第14話 選ばれし者 1/2

 次の魂を迎え入れるべく準備をしていたマーシュは、エマがインプットしている情報に触れ、顔をしかめた。

 その魂は、もはやこの冥界では、ちょっとした有名人ならぬ有名魂となっている。

 もっとも、いい意味ではなく、悪い意味で。


(他のルームに、回すべきか)


 もともと、このルームαの担当はマーシュ。

 他のルームではおそらく手に負えないだろうとの判断の上で、このルームαに回されたのだと推測はできるものの、現在のルームαの担当はエマ。

 マーシュは今、エマの教育係の立ち位置。

 特殊事情故の一時的な担当変更のため、ルームαの担当変更は、マーシュの父以外には、誰にも知らされていない。


(参ったな、とりあえずエマには事前に情報提供をしておくか)


「エマ、次の魂だけど、この魂は」

「マーシュ」


 言いかけたマーシュの言葉を、エマは遮った。


「魂の情報は、事前に送られてくるこの必要最低限の事実だけでいい。余計な先入観は持ちたくない」


 闇よりも深いのではないかと思うほどの漆黒の瞳が、真っ直ぐにマーシュを見つめる。


「・・・・分かった」


 小さく頷きながらも、マーシュは最悪の事態に備えるべく、そっと拳を握りしめた。




「いらっしゃいました」


 すぐ隣に直立不動の姿勢で控える、執事兼教育係兼恋人マーシュの声に、エマの表情に緊張が走った。

 魂を迎え入れる前に、マーシュがその魂についての付加情報を口にしたことなど、今までただの一度もない。

 事前にインプットした情報だけでも、エマには到底理解のできない、頭を抱えたくなるほどのものばかりだった。

 なるべくフラットな視点で判定を下したいとの思いから、マーシュからの情報提供は断ったものの、恐らくは相当な訳有りの魂なのだろうことは、想像に難くない。


「冥界カウンセリングルームαへようこそ」


 ひじ掛けのついた座り心地の良い椅子に浅く腰をかけて姿勢を正し、エマは努めていつも通りに淡々とお決まりの言葉を口にする。

 その、エマの視線の先。

 ルームの入り口からエマの座るデスクに向かって、不機嫌さも露わな顔で歩いて来るのは、高齢の男だった。


「ようやく分かったか。まったく、この私に向かって地獄へ行けなどとは、不届き千万。あの者は即刻クビにすべきではないか」


 デスクに座るエマに向かって不満を口にしながら、男はまっすぐにエマの前まで歩みを進め、赤いラインの前で足を止める。


「そうであろう?我が女神」


 男の言葉に、エマは吊り気味の大きな目を二度三度瞬きした。

 隣に控えるマーシュは、吹き出してしまったのをごまかす為だろう、わざとらしく咳払いなどしている。


「何か、思い違いをしているのではないか?ここは、冥界カウンセリングルーム。そして私は、カウンセラー・兼・行先判定士だ。女神などではない」

「・・・・カウンセリングルーム?何故だ、私にカウンセリングなど必要なかろう?」

「冥界入り口で告げられた行先に不服を申し立てたのであろう?」

「当然だ。この私に【地獄に行け】など、誰がどう考えてもおかしいではないか」


(誰がどう考えても当然だと思うが)


 口には出さず、エマはじっと男の目を見つめた。



 事前にインプットした情報によると、男は生前【自分は神に選ばれし者】【我こそは神の生まれ変わり】と吹聴し、小手先のトリックで信者を集めては、実直に生きている彼らから金品を巻き上げ、労せずして財を蓄え優雅な暮らしを送っていたとのこと。

 のみならず、自らの意に沿わない者や、反旗を翻す者などを、熱心な信者を意のままに動かし、その命を奪う行為も繰り返し行っていた。

 自らは一切手を汚すことなく。


「さぁ、さっさと私を神の住まう天国へ」

「ひとつ尋ねるが」


 男の目を見ながら、エマは男に問うた。


「お前を選んだ神とは、何者だ?」

「は?」

「その神の名は?」

「・・・・そのようなこと、お前ごときに答える必要など無い。だいたい、この私に対して口の利き方がなっていないではないかっ!無礼だぞ!」

「なるほど」


 小さく呟くと、怒りを露わにする男に構わず、エマは口元に手を当てて目を閉じた。


 男の中には、己の行為に対する罪悪の念は、欠片も無い。

 ただ、【神に選ばれし者】【神の生まれ変わり】と、本心から信じているのではないことだけは、確かだった。

 ならばなぜ、ここまで罪悪の念が全く生まれないのか。


「何をしているっ?!さっさと私を天国へ連れていかぬかっ!」


 男の言葉に思考を中断させられ、エマは閉じていた目を開いた。

 と同時に、エマの隣に控えるマーシュが、音も無く一歩前に進み出る。


「お前の行く場所など、どこにも無い」


 地の底を這うような、低く暗い声。

 そんなマーシュの声を、エマは初めて耳にした。

 エマの座るデスクからは、一歩前に出てしまったマーシュの顔を見る事はできない。

 だが、その背から漂う気配は、真っ白なこのルームαを飲み込まんばかりの、暗黒の感情。


「なんだと?」

「お前の行ってきた数多の命への冒涜行為は、もはや看過はできぬ」


 そう言うと、マーシュはスッと伸ばした右腕を男へ向け、短く告げた。


「判定は、【消滅】だ」


 初めて耳にする判定に、エマは目を見開いてマーシュの背中を見つめた。

 背中越しに見えるマーシュの右手の手の平がゆっくりと上向けられると同時に、そこに生まれたのは小さな青い炎。

 その炎はみるみる内に大きな炎となり、やがてゴウゴウと音を立てて、ルームα全体を青く染める。


「滅せよ、業火」


 マーシュの言葉とともに、巨大な青い炎の塊が男に向かって一直線に放たれる。

 男は。

 言葉を発する間もなく炎の塊に飲み込まれ、消えた。

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