第18話 冥界デート~エマの決断~

「すごく似合ってるよ、エマ」


 洗いざらしの深紅の髪に、涼し気な奥二重の瞳は燃えるような赤。

 その目尻を嬉しそうにデレッと垂らし、マーシュはエマに言った。


「そ、そうか?」


 どこから調達してきたのか、マーシュから贈られた白いワンピースを身に付け、エマはマーシュの言葉に頬をうっすらと染める。


 今日は、マーシュとの初めての冥界デート。

 エマは当初、冥界へと向かう際に身に付けていた黒いワンピースを着る予定だった。

 エマの手持ちの服は、最初から身に付けていたこの黒いワンピースと、マーシュの用意した濃紫のボウタイブラウス&黒のロングスカートの執務服。

 それから、ルームウェアのピンクのデカTに黒のスパッツのみ。

 ここずっと、執務服とルームウェアしか身に付けていなかったエマは、いつもとは異なる着心地に、どこか心許なさすら感じるほどだった。


 ゆったりとしたシースルーの袖。

 詰襟風の襟元から胸元にかけては、金糸で美しいバラの刺繍が施されている。

 体のラインに沿うように絞られたウエストの下は、くるぶし丈の光沢のある生地が、ゆったりとエマの体を包んでいる。


「こちらも、どうぞ」


 そう言って恭しくマーシュが差し出したのは、眩しいほどに輝きを放つ、真っ白なパンプス。


「マーシュ、わたしは」

「初めてのデートなんだよ?オシャレしてくれたって、いいだろ?俺のために」


 馴れた様子でウィンクなどするマーシュに、エマは仕方なく片手を預け、差し出されたパンプスに足を入れた。



「どこに行きたい?」

「地獄を、見てみたい」

「・・・・は?」


 そもそも、今日のデートはエマの発案だった。

 自らも命を奪われて冥界へとやってきた身でありながら、今では同じように生を終えて冥界へと辿りついた末に行先に不満をもつ魂と日々向き合い、その行先を判定している自分。

 死してなおエマの身を案じ、天国行きを拒んだというテラを天国へと向かわせるために、マーシュがテラと交わした約束のお陰で、生前に犯したであろう罪を償う事もせずに、エマはさして不自由を感じることもなく、ここ冥界での日々を過ごしている。

 テラとマーシュの約束。

 テラの代わりに、マーシュがエマを守る、というもの。

 冥界へとやってきた、何と言うことも無いただの人間のエマの魂を。

 それは、閻魔大王の息子たるマーシュでなければ出来ない約束。

 現世では、裕福な家庭とテラに守られ。

 冥界では、テラとマーシュに守られ。

 このまま、自分は守られ続けているだけで、本当にいいのだろうかと。

 悩みに悩んだ末に、エマはようやくひとつの決断を下した。

 その決断を、マーシュに伝えるため。

 せめて、この時くらいは恋人らしく、マーシュの希望にも自分の気持にも応えたいと、エマからデートに誘ったのだ。


「地獄って・・・・見て楽しいところじゃ、ないぞ?」

「うん。それでも、見てみたい」

「・・・・分かった」


 呆れた様に溜め息を吐くマーシュは、黒いマントを翻して来た道をほんの少し戻り、地獄へと続いているであろう道へとエマをエスコートする。

 黒いシャツに、黒いパンツ。

 シンプルな装いながらも、マーシュからは普段は感じられない風格のようなものが漂っているように、エマは感じていた。



「ここが、Aだよ」


 マーシュの言葉に、エマは首を傾げた。

 そこにあるのは、全くの『無』の空間。

 広い空間に、間隔を空けて数人、何かを監視している人のような姿が見えるのみ。

 そんなエマの姿に、マーシュは小さく「あ」と呟くと、繋いでいたエマの手を離して目の前に立つ。


「目、瞑って」

「こう、か?」

「そう。そのまま」


 暫くすると、エマは閉じた瞼の上にほんのりとした温かさを感じた。

 直後。

 右瞼。

 左瞼と。

 続けざまに、温かくて柔らかなものが、軽く触れる。


「いいよ。目を開けて」


 言われるままに開いた眼前。

 超至近距離にあるマーシュの瞳に、エマは思わず後ずさり、バランスを崩した。


「きゃっ」

「おっと」


 すぐさまマーシュの腕に掬い上げられ、気付けばエマはマーシュの腕の中。


「ごめん、びっくりさせて」

「・・・・いや。さっきのは、なんだ?」

「ん?ああ、エマにも地獄ここにいる人間の魂が見えるようにしたんだ」

「えっ?」

「地獄に入った人間の魂はね、他の人間の魂を見る事はできないんだよ」

「なるほど」

「それから」

「ん?」

「ちょっとオマケも、ね」

「おまけ?」

「瞼に、キス」

「・・・・離せ」


 マーシュの胸を軽く手で押し体勢を立て直すと、エマは近くの魂に向かって歩き出す。


「ちょっ、エマ!待てって!」


 明らかに火照った顔を見られまいと、エマはマーシュの言葉を無視し、歩みを速めた。


 Aから順に、エマは全ての地獄に足を運んだ。

 そして、最後のH。

 まだ、Hの判定だけは、エマは下したことはない。

 もしかしたら、Hの判定となるような魂の判定は、エマのいないところでマーシュが行っていたのではないか。

 ・・・・エマの負担にならないように。

 ふと、そんな考えがエマの頭に浮かぶ。

 場所が場所だけに、流石に満面の笑みを浮かべることは無かったものの、エマは常に、自分を気遣うような、それでいて穏やかマーシュの視線を感じていた。


「あの、頭の上の数字は、なんだ?」

「残りの期間だよ」

「期間?」

「エマも、判定してるだろ?ランクと、期間。その、残りの期間だ」

「なるほど」


 どの地獄にいる魂も皆、頭上に数字が浮かんでいた。

 だが、共通するのはそれだけ。

 エマの想像とは異なり、地獄には様々な魂が存在していた。

 一心に祈りを捧げているように見える魂。

 エマの目には見えない何ものかから、必死で逃れているように見える魂。

 赦しを乞い、涙を流し続けている魂。


「あの数字が0になったら、どうなる?」

「現世に戻される。ごく稀に、天国に行くものもいるけどな」

「天国?地獄から?何故?」

「俺にも分からない。親父の判定だから」


 さほど興味の無さそうな顔でそう口にするマーシュの横顔を見ながら、エマは纏まりつつある考えを口にする。


「わたしも本来であれば、このどこかに行くはずだった」

「・・・・そうだな」

「もしわたしが、自分自身を判定するならば」

「・・・・マーシュ?」


 突然、背後から掛けられた声に、エマとマーシュは同時に振り返る。

 そこには。

 褐色の肌、暗褐色のロングストレートの髪に2本のツノを持つ、大きな緋色の吊り目の女性が立っていた。

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