第13話 約束~マーシュの事情Ⅲ~

「へ~」

「・・・・なんだよ」

「いや~?」

「なんか、文句ありそうだけど?」

「無いとでも、思ってる?」

「・・・・いや」

「ふ~ん・・・・そうくるんだね」

「仕方ないだろ」

「職権乱用じゃない?」

「使えるものは何でも使う」

「あ、開き直った」


 冥界カウンセリングルームα。

 今日もここには、ルームの主:マーシュを訪ねてテラがやってきていた。


「紅茶でも、淹れるか?現世で手に入れて来たぞ。お前が好きだって言う紅茶」

「なに?罪滅ぼしのつもり?」

「・・・・要らないなら」

「飲むよ?もちろん」


 いつもマーシュが座っている、ひじ掛けのついた座り心地の良い椅子にゆったりと身を沈め、テラは恨みがましい目をマーシュへと向けている。


「じゃ、ちょっと待ってろ」


 その目から逃れるように。

 マーシュはその場を離れた。



 ****************


 エマが現世で人間としての生を終えた後。

 冥界までの道をエマと共に歩き、マーシュはエマを連れて共に父の元へと向かった。

 そして、緊張の面持ちで父の前に立つ。

 実の父親とは言え、マーシュにとってもこの冥界にとっても、父は偉大なる存在であり、顔を合わせる場ではいつでも少なからず緊張感を持ってはいた。

 その父親相手に、マーシュは今一芝居打とうとしているのだ。

 緊張感は、今までに感じた事のないほどのものだった。


「ただいま戻りました」

「うむ」

「父上のお言葉どおり、現世に赴き、人間の業を学んで参りました」

「そうか。して、その人間は?」

は、現世での我が師。私はの生に寄り添い、その生を見つめることで、より多くの業を学ぶことができました」


 考えに考えた末の言葉を、マーシュは父の前で口にする。

 この父を騙す事など、自分には到底不可能だとマーシュは分かっていた。

 だがそれでも、テラとの約束を守るためにも。

 ・・・・自分の気持ちに嘘をつかないためにも。

 マーシュはここでエマの手を離す訳にはいかなかった。


「人間。この者の名を知っておるか」


 予想通り、父親はエマへと質問を振った。


「はい」


 事前にマーシュが教えた通りの答えを、エマは口にする。


「この者の正体も、知っておるか」


 父のこの問いに、マーシュは内心ドキリとしたが。


「はい」


 エマは難なく答えた。

【正体】という、曖昧な問いだったからだろう。

 きっとエマは、マーシュが冥界の住人である、ということを【正体】と判断したに違いない。

 そうでなければ、エマに『はい』と答える事など不可能なのだ。

 なぜなら、この冥界において、人間が嘘を吐く事はできないのだから。


「それでもなお、この者についていくと言うか。それが何を意味するか、理解はしているか」


 父親のこの問いに、エマはついに首を傾げた。

 どのような形でエマに意志を確認するかは分からなかったが、父親がエマの意思確認をすることは想定済み。

 マーシュはエマの代わりに答えるように、口を開いた。


「そのことについてですが」


 不安そうな目を向けるエマの手をギュッと握り返すと、マーシュは父に向かって言葉を続ける。


「まずは、私の担当するルームαの担当となって冥界ここに馴れてから、2人でじっくり本格的に話を進める事にしています。ですので、彼女これ冥界ここに馴れるまでの間、私は彼女これの『執事兼教育係兼恋人』を担当いたします」


 マーシュの言葉に、父親は僅かに首を縦に振り、その目を再びエマへと向ける。


「人間。そなたも、それでよいか?」

「はい」


 話の流れに付いて行けていないのだろう。

 エマは、マーシュに言われた通りの答えを、口にした。

 

 万事うまく運んだと、安堵のあまり大きく息を吐きながら俯いて視線を落としたマーシュの前で。

 マーシュの父親は表情を和らげると、柔らかな笑顔に子供のような邪気の無い光を浮かべた瞳をエマへと向け、そのこうべを垂れた。

 直感的にエマが感じたものは、滲み出る父としての深い愛情。

 父親にも関わらず、マーシュが尋常ではない緊張感を漂わせていたこの相手が誰なのか、エマには分からなかったけれども。

 伝わってくる温かな情にエマは顔を綻ばせ、敬意を持って深くあたまを下げたのだった。



 ****************


「はい、どうぞ」

「わ~・・・・久し振り。まさかまたこれを飲むことができるなんて!もしかして、天国あっちより冥界こっちの方が、自由だったりする?」

「いやいや。そんな訳ないだろ」

「まぁ、そうだね。あはは」


 マーシュの淹れた紅茶を、エマと同じ色の瞳ながら少しばかりタレた目を嬉しそうに細めて、テラは紅茶を味わっている。


「あ。でもこれでマーシュの職権乱用を許した訳じゃ、ないからね?」

「だから、仕方ないだろ。ただの人間の魂を俺の手元で保護するには、これが一番安全なの!」


 しっかり紅茶を味わいながらも、テラはマーシュに釘を差すことを忘れない。

 一方、痛いところを付かれたマーシュは、既に腹を決めて開き直りに徹することにした。


「守りたいんだろ?エマのこと」

「それは、そうだけど」

「じゃあ、大人しく」

「エマとマーシュの付き合いを許したつもりは、ないんだけどな」

「いちいちテラの許しが必要なのか?」

「一応、兄だからね?それに」


 カップをソーサーに戻し、テラはマーシュをじっと見る。


「エマは、納得しているの?」


 またも痛いところを付かれ、マーシュは言葉に詰まった。


 実際のところ、早々に話を切り上げて、父の気が変わらぬ内にと逃げるようにここルームαへとエマを連れて来た際に、エマにはかなりの勢いで詰め寄られたのだ。


『どさくさに紛れて【恋人】とはなんだ。聞いていないぞ、そんなことは』


 と。

 ただ、ここ冥界において、マーシュの手元でいち人間の魂を保護下に置くには、それなりの理由が必要となる。

 冥界の住人が、人間の魂と交流を持つこと自体が稀であるうえに、その魂を保護下に置くなどということは、マーシュの記憶にある限りでは前代未聞の事。

 よほどの理由でもない限り、父親を納得させることなど、不可能だった。


 たとえば、最後の手段を講じる程ではないものの、他の者では手に負えない程に罪を重ねてしまっている魂であるとか。

 たとえば、この冥界において最高のパフォーマンスを発揮しうる才能を持った魂であるとか。

 たとえば。

 冥界の住人と結ばれるべき魂であるとか。


 そして、どのような魂であろうとも、最終的にマーシュの父親の許しが得られなければ、エマを保護下に置くことなどとうていできず、決まり通りに振り分け先へと送らなければならなくなり、テラとの約束を果たす事ができなくなってしまう。

 まずは、父親を納得させる理由が必要。

 その理由としてマーシュが考えたのが、とりあえずはエマを名目上の『冥界の住人である自分の伴侶候補』とすることだった。

 ・・・・そこに、マーシュ自身の下心が全く無かった、と言えば、大きな嘘にはなってしまうが。


 エマに詰め寄られたマーシュは、エマ自身に納得してもらうためにも、自分の想いをエマへと告げた。


『俺は真島という人間としてキミに接する内に、キミに惹かれていったんだ。それは、キミも気づいてくれていると思っていた。それに、本来の自分に戻った今でも、俺はキミの事が好きだ。【恋人】という肩書は、キミを守る為に俺の保護下に置く事が最大の理由ではあるけれども、そんなことが無くたって、俺はキミと一緒にいたいと思っている。もちろん、約束どおり、キミが嫌がるような事は、絶対にしない。だから今は、受け入れてくれないだろうか?冥界ここでのキミと俺の、この関係を。・・・・まぁ、キミが納得してくれなかったとしても、一度決まった事はそう簡単には変えられないんだけど、ね』


 マーシュの想いを受け止めてくれたのか。

 それとも。

 一度決まった事はそう簡単には変えられない、という言葉に諦めたのか。


『わかった』


 そう言って、エマはとりあえずはマーシュの肩書であるところの『執事兼教育係兼恋人』を受け入れてくれたのだった。



「まぁ、一応は、な」

「ほんとに?じゃあ、僕が直接エマに確認してもいい?」

「それはできない」


 テラの言葉に若干被るように、マーシュはテラの提案を即座に却下した。

 テラがルームαここへ来るのは自由だが、エマをテラに会わせる訳にはいかないのだ。

 エマは今、非常に特殊な条件下でマーシュの保護下に置かれているだけで、本来人間の魂は、天国行きにでもならない限り、会いたい魂に自由に会うことなど許されてはいないのだから。


「まぁ・・・・そうだよね。分かってる」


 意外にもあっさり引き下がると、テラは椅子から立ち上がった。


「でも、僕が勝手にコッソリ様子を見に来るだけなら、いいよね?」

「・・・・お前、どれだけ頻繁にここに来るつもりだ?」

「大事な妹が襲われないように、見張っていなくちゃいけないからねぇ?」

「お前は俺をなんだと思っているんだよ」

「職権乱用のちゃっかり男」

「・・・・」

「でも、信用はしてるから」


 じゃ、そろそろ帰るよ、と。

 テラは先ほどまで座っていたデスクの後ろの扉を開く。

 そこは、天国へと続く扉。

 中からは、もう毎度おなじみとなった、眩しいほどの光が溢れ出す。


「エマのこと、頼んだからね」


 振り返りざまにそう言うと、ニッコリと笑って、テラは光と中へと姿を消す。


「・・・・信用してるなら、しょっちゅう来るな」


 テラの消えた扉に向かい、マーシュは小さく呟くと、大きな溜め息をついた。

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