第10話 約束~マーシュの事情Ⅱ~
「大丈夫なの?本当に、エマは大丈夫なの?ねぇ、助けてあげることはできないのっ?!」
「だーかーらっ!俺は冥界の者だから、生者の理に手出しは出来ないって言っただろ?!つーかお前、なんでこんなにしょっちゅう
「えっ?みんな来られないの?」
「普通は来ないからな。
「『マーシュのところに行きたい』って言うと、たいていすぐ通してくれるんだよね。天国の門番も冥界の門番も。キミ、なんなの?ほんとはすごい人?」
「『ほんとは』って、なんだよ?」
半ばあきれ気味に、マーシュはまたも押しかけて来たテラを眺める。
天国へと向かったテラは、しばらくするとマーシュの元を尋ねてきたのだ。
天国に住まう者が冥界へ来る事など滅多に無い事で、当時の冥界でも相当動揺が広がったものだが、度重なるテラの訪問に、今ではこの冥界においてさえ、既に驚く者はほとんど居なくなっていた。
「最初に会った時は、それなりの立場の人なのかなと思ったけど、それ以来ずっと砕けた口調だし、あの時感じた威厳も感じられないから、ね」
ニコニコと笑いながら、テラはそんな事を言う。
「そりゃそうだ。あの時は【オン】の俺。それ以外は【オフ】の俺だから。これでも、仕事とそれ以外では、使い分けくらいしているからな?」
「なるほど、ね」
「あ~、こんなことなら、あの時名前なんて教えなきゃ良かった」
深紅の髪の中に両手指を突っ込み、グシャグシャと掻き回しながら、マーシュは思わずぼやきを漏らす。
「なんで?」
「なんで?って・・・・そうすりゃテラがここに来ることも、無かっただろう?」
「僕がここに来たら、迷惑?」
「来る事自体は迷惑ではないが、頻度ってものが」
「だって、仕方ないじゃないか。エマの危機が迫っているんだから!」
通常、冥界の者が
名を伝える事は即ち、伝えた相手との絆を作ることとなるからだ。
死人が冥界に留まる事は無い。故に、絆を作る必要も無い。
ただ。
テラから名を問われた時、マーシュは思ったのだ。
【約束】をしたからには、何か【証】となるものが欲しくなるのは当然だろうと。
その【証】としてマーシュがテラに預けたのが、自分自身の名だった。
「俺にだって、エマに生者としての最期が迫っているのは分かっている。だけど、こればっかりは、俺にはどうすることもできないんだ。俺がもし生者としてのエマの命を伸ばしてしまったなら、全ての生者のバランスが崩れることになる。冥界の者にとっては、禁忌を犯すことになるんだよ」
「そう、だよね。分かってる。マーシュは最初からそう言っていたからね。分かっては、いるんだけど」
諦めきれない想いを美しい漆黒の瞳から溢れさせながら、テラはマーシュに食い下がる。
「じゃあ、さ。せめて、エマをひとりで死なせる事は、しないで欲しい」
「何を言っている?人間は誰しも死ぬときはひとりきりだぞ?」
「それも分かっているけど!」
悔しそうに唇を噛みしめて、テラは言った。
「本当なら、僕が側にいて、最期の時までエマの手をずっと握りしめていてあげたい。許されるなら、エマの体を抱きしめていてあげたいよ。でももう、僕にはそれはできない。だから、キミが代わりに」
「おいおい、勘弁してくれ。何で俺がそこまで」
「だって、キミはエマが好きでしょ?」
「・・・・はぁっ?!」
「キミ、というか、【真島】くんが、かな?」
ニヤッと笑い、テラはマーシュを見る。
タレ気味の目に、悪戯っ子のような笑みを滲ませて。
「僕たち、違う形で出会っていたら、絶対に恋敵になっていたと思わない?」
「なるわけないだろ」
「どうして?」
「お前じゃ俺の敵にはなり得ない。力の差が有り過ぎて、な」
「それじゃあもちろん、僕の代わりにエマの最期の時、一緒にいてくれるよね?」
まんまとテラの術中にハマったと気づいた時には、時すでに遅し。
「・・・・分かったよ」
顔を背け、諦めた様に呟くマーシュの耳に、テラの言葉が響いた。
「僕はね、エマの兄として生まれた事が、誇らしいと同時に悔しくもあったんだ。だって、僕はエマを・・・・」
「テラ?」
マーシュが視線を戻した先には。
既にテラの姿は無かった。
***************
「テラ・・・・本当に、生きていたのね!私、私はてっきりあなたを殺してしまったのではと」
エマの目の前に立っているのは、テラを刺殺した女。
その目は、異様なほどにギラギラとした光を放って、エマを見つめている。
「あ・・・・あなたは・・・・」
あまりの恐怖に動く事すらできず、エマはその場に立ちすくむ。
「ごめんなさい、テラの大切な妹さんを殺してしまって。私てっきり、テラにまとわりつくストーカーだと思ってたの・・・・死んで償うわ。だから、お願い。テラも、私と一緒に」
グサリ、と。
腹部に冷たい衝撃が走った気がして、ぎこちない動きで視線を落としたエマは、女が手にした刃物が自分の左腹部に深々と飲み込まれているのを確認した。
そして、女はその刃物をエマから引き抜きざまに、自らの首へと滑らせる。
女の首から吹き出す血しぶきを浴びながら、エマは体を支える事ができずにふらりと前のめりに倒れかけた。
だが、そのまま地に倒れる事はなく。
「エマ」
耳元に、聞きなれた声が流れこむ。
「ま、しま?」
「ああ」
真島の手が、エマの手を強く握る。
エマの体を支えている真島の腕が、エマを強く抱きしめる。
「わたしは、死ぬの、か?」
「ああ」
「テラの代わりに、生きる事も、できず、に?」
「残念だが、な」
「そう、か」
次第に遠くなる意識の中、エマの視界で真島が笑った。
「心配ない。お前の魂は必ず、俺が守る」
「相変わらず、おかしなやつ、だ、な」
口元に小さな笑みを浮かべ、真島の腕の中でエマは息を引き取った。
「・・・・随分残酷な役割を押し付けたもんだな、まったく」
現世の人間の生死は常なる理。
冥界に生きるマーシュには、それほど興味のある事ではなかった。
だが。
このとき初めて、マーシュは学んだのだった。
親しい者の死というものが、どれほど生者にとっての痛みとなるか、ということを。
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