第12話 夢か現か~エマの過去Ⅲ~

 暗い道を、エマはただひたすら歩き続けていた。

 周りにも、たくさんの人が歩いている。

 皆、一様に押し黙ったまま。

 ただ、その中で。

 連れが居るのは、エマ1人。

 短く切りそろえていたはずの髪は、腰あたりまで伸びていて、身に付けていたメンズの服は、いつの間にか喪服のような黒いワンピースへと変わっている。

 そして。

 エマの隣を歩いているのは、真島。

 エマの右手は、真島の左手に、しっかりと握られていた。


「まし・・・・」

「シッ」


 言いかけた言葉を、前を向いたままの真島の鋭い言葉が制する。


 目的地も分からない。

 どこまで歩くのか、いつまで歩くのかも分からない。

 今、自分がどこにいるかも分からない中で。

 沸き起こる不安から真島の手をギュッと握りしめると。

 やはり前を向いたままの真島が、ほんの少し口の端に笑みを浮かべて、エマの手をギュッと握り返して来た。



「F-5。次、B-3。次、現世戻り。次、H-7・・・・えっ?H-7だよ、地獄だよ、地獄。あ~もうっ、じゃあカウンセリングルームQ行って!はい次、C-5・・・・」


 緩やかな渋滞の先から、何やら声が聞こえてきて、エマは右隣の真島を見た。

 真島は何故か、サラサラの黒い前髪で顔を隠すようにして俯いている。


「真島?」

「シッ」


 できるだけ小さな声で話しかけたつもりではあったが、それでも俯いたままの真島の鋭い声に制され、エマは仕方なく口を噤んだ。


(ここは、どこなんだろう?わたしは確か、あの時死んだはず・・・・)


 フラッシュバックのように蘇った、左腹部に深々と刺さる刃物の映像。

 エマは思わず左手で左腹部を確かめてみたが、触ったそこには傷らしきものは無く、痛みも無い。


(もしやここは、死後の世界とやら、か?)


 ゆるゆると渋滞を進み、やがて渋滞の先頭に辿り着いた時。


「このようなところで何をしておいでですかっ?!」


 目の前で手際よく人の振り分けを行っていた強面の男が、両の眼を見開いて真島を見て、動きを止めた。


「まぁ、色々事情が、な」


 バツが悪そうに笑い、真島は強面の男に尋ねる。


「・・・・いるか?」

「いらっしゃいますよ、奥に」

「そうか。じゃ」


 そう言うと、真島はエマの手を引いたまま強面の男の横をすり抜けて、大きな門構えの奥の建物へと歩き出す。

 だが、エマの左手が、強面の男に一瞬早く捕らえられた。


「わっ!」

「エマっ?!」


 倒れ込みそうになるエマを咄嗟に抱き抱える真島に、強面の男は恐縮しきりな表情を浮かべながらも、恐る恐るといった口調で告げる。


「お連れになっている、人間ですよね?お分かりでいらっしゃるとは思いますが・・・・ダメですよ、人間はここで振り分けないと」

は、いいんだ。だから、離せ」

「ですが」

「お前、未来のキサキに無礼を働く気か?」

「・・・・へっ?!・・・・これはとんだ失礼をっ!」


 真島の言葉に瞬時にして顔色を変えた強面の男は、慌ててエマの手を離す。


「悪いな、邪魔をした」


 短くそう言うと、真島は再びエマの手を引き、奥の建物へと向かって歩き出した。



「ここでは嘘を吐くことができない。基本、誰に何を聞かれても【はい】とだけ答えてくれ。質問への正しい答えが【いいえ】の場合は【はい】と答えることはできない。おそらく、無理に言おうとしたところで、言葉が口から出なくなるだろう。嘘になるからな。その場合は、ただ黙っているだけでいい。俺がフォローする」

「その前に、教えて欲しい」


 ずんずんと先を急ぐ真島の手を引き、エマは立ち止まった。

 この建物に辿り着くまでの道は、酷く陰気で暗い道だったが、建物内部はどちらかと言えば明るく華やか。

 鮮やかな色があちらこちらに散らばっている。

 ベースが黒の建物内。

 廊下の色は、場所によっては赤であったり、青であったり、黄色であったり。

 数ある扉の色もまるで統一感無く、紫であったり、金色であったり、オレンジ色であったり。


「ここは、どこ?」


 建物に入るまでは、間違いなくここは死後の世界と呼ばれる場所なのだろうと思っていたエマだったが、あまりに色鮮やかな建物内の雰囲気に、混乱し始めていた。


「冥界」

「冥界?・・・・とするとやはり、死後の世界。わたしはあの時、死んだのか」

「そうだ」


 再び歩き始めようとする真島を、エマは再度引き止める。


「なんだ?」

「では何故、お前がここにいる?」


 エマは、自分が死んだ事を理解していた。

 テラの命を奪ったあの女に、自分も命を奪われたのだと。

 だが、死の間際。

 手を握り、側にいてくれた真島は確かに生きていた。

 テラとエマの命を奪った女は、エマの目の前で自ら命を絶っている。

 真島までもがあの女に命を奪われたとは、考えにくい。


「お前がここにいるということは、ということだろう?何故だ?誰に殺された?・・・・まさか、自ら命を絶った訳では」

「あ~・・・・」


 エマの視線から逃れるように横を向くと、真島はクシャクシャと自身の黒髪を乱しながら、言いにくそうに口を開く。


「悪い。俺実は、人間じゃないんだ」

「・・・・は?」

「もともと俺、冥界ここの住人。だから別に、死んだ訳じゃない」

「・・・・え?」


 俄かには信じることができず、漆黒の瞳の吊り目を大きく見開いて自分を見つめるエマに、真島は苦笑を浮かべて続ける。


「まぁ、普通そういう反応になるよな。でも、これだけは信じて欲しい。俺は殺された訳でもないし、ましてや自ら死んだ訳でもない。だから、エマが心配するようなことは、何もない」

「・・・・分かった」


 真島は自分と同じように死んでしまった訳ではない。

 その事にエマは安堵し、ホッと息を漏らす。


「では、冥界ここの住人であるお前が、一体何故?」

「人間の業とやらを学びに、現世に潜入してたんだよ。上からのお達しで、ね」

「・・・・なるほど」


 だから、真島には自分の秘密が知られていたのかと、エマは1人納得し、小さく頷いた。


「それで、さっき言っていた『未来の』とは、なんだ?」

「えっ?!」

「真島のことか?わたしのことか?いや、【無礼】という言葉を使っていたな、確か。ということは、わたしではないな。すると、真島のことか?」


 明らかに動揺した真島の視線が、エマを上をウロウロと忙しなく動く。


「そそそれは、まぁ、追々・・・・」

「では、【はい】以外答えてはいけない理由は?」

「それは・・・・お前を守るため」

「わたしを、守る?何から?」

「・・・・色々。悪いが先を急ぎたい」

「どこへ?」

「・・・・俺の親父の所」

「真島のお父様の所へ?何故?」

「一応、冥界ここのお偉いさんで、な。挨拶しとかないと、後々面倒なんだよ。もう、いいか?」

「・・・・なるほど。だから、【無礼】、か」


 まだ何やら聞きたそうなエマの手を握りなおし、行くぞ、と真島は歩き出す。

 その横顔にふと、エマは尋ねた。


「真島、というのは偽名だな?お前の本当の名は?」

「・・・・マーシュ」

「そうか。だから、真島 裕・・・・なるほど」


 クスリと笑うエマに。


「・・・・笑うなよ。結構真剣に、考えたんだぞ?」


 マーシュは口を尖らせた。



 ***************


「・・・・エマ?」

「あ、あぁ」


 マーシュの呼びかけに記憶の淵から引き戻され、エマは小さく頭を振った。

 一息ついている間に、いつの間にか古い記憶の中に沈み込んでしまっていたらしい。


「マーシュ」


 目の前でかぐわしい香りを立たせている紅茶をぼんやりと眺めながら、エマはふと頭に浮かんだ疑問を口にした。


「このルームαは、なぜ【白】なんだ?」

「俺が【白】が好きだから」

「えっ」

「なにものにも染まらない。それには、強い意志が必要だ。俺は、強くありたいと思っている、いつだって。だから、【白】が好きなんだ」


 予想外の答えに目を丸くするエマに、マーシュは小さく笑う。


冥界ここはね、割と自由なんだよ。各カウンセリングルームの色は、担当が好きに変えられるし。それに、自室だって好きなように変えられる。周りに害が及ばない限り、大抵のことは自由にできるんだ。やるべきことさえちゃんとしていれば、ね」

「やるべきこと、とは?」

「現世的に言えば、仕事、かな。例えば俺は、このルームαの担当だし。まぁ、今はエマの執事兼教育係兼恋人だけど」

「・・・・恋人は【やるべきこと】ではないと思うが」

「他にも、各地獄の監視担当とか、冥界入り口の振り分け担当とか」

「なるほど」

「なになに、冥界に興味が湧いてきた?エマさえ良ければ、今度の休みに案内するよ。デートがてら」


 デレッと鼻の下を伸ばし、マーシュがエマをフワリと抱きしめる。

 最初こそ、マーシュの(エマにとっては)過剰なスキンシップに戸惑ったものの、最近ではすっかり馴れてしまったエマは、マーシュのほんのりとした温もりを感じながら、ずっと心に引っかかっていた思いを口にした。


「わたしはいつまで、こうしてルームαここにいるんだろうか」

「・・・・ここには、もういたくない?」

「そうではない。ただ、冥界ここの住人でもないただの人間のわたしが、ずっといていい場所では無いのではと」

「じゃあ」


 スッと温もりが離れると同時に、エマはマーシュの真剣な眼差しに捉えられていた。


冥界ここの住人に、なる?」

「・・・・なれるのか?」

「なれるよ。でも」

「でも?」

「しばらくの間は、現世を人間として生きることも、天国の住人になることも、できなくなる。冥界での生を終えるまでは、ね。言っておくけど、冥界の住人の寿命は、人間よりもずっと長いよ」


 どうする?と。

 マーシュの黒々とした瞳は、エマに問いかけているように見える。

 その問いに答える事ができず、考えを巡らせるエマに、マーシュは小さく笑って言った。


「ゆっくり、考えるといい」


 本来ならきっと、あるはずのない選択権。

 それを、マーシュはエマに与えてくれている。


「ありがとう」


 小さく呟くと、エマはカップを持ち上げ、マーシュの淹れてくれた紅茶の香りを楽しみつつ口に含んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る