうなら・・・・真っ先にテラが来ているはずだ。だが、どう考えてもこれは・・・・)


 次の魂がこのカウンセリングルームαへやって来るまで、あと僅か。

 ルームαの主、マーシュは、座り慣れて体に馴染んだ肘掛け椅子に体を預け、片手で口を覆って思考を巡らせていた。

 次に迎える魂に対して、ある可能性を否定するための要素を、様々な角度から探っていたのだ。

 だが、いくら探しても、否定しうる要素が見当たらない。

 それどころか。

 可能性が現実味を帯びる要素ばかりが、頭に思い浮かぶ。


(そう、なのか・・・・本当に、そうなのか?いや、まさか。だが・・・・)


 今までに、数えきれない程の魂をこのルームαへと迎え入れて来たマーシュだったが、これほどまでに期待と不安を抱えた事は無かったのではないかと思うほどに、精神状態が不安定であることを自覚していた。

 初めて魂を迎え入れた時ですら、ここまでの緊張状態では無かったはず。


(落ち着け。まだそうと決まったわけではない。それにこれは・・・・仕事だ)


 口を覆っていた手を外し、椅子の上で背筋を正すと、マーシュは大きな深呼吸を二度繰り返した。

 すると、幾分落ち着いた頭が、冷静な事実をマーシュに突きつける。


「はっ・・・・そうだよ、な。覚えているはずが、無いんだ。たとえそうだとしたって」


 マーシュの口元に浮かんだのは、自嘲の笑み。


「何を考えているんだ、俺は・・・・はは・・・・ははははっ」


 白い空間にマーシュの乾いた笑い声が響き渡った直後。

 カウンセリングルームαの入口の扉が、ゆっくりと開いた。



「冥界カウンセリングルームαへ・・・・」


 口にしかけたいつもの言葉が、そのまま喉の奥へと吸い込まれる。


「どうした、マーシュ。言葉が足りないようだが?」


 左右の壁にそれぞれ5つずつ並んでいる扉の中央を、まっすぐにマーシュの座るデスクへと歩いてくるのは、一瞬だって忘れることのできなかった大切な人の姿。

 掛けられた言葉は、相変わらず愛想が無いものの、突き放されている感じは受けない。

 むしろ・・・・


「エマっ?!」


 烏の濡羽色のロングヘア。漆黒の瞳、くっきり二重の大きな吊り目。

 その唇は、艶やかな赤。

 初めて冥界に来た時と同じ黒のワンピースを身に着けたエマは、赤いラインの手前で足を止めると、真っすぐにマーシュを見上げる。


「なん、で?」

「なんで、とは心外な。わたしはここで宣誓したはずだが?『次の生を終えたならば必ず、わたしはこのルームαに、マーシュの元に戻って来る』と」

「そう、だけどっ・・・・」


 堪らずに椅子から立ち上がり、マントを翻しながら段差を駆け降りてくるマーシュを、エマが片手を上げて制する。


「マーシュ。わたしは今、迷っている。本当にこのまま、ここに戻って来ても良いものか。このままマーシュと共に冥界ここで過ごす事が、本当に赦される事であるのか」

「・・・・エマ?」

「頼む。私情を挟むことなく、このルームαの主として、わたしに判定をくだしてほしい」


 そう言って、エマは左手に握りしめていた手紙を、マーシュへと差し出した。


「これは?」

「わたしが現世に戻って生き直したアスミさんから、わたしへ宛てた手紙だ」

「えっ?」

「読んで」

「いい、のか?」

「マーシュの事も書かれている」

「俺の?」


 硬い表情のままのエマから手紙を受け取ると、マーシュはその場で手紙を読み始めた。



「そういうこと、か」

「知らなかったんだ、わたしは。現世に戻って生き直したわたしが、再びわたしとしてここへ戻るということが、後に生きた人の記憶の消去を意味することになるなんて。だが、知らなかったということが、罪に対する免罪符になることなどあり得ない。そうだろう?」


 泣き出しそうなエマの感情が、マーシュには全て理解できた訳ではなかったが、心に抱えている罪悪感だけは感じ取ることができた。

 だがそれは、マーシュにしてみれば、抱く必要の無い罪悪感。

 アスミからの手紙にだって、明確にそう記されている。


「エマ」


 手紙をエマの手に戻しながら、マーシュは穏やかな声で語りかけた。


「エマの言う『罪』って、なに?」

「それは・・・・アスミさんの記憶を、生きた証を、消させてしまったこと」

「違うよ、エマ。それは『罪』じゃない」

「だがっ」

「それに、アスミさんの記憶は確かに魂から消去されてしまったけれども、彼女が生きた証まで消去された訳ではない。彼女の生きた証は、彼女が関わった全ての魂の中に刻まれている。俺ももちろんだけど、エマだって、彼女を忘れる事なんて絶対に無いだろう?」

「それは・・・・」

「もしそれが『罪』だと言うのなら。それはエマじゃなくて俺の『罪』だ」

「マーシュは関係ない」

「いいや、俺の『罪』なんだよ」


 燃えるような赤い瞳の中に、やるせない光を宿し、マーシュはエマの瞳をじっと見つめる。


「俺はどうしてもエマに戻って来てほしくて、別れ際にキミに印を付けてしまった。そう、その左手の痣だよ。いけないことだとは分かっていても、それでもどうしても、記憶が無くなって俺の事なんて忘れてしまったとしても、それでも俺はキミの魂に俺を忘れて欲しくは無かったんだ。その痣を持って生まれたアスミさんが、生を終えて冥界へ辿り着いたときに、ここ『ルームα』へ行くことを自ら希望したのは、恐らく俺のつけた印のせいだろう。だから、今ここにエマがいるのは、アスミさんが自ら記憶を消去してまでエマを俺の元に戻してくれたのは、俺のせい。俺の『罪』だ。エマが罪悪感を持つ必要なんて、なにひとつない」


 マーシュの言葉にも、エマは小さく首を横に振るばかり。


「じゃあ、こうしよう。これ以上、お互いに『罪』を重ねないために」

「えっ?」


 笑みを消し、真剣な眼差しをエマへと向け、マーシュはエマへ問うた。


「キミは本当は、どうしたい?」

「マーシュ?」

「言っただろ?『自分に嘘をつくことだって、罪になる』って」

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