第34話 宣誓の元に ~ 帰還 ~ 4/7

「ほぅ」


 短い声を上げると、閻魔大王は驚いたように目を見開き、アスミを見た。


「天国行きを蹴るというか」

「はい」

「そなた自身の記憶も消えてしまうのだぞ?」

「はい。承知しております」

「何故そこまで・・・・」


 戸惑うような顔すら浮かべる閻魔大王に、アスミは答える。


「私のこの生は、言わばエマとマーシュからの贈り物。私はもう、十分に私の生を、アスミとしての生を全ういたしました。一片の悔いも無いと言えば嘘になりますが、それでも概ね、満足のできる生を送ることができました。もうこれで、十分に満足でございます。私にできること、思い残すことはもうございません。ですからこの魂は、エマとマーシュにお返しすべきと思うのです」

「なるほど」

「それに」


 握りしめた左手を開き、赤い痣を右手でそっと撫でながら、アスミは続ける。


「私の中のエマが、叫んでいるのです。マーシュの元に戻りたいと。このような想いを抱いたまま天国へ昇ることなど、私にはできません。それこそ、『自分に嘘を吐く』ことになりますので。自分への嘘も、罪になるのですよね?」

「その通りだ」


 ふぅっと大きな息を吐き、天を仰ぐ閻魔大王に、後方に控えていたナズナから声がかかる。


「閻魔様、マーシュの勝ち、ではないですか?」

「ナズナよ、それは言ってくれるでない」

「ふふふっ」


 ばつの悪そうな表情を浮かべると、閻魔大王は席を立ち、アスミへと歩み寄る。


「では、さっそく」

「その前に、お願いがございます」


 アスミの頭上にかざし掛けた手を下ろし、閻魔大王がアスミへ先を促す。


「エマへ、私の前世を生きた彼女へ、手紙をしたためてもよろしいでしょうか?」

「手紙?」

「はい」


 左手を握りしめ、その手にそっと右手を添えながら、アスミは続ける。


「私の記憶が消されてしまう事に異存はございません。ですが、エマには知っておいて貰いたい。私がどんな生を生きたのかを。どれほど感謝をしているかを。私自身の言葉で直接、彼女に伝えたいのです」


 通常、人間の魂が2つ以上の生の記憶を持つことは無い。

 後に生きた記憶を消去して前の記憶に戻る事も稀である上に、後に生きた者から前に生きた者への情報の伝達など、前代未聞のこと。

 閻魔大王はしばし目を閉じ逡巡していたが。


「よかろう。ナズナ、紙とペンを」

「はいっ」


 開いた目は、情愛の籠った温かな光で溢れていた。


「アスミよ、案ずるな。そなたの記憶は消えてしまっても、そなた自身の生が消えてなくなる訳ではない。もちろん私もそなたを忘れることなど、決して無いだろう」

「ありがとうございます、閻魔様」


 その温かな情にアスミは顔を綻ばせ、敬意を持って深く頭を下げた。



 **********


 エマへ


 初めまして、というのはおかしいのかしら。

 あなたの魂は私の魂であり、私の魂はあなたの魂、なのですから。

 難しいですね。あなたへのご挨拶は。

 でも、初めまして。

 私は、アスミと申します。

 あなたが、エマが現世へ戻ってくれたお陰で、私は生を受けることができました。

 そうです。

 私はあなたの魂を持って、現世を生き直した者です。

 詳しいお話は存じませんが、あなたは自分らしい生を全うできなかったことを、非常に悔いていらしたとか。

 自分らしく生きることを、あなたが強く願ってくれたお陰で、私は自分自身の生を自分らしく全うすることができました。

 ですから、あなたにはとても感謝しております。

 それから、感謝している方がもう一人。

 マーシュです。

 あなたが必ず戻ると、約束をした方、ですよね?

 マーシュも、私が私の生を私らしく全うできるよう、支え続けてくれたのです。

 夢の中に現れて。


『自分に嘘をつくことだって、罪になる』


 この言葉は、マーシュからあなたへ贈られた言葉、ですよね?

 ですがこの言葉は間違いなく、私にとっても生き方の芯になっていたのです。


 私は、あなたとマーシュのお陰で、この上なく幸せな人生を送ることができました。

 私らしい、人生を。

 ですから、この魂は、あなたへお返しすることにいたします。

 あなたは、マーシュの元へ戻らなければなりません。

 約束は、守らないといけませんからね。

 それに。

 私自身も、あなたにマーシュの元に戻って欲しいと、願っているのです。

 マーシュはあなたを待ち続けています。

 あなたを信じて、今でもずっと待ち続けているのです。

 閻魔様曰く、『砂浜の中の一粒の砂にも満たない』ほどの、ほんの僅かな希望を信じて。


 この手紙をあなたが読む時には、私はいません。

 本音を言えば、直接お会いしてお伝えしたかったのですが、それはどうしたって叶わないこと。

 お分かりですよね?

 人間の魂が、2つ以上の記憶を持つことは無いと、閻魔様がおっしゃっていましたから。

 私の記憶を消すことにより、あなたの記憶が蘇ったのです、この魂に。

 だから今そこに、あなたが、エマがいる。

 でも、あなたは私に申し訳ないとか、そのような感情を持つことは無いのですよ。

 私は、あなたのお陰で生を受けることができ、そしてあなたのお陰で、とても幸せな人生を送ることができたのですから。

 ただ、あなたにこの魂を、お返ししただけ。

 それだけなのです。


 さぁ。

 今度は、あなたが幸せになる番ですよ、エマ。

 自分に嘘を吐くことなく。

 あなたを待つ、大事な人の元へ。


 ありがとう。

 さようなら。



 アスミ


 **********

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る