第17話 無差別殺傷 2/2
「なるほど」
男の顔から手を離し、エマは目を閉じて口元に手を当てた。
この男の考えは極端に寄り過ぎているし、自己中心的であることは否めない。
だが。
苦しみながらもがきながら懸命に生きていたのは、事実。
その苦しみに寄り添う人間は、本当にいなかったのか。
生きている間に男を救う術は、本当になかったのだろうか。
目を開け、口元に当てた手を下ろすと、エマは男に問うた。
「お前は本当に、他人に自分を分かろうとしてもらう努力をしたのか?」
「はっ?」
「言わなくても分かる、などというのは幻想に過ぎない。どんなに幸せだろうがどんなに不幸だろうが、人間は誰でもみな、自分が一番だからな。周りの事など二の次。言われなければ、伝えられなければ、周りの人間の辛さになど、なかなか気付けるものではない」
「何を言って」
「お前は、周りの他人に自分を分かろうとしてもらう努力を怠っていた。そして、上ばかりを見て下を見る事をしていなかった。人間に上下を付けるのは憚られるが、現実には上下がある。何を基準にするかは人それぞれであろうが。お前の場合はさしずめ『幸せ』が基準なのだろう。また曖昧な物を基準にしたものだな。『幸せ』など、その物差しは本人にしか分からないというのに。お前から見て『幸せ』な人間が、実は『不幸』だったなどよくある話ではないか。お前が命を奪った者達の中にだって、『不幸』ながらも一生懸命に生きていた者がいた。そのことに、お前は気付いていたのか?」
「知る訳、無いだろう?」
「だろうな。なぜ気付かなかったか。それは、その者がお前に伝えていなかったからだ。自分は『不幸』だと。そしてお前も、知ろうともしなかった」
「・・・・何が言いたい?」
「あの花嫁は、余命半月だったのだよ」
「えっ」
「あの場にいた者達は皆、それを知っていた。花嫁自身が、皆に伝えていたからだ。花嫁は最後の力を振り絞って懸命に笑顔を浮かべていたし、花婿は涙を堪えて笑顔を浮かべていた。出席者も辛さを堪えて、皆で祝っていたんだ。恐らくは、彼らの最期の晴れの舞台を。死を間際にした花嫁は、懸命に生きながらも、己の不幸を、辛さを、包み隠さず周りの他人に伝える努力をした。だから周りはそんな彼女を支えていたんだ。ささやかでも幸せを掴んでほしいと、皆で彼女の晴れの舞台を祝っていたんだ。それをお前は、メチャクチャにした。お前のこの上なく勝手な、自己憐憫の感情で」
男は感情を失ってしまったかのように、呆けた顔でエマを見た。
その体からも力が失われたようで、マーシュに掴まれたままの腕は力なくぶら下がっている。
「幸せを奪われて不幸になったはずのお前は、不幸ながら幸せを掴み取ろうとしていた者達から、ささやかで切なる幸せを奪い取った。お前の考えによると、人から幸せを奪った者は、幸せになれるのだろう?ではお前は今、幸せか?最期のささやかな幸せを謳歌していた彼女たちに、絶望とやらを思い知らせることができたお前は今、満足できているのか?」
エマの言葉に、男は力なく首を横に振る。
「だろうな」
「俺は、どうすれば良かったんだ?」
「それはわたしが教えられる事ではない。わたしも、殺されてここにいる者なので、ね」
「そう、か」
すっかり大人しくなった男の腕を解放すると、マーシュはエマに声を掛けた。
「エマ、そろそろ判定を」
「G-5、って所だろう?」
マーシュの言葉に、男が言った。
「行くよ、そこに。俺が間違ってた」
「そうか」
小さく頷き、エマはマーシュに視線を送る。
その視線を受け、マーシュは入り口に背を向けた左手にあるGの扉を開く。
「聞いてもいいか?」
「なんだ?」
Gの扉に入る直前、男は振り返ってエマに尋ねた。
「あの花嫁は・・・・」
「現世に戻る準備の最中だ」
「そうか」
ほんの少しだけ笑顔を見せると、男はGの扉の中へと姿を消した。
「今度こそ、幸せになるといいな」
そんな小さな呟きを残して。
「マーシュ」
口元に手を当て、目の前で淹れたての紅茶から立ち上る湯気を眺めながら、エマは傍らのマーシュに声を掛ける。
「なんだ?」
「なぜ人間は罪を犯してしまうのだろう?」
「・・・・それは俺も知りたい」
「そう、か」
俯いた拍子に、黒髪が肩口から零れ落ち、考え込むエマの顔を覆い隠す。
「抑圧された生が罪へと繋がる理由のひとつになっているのであれば・・・・」
「えっ?」
「
エマの様子をじっと見ていたマーシュが、静かに口を開いた。
「その紅茶が」
「ん?」
「これだよって言ったら、エマはそれ、飲んでくれる?」
マーシュが手にしているのは、冥界産の茶葉が入った小さな袋。
口元から手を外し、エマはマーシュを見た後、視線を目の前の紅茶へと移した。
それを飲んでしまえば、エマは冥界の住人となり、暫くの間は現世に戻る事は叶わなくなる。
そうすれば、エマの安全は保障されたも同然だろう。
なにしろ、閻魔大王の息子、マーシュの未来の妃という立場になるのだから。
現世で身を挺してエマを守ったテラの願いも叶えられ、必ずエマを守るとのマーシュのテラとの約束も守られることとなる。
そうは思うものの。
どうしてもエマは、紅茶へと手を伸ばすことができなかった。
「もう、答えは出ているんじゃないか?」
苦笑を浮かべ、マーシュは袋を再びポケットへとしまう。
「大丈夫、それは現世から調達したいつもの紅茶だから。冷めないうちに、飲んで」
「・・・・うん」
「忘れるなよ。自分に嘘をつくことだって、罪になるってこと」
「・・・・うん」
奥二重の涼し気な切れ長の目が、優しく細められてエマを見つめている。
マーシュの温かな気持ちを感じながら、エマはマーシュの淹れた紅茶をゆっくりと味わった。
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