第11話 自死
「いらっしゃいました」
すぐ隣から聞こえるマーシュの声に、エマは入り口へと視線を向ける。
直立不動の姿勢で控えるマーシュは、今日もサラサラの黒髪を綺麗に後方へ撫でつけており、いかにも『できる執事然』とした風貌。
(仕事は確かにできるが、オフの時のあの変わり様はいったい・・・・)
ふとそんなことを思いながらも、エマはいつものように、感情のこもらない口調でお決まりの言葉を口にした。
「冥界カウンセリングルームαへようこそ」
もはや注意することも諦めたのか、マーシュは小さく息を吐き出したのみ。
エマの視線を受けながら、入り口から入って来た女はゆっくりと歩みを進め、エマの座るデスクの手前に引かれた真っ赤なラインの前で足を止めた。
「なるほど」
真っ白な部屋の中、エマの座る場所から数段低い場所に立つ女の目を真っ直ぐに見つめながら、エマが小さく呟く。
覇気のない、疲れ果てたような女の表情。
その目の中にあったのは、絶望という感情のみだった。
女が冥界入り口で言い渡された行先は、【現世戻り】。
とたんに断固拒否の姿勢を見せ、女はこのルームαへと送られてきたという訳だ。
「お願いです」
蚊の鳴くような小さな声で、女は訴えかけるようにエマを見つめて言った。
「私を地獄に行かせてください」
「現世に戻るよりも、地獄に行く方を選ぶと言うか?」
「はい。生きるのは、地獄に行くよりも、辛いです・・・・」
事前にインプットした情報によると、女は地位のある厳格な両親の元に生まれ育った。
一見、何不自由のない暮らし。だが、女は籠の中の鳥も同然。
両親の期待に応える事だけを目標として生きていた。
だが。
世間を知る事無く生きてきてしまった女は、裏切りの果てに全てを失ってしまった。
女の心を壊したのは、優しさの仮面を被った、悪魔のような人間達。
世間知らずの女の信じる心を利用して、女を騙して全てを奪い取ったのだ。
地位も名誉も財産も、ささやかな夢さえも。
「地獄よりも辛い、か」
女から視線を外すと、エマは口元に手を当てて目を閉じた。
今の女の記憶には無いはずの【地獄】。
その【地獄】よりも辛いと言い切った、女の人生。
情報だけは得ているものの、女が感じ続けていた苦痛は、恐らくはエマの想像を絶するものだったのだろう。
女の人生において、【罪】が一切無かった訳ではない。
よって、望み通りに地獄行きの判定を下すことも、可能ではある。
だが。
自死とは、現世において為すべき事を自ら放棄したということ。
そのような魂は、まずはもう一度現世に戻って、為すべきことを為す事が最優先であると、マーシュからは教えられている。
それに。
地獄に行ったところで、贖罪が済めばまた現世へと戻る事になるのだ。
ならばまずは。
口元から手を外して目を開くと、エマは目の前で虚ろな目をしている女に声をかけた。
「お前の夢は、なんだ?」
「・・・・え?」
女が、怪訝そうな顔をエマへと向けたが、構わずにエマは続ける。
「わたしの夢は、わたしらしく生きることだ」
隣のマーシュが息を飲む音が聴こえたが、それでも構わずにエマは続けた。
「わたしの兄は、わたしを庇って殺された。だからわたしは、兄の代わりに兄の人生を生きる事を決めた。だが本当は・・・・わたしはわたしらしく、生きて行きたかった」
淡々とした口調ながらも、エマの顔には柔らかな微笑が浮かんでいる。
「お前も本当は、自分らしく生きたかったのではないか?」
「私、私、は・・・・父と母のために・・・・っ、父と、母の・・・・っ!あれっ?!」
喉元を押さえ、苦しそうな表情を見せる女に、エマは告げる。
「ここでは、嘘は吐けぬ。言ってみろ。お前の本当の夢は、なんだ?」
「私・・・・私、は・・・・」
女の頬に涙が伝い落ちる。
暫くの間、黙ったまま俯いていたが、やがて顔をあげて、女は言った。
「自由に、わたしらしく生きて、そして・・・・幸せに、なりたかった・・・・」
「ならば、叶えればいい、その夢を」
「えっ?」
「もう一度現世に戻って、な」
「でも・・・・」
不安に顔を歪める女に、エマは冷静に言葉を掛ける。
「お前は最初から諦めていたのではないか、自分らしく生きることを。これは受け売りになってしまうが、『自分に嘘をつくことも罪になる』そうだぞ」
「自分に、嘘・・・・」
「それからお前は、他にも罪を犯している。確かにお前は、信じた者に手ひどく裏切られた。だが、思い出してみろ。お前を信じて支えてくれた者は、ひとりも居なかったか?お前の事を心から案じている者は、ひとりも居なかったか?」
「・・・・それは・・・・」
「お前が自ら命を絶った事で、その者達が今どれほど苦しんでいるか、お前にも分かるだろう?その者達にお前が与えた苦しみ。それもお前の【罪】に他ならない」
エマの言葉に、女は胸元に手を当て、その手を強く握りしめる。
「私、は・・・・なんてことを」
「何よりお前は、為すべきことをまだ何も為していない」
「それは・・・・?」
「わたしには分からぬ。それを知る為に、人は生きるのだろうからな」
エマを見上げる女の目には、まだ僅かながら絶望が垣間見えるものの、それを覆い隠さんばかりの強い意志が生まれている。
それは、先ほどまでの女の目の中には無かった、希望の光。
「エマ、そろそろ判定を」
「分かった」
マーシュの言葉に、エマは小さく頷く。
そして、女に告げた。
「もう一度、生きろ。今度は、お前らしく」
「・・・・はい」
小さいながらも、しっかりとした女の返事を受けて、マーシュがエマの右手側、女から見ると左手側にある、現世へと続く扉を開く。
扉へと歩み寄り、一度振り返ってエマに向かい頭を下げると、女は扉の中へと姿を消した。
「覚えてくれてたんだ?」
「ん?」
「俺の言葉。あー、いや、【真島】の言葉、か?」
「・・・・ああ」
紅茶の入ったカップから一旦口を離し、小首を傾げたエマは、再びカップに口をつけると、口に含んで満足そうな表情を浮かべた。
「刺さったからな、あの言葉は」
「そっか」
『俺と2人だけの時には、ちゃんと【エマ】に戻ってね。自分に嘘をつくことだって、罪になるから』
テラとして生きていたエマが、真島に化けたマーシュと初めて会ったその日に言われた言葉。
この言葉に、自分がどれほど救われただろうかと、エマは改めて思い返す。
自分の身代わりとなって殺されたテラの代わりに、テラとして生きることを決めたエマではあったが、それはそう簡単な事では無かった。
真島の前だけでは、自分に戻れる。
この時間があったからこそ、短いながらもテラとしての人生を生きる事ができたのだと、エマは今更ながらに思い知らされていた。
「ねぇ、エマ」
「ん?」
「さっきのあれ、本音、だよね?」
「あれ、とは?」
「『わたしらしく生きて行きたかった』って」
「・・・・」
「ここでは嘘は吐けないもんな、人間は」
黙ったまま紅茶を飲み続けるエマを、マーシュは複雑な思いで見つめる。
「ねぇ、エマ?」
「・・・・」
「ここで、俺と一緒に・・・・」
「ん?」
「・・・・いや」
言いかけて口を閉じると、マーシュはわざとらしく慌てたようなそぶりを見せ、空になったエマのカップを片付け始めた。
いつもは丁寧に取り扱う茶器で、カチャカチャと音まで立てて。
「そろそろご準備を、エマ」
「えっ?まだ時間はある。それより今、何を言いかけた?」
「・・・・そんなに、聞きたい?」
片付けの手を止めると、マーシュはニヤリと笑ってエマの肩を抱き寄せる。
「ここで、俺と一緒にイイコトしてみない?って言おうとしたんだけど?」
「・・・・くだらん、離せ」
「だからやめたのに~。エマが聞きたいって言うから」
「うるさい。仕事に戻る」
「承知しました」
耳まで朱に染めて顔を背けるエマに、マーシュは小さく吹き出しながら、片付けを再開する。
「これは・・・・まだ当分使えないかも、な」
ポケットに忍ばせたままの冥界産の茶葉。
味も香りも、エマの好む現世の紅茶とは引けをとらない出来に仕上がっている。
いつかはエマに、と思いながらも。
マーシュは寂しげな表情を浮かべて片付けを終えると、次の魂を迎え入れる準備に取り掛かったのだった。
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