第16話 無差別殺傷 1/2
(これは・・・・)
次に迎える魂の情報をインプットしていたエマは、その情報を受け入れきれずにインプットを中断した。
それは、エマがこのルームαの臨時担当となってから、初めて取る行動。
当初は淡々と情報を整理し魂を迎え入れる準備を進めることができていたエマだったが、近頃では胸の内の葛藤に悩む事も多くなっていた。
「エマ?」
気遣わし気なマーシュの声が、余計にエマの胸を重くする。
「ルームZに回すか?この魂ならZの担当でも」
「大丈夫だ。問題無い」
軽く頭を振ると、エマは再び魂の情報のインプットを再開した。
「いらっしゃいました」
心なしか、いつもよりも近くに控える執事兼教育係兼恋人マーシュの声に、ひじ掛けのついた座り心地の良い椅子の上で背筋を伸ばすと、エマは閉じていた目を開き、口元に当てていた手を下ろして、入り口へと目を向けた。
そこにいたのは、エマの父親と同年代くらいの中年の男。
「冥界カウンセリングルームαへようこそ」
いつものように、何の感情も籠らない口調でそう発したエマの言葉が聞こえているのかいないのか。
絶望的な表情を隠そうともせず、男は入り口で立ち止まったまま。
すると、マーシュがエマの側を離れて男の元へと向かい、その腕を取った。
「こちらへ」
「いやだ、離せっ!俺はもう、どこへも行きたくないっ!」
マーシュの腕を振り払い、男は振り返って入り口の扉を開こうとする。
だが、扉が開くことは無い。
どのカウンセリングルームも同様の造りではあるが、このルームαも他のルームと違わず、ルームの入り口が一度入った魂の出口となる事は無い。
入った魂の出口となるのは、ルームの両側にあるA~Hの地獄への扉と、リハビリテーションルームへの扉、そして現世へと続く扉のみだと、エマはマーシュから聞かされていた。
力づくでエマの座るデスク前に引かれた赤いラインまで連れて行こうとするマーシュを制し、エマも椅子から立ち上がって男の元へと向かう。
「ダメだ、エマっ」
「構わない」
焦りの表情を浮かべるマーシュに軽く笑顔を向けると、エマはゆっくりと男に歩み寄り、男の目の前に立つ。
「現世での生を終えれば、全てを終わらせることができると思ったか」
マーシュに両腕を後ろで掴まれ、もがく男の目をエマは覗き込む。
その目の中にあるのは、強い拒絶と暗い絶望。その奥にあるのは、諦めと妬み。そして、圧倒的な孤独感。
「俺はもう死んだんだ。放っておいて・・・・くっ」
男の叫びが、遮られる。
この冥界では、人間は嘘を吐くことが出来ない。
と、言う事は。
「放っておいて欲しくなど、ないのだろう?」
男の目の奥の孤独感に向かって、エマは語り掛けた。
「放っておかれるのが辛かったから、自分の存在の証を残したかったから、お前はあのような凶行に及んだのではないのか?」
真っ直ぐなエマの視線の先、男の瞳の中ではいくつもの小さな揺らぎが交錯していた。
事前にインプットした情報によると、男は幼い頃から常に抑圧された環境下に置かれていた。
幼少期には、厳格すぎるほどの両親に縛られ。独立してからは、親から勧められた縁談を経て持った自分の家庭と、親のコネで就職した職場に縛られて。
そして次第に、自分でも気づかぬうちに心を病んでいったのだ。
心の病が進行してしまった男はその後、家族からも職場からも見放された。
男の両親は既に現世を離れている。
独り、欝々とした心を抱えた男は、やがて凶行に及んだ。
面識の無いあるカップルの結婚式場に忍び込み、扉の全てに鍵をかけて新郎新婦をはじめ親族、出席者を閉じ込めて、場内にセッティングされていた刃物を振り回して多数の死傷者を発生させたのだ。
真っ先に命を奪ったのは、ひな壇の上で幸せいっぱいな笑顔を浮かべていた花嫁。
そして次に、その花嫁を庇うべく男に立ち向かった花婿。
その後次々と、手当たり次第に式の出席者へと刃物を向け、そして。
最後には自らもその刃物を使って命を絶った。
男に下された判定は、G-5。
だが、そもそも死を全ての終わりだと思い込んでいた男は激しく抵抗し、このルームαへ送られてきたという訳だ。
「話してくれないか、お前の心の内を。お前をこのまま地獄へ送ることは容易い事だが、それではお前自身の救いにはならない。ほんの僅かでも、わたしはお前を救う手助けがしたい」
「ふんっ」
なおも抵抗する男は、小バカにしたような表情で鼻を鳴らし、思い切りエマから顔を背ける。
エマは男にさらに近づくと、両手で男の頬を包み込み、男と目線を合わせて、その瞳の中を覗き込んだ。
分かって欲しい。この苦しみに気付いて欲しい。何故、誰も分かってくれないんだ。
俺が何かしたか?何故俺だけがこんなにも不幸なんだ?
そうだ。
あいつらだ。
あいつらのせいで、俺はこうなったんだ。
なのにあいつらはのうのうと、幸せそうな顔をして生きていやがる。
俺が今、こんなにも苦しんでいるというのに、誰一人として俺の苦しみになんて気付きやしない。
なぜ、あいつらは気付かない?
・・・・そうか。
あいつらは、気付いている。気付いて気付かない振りをしているんだ。
なぜなら、あいつらは周りの人間から奪った幸せを、我がものとして謳歌しているのだから。そうだ、そうに違いない。
この俺の苦しみは、俺から奪った幸せで幸せになって、周りに見せつけている奴らのせいなんだ。
勝ち組がいる限り、負け組も存在し続ける。
不公平だ。
こんなの、絶対に不公平だ。
俺は認めない。認めないぞ。
俺が世の中のこの不公平を裁いて、必ず世間に認めさせてやる。
幸せを謳歌している奴らに、思い知らせてやる。
絶望ってやつを。
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