第7話 約束~マーシュの事情Ⅰ~

『いい加減、現世に行って人間の業を学んで来い』


 父親にそう言われ、マーシュは酷くうんざりしていた。

 好きであの父の子になった訳ではない。

 この冥界自体は気に入ってはいるが、遠い未来には自分が父の役を担う事になるのだと思うと、気が重くて仕方が無かったのだ。


 それでも。

 そんな事情などお構いなしに、死人の魂は途切れることなく、この冥界へとやってくる。

 そして。

 冥界入り口で振り分け切れない魂が、数あるカウンセリングルームへと送り込まれるのだ。

 マーシュが担当するルームαも、そのカウンセリングルームのひとつ。


「・・・・はぁっ?!なんだよこれ。ったく、こんな奴までいるなんて、人間って奴はいったい、どうなってやがんだ?」


 次にやってくる魂の情報に触れると、マーシュは閉じていた目を開いて溜め息を吐いた。


 目の前に広がるのは、いい加減見慣れた、どこまでも白い部屋。

 マーシュが座るデスクは、魂がやってくるフロアよりも、数段高い場所にある。

 左手には、地獄のAからEまでそれぞれ続く扉。

 右手には、地獄のFからHまでと、リハビリテーションルーム、現世戻りの間へと続く扉。

 さらにマーシュのすぐ後ろには、滅多に開くことの無い、天国へと続く扉がある。

 マーシュ自身、このルームαの担当になって以来、天国へと続く扉は一度も開いたことが無かった。

 各ルームの造りは、色こそ担当によって異なるものの、どこも同じ。

 だが。

 天国へと続く扉が開かれたという話は、嘘か真か、過去に1度も無いと聞いている。

 そして。

 デスクの前には、真っ赤なライン。

 魂は、ルームの主である判定士の許可無く、このラインを越えてやってくることは、できない。


 やがて、ルームαの扉が開き、1人の男が入って来た。


「あ~、冥界カウンセリングルームαへようこそ」


 面倒そうに棒読みでお決まりの文句を口にしながら、マーシュは近づいて来る男の姿を興味深々な目で眺めた。

 冥界入り口で『天国行き』を告げられながら、頑として受け入れず、『現世戻り』を望んでいるとのこと。

 冥界入り口で『天国行き』が告げられる人間の魂など、滅多にいない。

 それほどまでに、人間とは罪深い魂を持つものなのだと、マーシュはこの冥界で学んでいた。

 にも拘わらず、ほとんどの人間が『天国行き』を望んでいる。

 罪深い上に、欲深い。

 それが人間だと思っていたマーシュには、今このルームに入って来た魂が人間であるとは、到底思えなかった。


「お願いだ。どんな形でもいい。現世に戻らせてくれ!」


 赤いラインの手前で足を止めた男は、思い詰めた目でマーシュを見上げる。

 真っ黒で純粋な、漆黒の瞳。

 平常心の状態であれば、おそらく少しタレ気味の、優しい目をしているのだろう。

 烏の濡羽色、そう表したくなるくらいの艶やかな黒髪が乱れて、色白で細面の顔を覆っているのは、乱れた心境が現れているためか。


 事前にインプットした情報によると、この男の生前の振る舞いには、およそ【罪】と呼べるものが見当たらなかった。

 清廉潔白。

 非の打ちどころの無い人間。

 自己を律し、他者への愛に溢れた生。

 若くしてこの冥界へやってきた理由は、大事な人を庇い、身代わりとなってしまったからだった。


(こんなケース、対応したこと無いぞ・・・・)


 困惑しつつ、マーシュはその燃えるような赤い瞳で、縋る様に自分を見つめる男の瞳を覗き込んだ。


 男の心の中にいたのは、ただ1人。

 男とよく似た顔を持つ女。


「なるほど」


 小さく呟くと、マーシュは男に問うた。


「お前の望みは、なんだ?」

「だから、もう一度現世に」

「現世に戻って何をする?」

「・・・・約束、したんだ」


 男はマーシュから視線を外して俯き、両の拳を強く握りしめる。


「何があっても、守るって」


 ふぅっと大きく息を吐き、マーシュは体を椅子の背もたれに預ける。

 フワリと動いた深紅の髪が、額の上で揺れた。


「残念だが、お前には無理だ」

「何故だっ?!」


 マーシュの言葉に、男は弾かれたように顔を上げた。


「考えてもみろ。現世に戻ったところで、お前の守りたい者と出会える確率がどれほどのものだと思う?」

「僕は絶対に守ってみせる!」

「【絶対】など、それこそ【絶対】に無い」


 男の必死の訴えを鼻で笑い、マーシュは続ける。


「そんなことも分からぬ、愚かなお前では無いだろう?」


 マーシュを正面から見据えたままの男の瞳に、小さな揺らぎが生まれていた。

 その揺らぎを見つめている内に、マーシュはふと、父親の言葉を思い出す。


(その手が、あるか)


「もし」


 男の瞳の中の揺らぎに、マーシュは問いかける。


「もし私が、お前の代わりにその者を守る、と約束したならば。お前の心残りは解消するだろうか?」

「えっ?」


 男の瞳の中の揺らぎが、徐々に大きくなり始める。


「無論、私は冥界の者。生者の理に手出しはできぬ。だが、この冥界へとやってきた魂であれば、守り通すことは約束できるぞ」

「それでは、意味が」

「無い、と?本当に、そうであろうか」


 椅子から立ち上がり、マーシュは漆黒のマントを翻して男の元へと歩み寄る。


「生ある人間は、多かれ少なかれ罪を犯す。それは、お前が大事に思っている者も同じだ。お前のように罪の無い者の方が極めて稀なのだよ。罪を犯した人間は、その罪を認め受け入れ、償わなければいけない。これが所謂、地獄行きだ。そして、果たすべき業を果たせていない者はまた、現世へと送り返される。これが、現世戻り。罪も犯さず、業も果たし終えたお前が行くべきは、天国だ。それでもお前が強く望むのであれば、現世に送り返すことは可能だが、現世に戻ったところでお前は、戻った理由すら思い出すことはできないだろう。故に、大事な人を守る事など、不可能。だが、私が現世へと赴き、お前が守りたいと願う者の魂を、無用な罪を重ねる事のないように見守った後にこの冥界へと導き、私の保護下に置くとしたら?それでも、意味が無いと言い切れるかな?」


 マーシュの言葉に、男は暫くの間じっと虚空を見つめて考え込んでいたが。


「本当に、守ってくれるんだね?」


 そう呟くと、真っ直ぐな目をマーシュへと向ける。


「ああ。約束しよう」

「分かった」


 男が、ホッとしたように小さく頷く。

 すると。

 先ほどまでマーシュが座っていたデスクの後ろから、眩しいほどの光が溢れ始めた。

 それは、マーシュが初めて見る、天国へと続く扉から放たれている光。


「行こうか」

「うん」


 穏やかな笑みを浮かべ、男は差し出されたマーシュの手を取る。


「僕が守って欲しいのはね」


 歌うように優しく響く声を遮り、マーシュは言った。


「分かっている。妹のエマ、だな」

「うん。なんでもお見通しなんだね。あなたの名前は?」

「・・・・マーシュ、だが?」

「そう」


 耀く扉の前に男が立つと、男を迎え入れるかのように扉が開く。


「じゃあ・・・・頼んだよ、マーシュ」


 フワリとほほ笑み、男は光の中へと歩き出す。

 男の姿が消えると同時に、扉が閉まり、光も消えた。

 後には、いつもと同じ、真っ白な空間が広がるのみ。


(・・・・もはや伝説かと思っていたが・・・・ほんとにここ、天国に繋がってたんだな)


 目の前で起きた事象にしばし感動していたマーシュだったが。


(こうなったら、行くしかねぇな。現世とやらに)


「う~・・・・めんどくせぇ・・・・」


 深紅の髪の中に両手指を突っ込み、グシャグシャと掻き回しながら暫しの間うめき声を上げた後。


「・・・・行くか。どうせなら、早い方がいいだろうからな」


 そう呟くと、ルームαを後にした。



「行ってくるぜ、親父」


 冥界入り口で振り向きざまにそう言うと、マーシュはそのまま、冥界に向かう死人の魂の流れに逆らうようにして現世に向かって歩き出す。

 深紅の髪を黒髪へと変え。

 燃えるような赤い瞳を、闇のような漆黒へと変え。

【真島 裕】という名の、ひとりの人間の姿となって。

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