第20話 嘘

「遅いな・・・・」


 真っ白な、冥界カウンセリングルームα。

 座り馴れた肘掛け椅子に腰をおろし、マーシュはエマを待った。


「すまない、待たせた」


 やがてルームαへとやってきたエマは、見覚えのある真っ黒なワンピース姿。

 マーシュの座るデスクの横を素通りし、数段ある階段を降りると、デスク前の赤いラインで足を止め、真っ直ぐにマーシュを見上げる。


「エマ?」


 立ち上がりかけたマーシュを制するように、エマは言った。


「マーシュ、判定を」

「えっ?」

「わたしは生前、数えきれない程多くの嘘を吐いてきた。わたしを信じてくれていた多くの人を騙し続けた。そして、自分自身にも嘘を吐き続けてきた。兄として生きるために。大事な兄は、わたしを守る為にわたしの身代わりとなって命を奪われた。そのせいで、わたしの母は心を病んでしまった。気付かない内に、わたしは他にも多くの罪を犯しているのだろう、きっと。人間というものは、存在してるだけで救いになっていると同時に、存在しているだけで罪なんだと、わたしはマーシュの口から確かに聞いたからな。わたしは自分の犯した罪を償いたい。償ってそして、現世に戻ってわたしらしい生を全うしたい。マーシュ。わたしの行き先を教えてくれ。冥界ここに来た時には既に、行き先は決まっていたのだろう?」


 中腰のまま、マーシュは息をすることも忘れてエマの告白を聞いていた。

 エマの決めた事であれば全て受け入れよう。

 そう決意したはずの心が、早くも揺らぎ始める。


「さぁ、判定を、マーシュ」

「・・・・そう急かすなよ、エマ」


 やれやれ、とでも言うようにゆっくりと椅子に座りなおし、マーシュはじっとエマの目を見つめる。

 どのような色でも受け入れてしまうのではないかと思うほどの、美しく黒い瞳。

 その瞳に宿る、強い決意。


(本気、なんだな。キミはそう、決めたってことなんだな)


 大きく息を吸い込み、吐き出した息でついでのように口を開く。

 ように。


「冥界カウンセリングルームαへようこそ」


 棒読み口調でそう言うと、マーシュはニヤリと笑った。


「・・・・え?」


 あっけにとられた顔をしたエマだったが、すぐにムッとしたように口を尖らせマーシュを睨む。


「なんだその口調は?わたしにはいつも」

「俺はいいんだ、これで」

「狡いぞ」

「ああ、俺は狡いんだ。知らなかったのか?」


 少し高い位置からエマを見下ろすマーシュの姿は、いつものマーシュの姿のように見えて、別人のようにも見える。


「狡いついでに、教えてやる。俺はお前をどこへも行かせない。お前は冥界ここで俺の妻になるんだ」

「マーシュ?」

「知ってるだろう?俺はお前と違って嘘なんか吐き放題だからな。お前の決意を受け入れるっていうさっきの言葉、あれは嘘だ。未来の閻魔たる俺が、ただのいち人間の魂の決意なんか、いちいち聞く訳がないだろう?それからな、今日カフェで飲んだ紅茶。あれ、実は冥界産。だからお前は既にもう、冥界の住人なんだよ。どんなに望んだところで、俺の許可無しにはどこへも行けやしない。お前は俺が保護している、俺の未来の妻であり、未来の閻魔の妃。だから大人しく、お前はこれからもここで俺と共に暮らすんだ。冥界ここでの生が尽きるまでは、な」


 薄い笑いを顔に浮かべ、冷たい光を宿した瞳で、マーシュはエマを見下ろしている。

 そのマーシュの燃えるような赤い瞳が、よく見なければ分からない程に細かに揺れている事に気づき、エマはクスリと笑いを漏らした。


「何がおかしい?」

「本当に、大嘘つきだな、マーシュは」

「なに?」

「そんな事、思ってもいないくせに」


 瞳に優しい光を浮かべ、エマはマーシュの赤い瞳を真っ直ぐに見上げる。


「だいたい、マーシュは演技が下手過ぎる。気付いていないだろうからこの際伝えておくが、閻魔様はマーシュの小芝居など、瞬時に見抜いておいでだったぞ」

「なっ・・・・マジ、かっ?!」

「・・・・何度も言わせるな。冥界ここではわたしには嘘を吐くことなど不可能だ」

「そう、だったな・・・・」

「ああ、そうだ。私は冥界ここの住人ではないからな」

「ああ」

「やはり」

「・・・・あっ!」


 エマの思惑にすっかりハメられた事に気付いたマーシュは慌てて口を片手で塞いだものの、時すでに遅し。

 クスクスと笑い続けるエマに、マーシュは諸手を挙げ、降参の意を示す。


「参りました」

「ありがとう、マーシュ」

「ん?」

「マーシュの気持ちは、とても嬉しい。だがわたしは」

「分かってる」


 笑いを収め、エマは改めて真剣な面持ちでマーシュを見つめる。


「さぁ、判定を」

「ああ」


 小さく頷き、マーシュは椅子から立ち上がる。

 そして、マントを翻しながら数段の段差を降り、エマのすぐ前に立った。


「判定は、現世戻り」

「えっ?」


 予想外の判定に眉を顰めるエマに、マーシュは告げた。


「確かに、冥界ここに来た時にキミの判定は既に決まっていた。だが、生前の罪は、このルームαで多くの魂の行先を判定し続けたことにより、既に償われていると、俺は判断した。よって、俺がキミに下す判定は、現世戻りだ」

「少し、甘いのではないか?」

「仕方が無いだろう?俺にだって感情はある」

「なるほど。だが、後で問題になるようなことは、無いのか?」

「エマの働きは、親父の耳にだって届いているはず。これで問題になるようなら、俺が直接親父に掛け合う」


 心配顔のエマの頬を両手で包み込み、マーシュは続ける。


「エマ、せめて冥界にいる間だけは、俺にエマを守らせてくれ。テラとの約束でもあるし、何より俺自身が、そうしたいんだ」

「ありがとう、マーシュ。分かった」


 小さく頷くエマを確認すると、マーシュはエマの頬から手を離して現世へ続く扉へと向かい、その扉へ手を掛ける。


 現世に戻れば、当然のことながらエマの持つ記憶は全て消されてしまうだろう。

 テラに守られ、マーシュと共に冥界ここで過ごした記憶さえも。

 それが、人間の魂の理。

 たとえ次にマーシュと再び出会う事ができたとしても、その出会いに気付くことができるのは、マーシュだけだ。


 扉に手を掛けたまま、その扉を開くことができずにいるマーシュに、エマは凛と響きわたる声で告げた。


「マーシュ。わたしは必ずここへ戻って来る。この、ルームαに」

「・・・・えっ?だが、現世に戻れば」

「マーシュはここで、わたしを待っていてくれるのだろう?」

「もちろんだ。だが」


 胸の痛みに顔を曇らせるマーシュに、エマは弾けるような笑みを見せた。


「人間は、ここでは嘘を吐くことはできない。だからわたしは今ここで宣誓する。次の生を終えたならば必ず、わたしはこのルームαに、マーシュの元に必ず戻って来ると」

「エマ・・・・」


 扉に手を掛けたままのマーシュに歩み寄り、エマはその体を強く抱きしめた。


「だから、笑顔で送り出して欲しい。わたしを、信じてくれ」

「笑顔って・・・・それ今、大事な恋人を手放さなきゃならない傷心の俺に言う?エマってそんなに我が儘だったっけ?」

「知らなかったのか?わたしは結構な我が儘だぞ。機会があれば、テラに聞いてみるといい」


 小さく笑い、エマはマーシュから体を離す。


 「笑ってくれ、マーシュ。わたしは、マーシュの笑顔が、大好きだ」


 自信に満ちた、エマの笑顔。

 マーシュとの再会を信じて疑わない、強い眼差し。

 その、エマの姿に。

 微かな希望と確かな喜びを感じたマーシュの顔に、ようやく笑顔が戻る。

 扉を開けると、その手でエマの左手を取り、マーシュは手の平に口づけた。

 でき得る限り最大限の、想いを込めて。

 ようやく唇を離した時、エマの手の平には薄っすらと赤い痣が残っていた。


「行ってらっしゃい、エマ」

「ああ、行ってくる」


 左手の手の平に残されたマーシュの想いを抱きしめる様に、右手で抱え込んで胸に当て、エマは晴れ晴れとした笑顔を向ける。


「今度はちゃんと、自分らしく、な」

「もちろん」

「俺は待ってるから。この、ルームαで」


 扉の向こう側。

 真っ直ぐに前を向いたエマはそのまま振り返ることなく、現世へと戻って行った。

 

 「ナズナさんとは、よく話をした方がいいぞ」


 最後の最後に、そんな言葉をマーシュに残して。



「出て来い。いるんだろ?」

「なんだ、気付いてたの」


 マーシュの呼びかけに、ペロリと舌を出しながら、テラが椅子の後ろの扉から姿を現す。


「ほんと、マーシュって嘘つきだよね」

「なんだと?」

「エマの事、絶対守るって僕と約束したのに」

「・・・・最大限、守ったつもり、なんだけどな」

「だろうね」

「はっ?」

「エマは一度言い出したら、聞かないからねぇ」


 落ち込むマーシュを揶揄うように、テラはクスクスと笑いを漏らす。

 その笑い方がエマにそっくりで、流石は双子と、マーシュは妙に感心しながら、笑い続けるテラを眺める。


「なに?ちょっと、おかしなこと考えてないだろうね?」

「おかしなこと?」

「エマがいなくて寂しいからって、僕を代わりにしようとか」

「アホか」

「まぁ、話し相手くらいには、なってあげてもいいけど」

「いらん。帰れ」

「なんだよ、冷たいなぁ」

「いいからとりあえず、今日はもう帰れ。少し疲れた」

「・・・・わかった」


 意外にもあっさりと引き下がったテラの中に、エマと同じ優しさを感じ、マーシュは痛む胸を片手で強く押さえた。


「また来る」

「ああ」

「1人で泣かないでね」

「誰が泣くかっ!」

「ふふっ」


 小さな笑いと共に、テラの姿が扉の中へと消える。


 冥界カウンセリングルームα。

 真っ白なルームαに残されたのは、マーシュただ一人。

 見慣れているはずのこのルームαが、やけに広くやけに寂しく、マーシュには感じられた。

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