第33話 宣誓の元に ~ 帰還 ~ 3/7

「天国行きを、拒んだそうだな」


 目の前に座っているのが閻魔大王だと、ナズナから教えられた。

 そのナズナは、閻魔大王の後方に跪いて控えている。

 アスミは今、閻魔大王の前にひとり立たされていた。

 感じるのは、圧倒的な存在感と威厳。

 けれども、それだけではない。

 包み込むような、温かな情。

 それも確かに感じられ、緊張と安堵という奇妙な精神状態の中、アスミは小さく頷いた。


「はい。左様でございます」

「『カウンセリングルームα』へ行きたいと」

「はい」

「それは、何故だ?」


 そう問う閻魔大王は、興味深そうな目をアスミへと向けている。

 アスミは閻魔大王の視線を真っすぐに受け止めながら答えた。


「私は生前、幼い頃より何度も繰り返し同じ夢を見ました。その夢の中では、赤い瞳の男性が『自分に嘘をつくことだって、罪になる』と、私に教えてくれました。私は自分に嘘のない人生を生きたつもりです。ですので、後悔していることはございません。ですがひとつだけ。その男性とお会いすることが出来なかった事だけが、心残りでした。その男性が言っていたのです。『ルームαで待っている』と。『必ず戻ってきてほしい』と。私にはその場所がどこにあるかわかりませんでしたが、こちらへ来てはっきりと分かったのです。『ルームα』というのは、『カウンセリングルームα』のことだと。ですから、『カウンセリングルームα』へ行かせて欲しいと、お願いいたしました」

「そうであったか」


 ゆっくりと頷くと、閻魔大王はアスミへ告げた。


「そなたを『カウンセリングルームα』へ送ることは造作もないことだ。すぐにでも送ってやろう。ただ、今のそなたが『カウンセリングルームα』へ行ったところでなんら意味をなさぬということは、伝えておかねばなるまいな」

「えっ・・・・それは、何故ですか?」

「『カウンセリングルームα』にいる者がその帰りを待っているのは、そなたではなく、そなたの前の生を生きた魂なのだよ」


『絶対に戻ってきてくれよな、、ルームαに。・・・・俺の所に。待ってるから、な』


 生が尽きる直前に聞こえた、男の声。

 思い出したアスミは、閻魔大王へ尋ねる。


「もしかしてその方は、エマ、というお名前ですか?」

「さよう」

「そう、ですか」

「エマという名の人間の魂は、『カウンセリングルームα』の主に必ず戻ると約束をして、現世で生き直す事を選択したのだよ。自分らしく生きることができなかった生を随分悔いていたようでね。ただ、現世に戻った人間の魂の記憶は、すべて一度消されてしまう。ひとつの魂に、2つ以上の記憶を保持することは出来ないからだ。それが分かっていながら、彼女の記憶が消されてしまうことを分かっていながら、『カウンセリングルームα』の主はエマを現世へ送り出した。彼女自身の望みを叶えるために。そして今でも信じて待ち続けているのだよ、彼女の帰りを。彼女が戻る望みなど、それこそ砂浜の中の一粒の砂にも満たないというものを」


 呆れたような口調ながら、閻魔大王の表情はどこか寂し気なものに、アスミには見えた。


『忘れるなよ。自分に嘘をつくことだって、罪になるってこと』


 アスミの胸に、男の声が響く。


(あれは、エマさんへの言葉だったのね。私は、エマさんが生き直す選択をしてくれたから、そして、あなたがエマさんを現世へ送り出してくれたから、私として生きられた。そういう事なのね)


「さて、そなたには2つの選択肢がある。ひとつは、冥界入口でギーガルが告げたとおり、そなた自身として天国へ行く道。そしてもうひとつは、そなた自身の記憶を抹消し、エマとして『カウンセリングルームα』へ戻る道。どちらか好きな道を選ぶがいい」


 穏やかな笑みを湛えた閻魔大王から選択を委ねられ、アスミは戸惑った。

 アスミ自身として天国へ行く。

 それはやはり、人としては最高に栄誉な事なのだろう。

 アスミとて生前には、死後は必ずや天国へ行きたいと願っていたものだ。

 けれども。

 アスミが天国へ行けるほどの満ち足りた生を送ることができたのは、自分の前世を生きたエマと、エマを現世へと送り出してくれた『カウンセリングルームα』の主のお陰だ。

 そして、その『カウンセリングルームα』の主、夢の中の赤い瞳の男は、今でもエマの帰りを信じて待っているという。


(どうしよう。どうすれば・・・・私は、どうしたい?)


 無意識に左手を握りしめ、握りしめた左手を抱きしめるようにして右手で覆い、胸に当てて強く目を瞑る。

 握りしめた左手の痣から発せられる温かくも切ない波動が、アスナの全身を包み込む。


『その痣は、あんたへ向けられた懇願とも言える強い願いの証。・・・・懇願、と言うよりはおそらく、求愛に近いだろう。あんたは戻らなければいけないよ、あんたの帰りをこいねがっている者の元へ。いや、あんた自身も必ず戻りたいと願うはずだ。その時が来たならば』


 いつか見てもらった占い師が言っていた言葉。もしかしたら、『その時』が今なのかもしれない。


 "戻りたい、マーシュの元へ"


 胸の奥深くから響く、若い女性の声。


 "戻らなければ、マーシュの元へ"


 それは次第にアスミ自身の想いと重なり、アスミは心を決めて目を開けた。

 そして、真っすぐな目を閻魔大王へと向け、己の決断を伝えた。


「私はエマとして、『カウンセリングルームα』へ、マーシュの元へ戻ります」


 アスミの言葉に、ナズナがハッとしたように顔をあげた。

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