第15話 選ばれし者 2/2

「なんだ、今のは・・・・」


 思わず椅子から立ち上がり、エマは男が消えたあたりの床を見つめた。

 まるでそこには最初から誰もいなかったかのように、何も無かったかのように、何の痕跡も残されてはいない。


「ごめん、エマ。俺、実は・・・・」


 呆然とするエマの視線が、男が消えた床からマーシュへと移る。

 その視線の先で。

 マーシュは姿を変えた。


 執事服の黒スーツ・白ワイシャツ・濃紫ネクタイは、漆黒のマント・黒シャツ・黒パンツへ。

 整えられた短髪黒髪は、洗いざらしの深紅の髪へ。

 漆黒の瞳は、燃えるような赤い瞳へ。


「閻魔大王の息子、なんだ」


 エマの反応を窺うように、緊張の表情を浮かべるマーシュに、エマは言った。


「お前の正体を聞いているのではない。さっきのアレはなんだと聞いている!」

「・・・・へっ?!」

「あの男は、どこへ行った?本当に、消滅させてしまったのか?何故、贖罪の機会を与えてやらなかった!」


(・・・・そっちかい)


 興奮気味のエマに対し、拍子抜けした顔のマーシュは、マントを翻して移動すると、デスクを挟んでエマと正面から向かい合う。


「あの魂は、繰り返しカウンセリングルームに送られている魂なんだ。前回の担当は、このルームα、つまり俺だった。俺だって、無暗やたらに魂を消滅させたりはしないさ。だが、あの魂は、何度H-8に送っても、現世に戻るとまた同じ事を繰り返す。もう、H-8での贖罪をもってしても拭いきれない危険思想が、魂自体に染みついてしまっているんだよ」

「だがっ!」

「エマ」


 それでも、と。

 食い下がろうとするエマに、マーシュは冷たい光を宿した瞳で告げた。


「天国へ行くことができる人間の魂なんて実際、砂浜の中のひとつぶの砂よりも少ない。存在してるだけで救いになっていると同時に、存在しているだけで罪なんだよ、人間という存在は。多くの人間は、少なからず罪を犯すものなんだ。そのうえさらに、神などという存在を作り上げ、自らを神だと名乗り、多くの命を冒涜するような魂は、存在するに値しない。存在するだけで、罪にはなっても、救いにはなり得ない。俺は、そう判断した。だから、【消滅】という判定をしたんだ。エマ、優しいだけでは救えない魂もある。それだけは、分かって欲しい」


 マーシュの言葉に、エマは唇を噛んで視線を落とした。

 マーシュの言っている事は、頭では理解はできた。

 だが、どうしても、心が納得することを拒んでいる。


「今日は疲れたろ。驚いただろうし。エマはもう、休んでいい。後の魂は、俺が判定するから」

「・・・・分かった」


 小さく頷くと、マーシュと視線を合わせること無く、エマはルームαを後にした。


「・・・・やっぱり、最初から俺が対応すればよかったな」


 エマの居なくなったルームαでは、マーシュの呟きが響いていた。





「大丈夫か?」

「なにが?」


 エマに与えられた住居。

 そのリビングで、マーシュがいつものように紅茶を淹れ、エマの前に置く。


「いや、その・・・・」

「なんだ、もう戻してしまったのか」

「えっ?」

「赤い髪も、似合っていたが」


 今、エマの前にいるマーシュは、いつもの見慣れた短髪黒髪、黒い瞳の執事服姿。


「ほんとかっ?!」

「・・・・冥界ここではわたしには嘘が吐けない事など、知っているだろうに」

「言われてみれば」

「それに、わたしがマーシュにお世辞を言う必要性が見当たらない」

「・・・・ですよねー」


 照れた様に笑うと、マーシュは再びエマの前で本来の姿へと姿を変える。


「ひとつ、確認したい」

「なんなりと」


 紅茶を一口含み、カップをソーサーに戻すと、エマはマーシュの赤い瞳をまっすぐに見つめて、言った。


「以前にも聞いたが、『未来のキサキ』とはつまり、『未来の閻魔大王の妃』という意味か?」

「・・・・今それ、聞きますか」

「聞いているが?」

「・・・・ですよねー」

「いい加減、真面目に答えてくれないか」


 不機嫌そうに吊りぎみの目を細めるエマに、大きく息を吐き出すと、マーシュもまっすぐにエマを見つめる。


「そのとおりだよ、エマ。俺はいずれはキミと一緒になりたいと思っている。もちろん、キミさえ良ければ、だが」

「そのためには」


 マーシュを見つめていた視線を落とし、エマは口元に手を当てる。


「わたしはこのままのわたしでいては、いけないのでは?」

「ああ、そうだ」

冥界ここの住人になる必要がある、と」

「そのとおりだ」


 エマとマーシュの間に横たわる、静かな時間。

 しばらくすると、エマは再び視線をあげて、マーシュを見た。


「優しいな、マーシュは」

「・・・・は?」

「黙ってをわたしに飲ませてしまえば、わたしはすぐにでも冥界ここの住人になったのでは?」


 言いながら、エマがチラリと視線を動かした先は、マーシュのシャツのポケット。

 中には、冥界産の茶葉が入った袋が忍ばせてある。

 冥界のものを口にした人間は皆、冥界の住人となる。

 故に、マーシュはエマが口にするものを全て現世から調達し、冥界産のものを口にしないように気を配ってきた。

 エマが、冥界の住人になる意志を固める、その日が来るまではと。


「気付いて、いたのか」


 小さく頷き、エマは続ける。


「マーシュと共にここで暮らす事に、異存は無い。『妃』というものになる事については、正直なところ腰が引けるが。ただ・・・・」

「エマ」


 不安定に揺れるエマの黒い瞳に、マーシュは苦笑を浮かべて言葉を遮った。


「急がなくていいんだ。言っただろう?ゆっくり考えろって」

「うん・・・・ありがとう」


 ようやく笑みを浮かべたエマに、マーシュがホッと胸をなで下ろした時。


「ところで、マーシュは誰との【約束】でわたしを守ってくれているんだ?」

「・・・・今それ、聞きますか」

「聞いているが?」

「・・・・ですよねー」


 つい先ほどと同じくだりを繰り返し、マーシュはため息を吐き、観念したように言った。


「テラ」

「え?」

「テラだよ。エマの良く知っている、あのテラだ」


 呆然と見開かれたエマの瞳の中に写る自分の姿に、マーシュは再度溜め息を吐いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る