第6話 報復

 冥界カウンセリングルームα。

 ひじ掛けのついた座り心地の良い椅子に体を預けて目を閉じ、思考に沈んでいるいるカウンセラー・兼・行先判定士のエマを、穏やかな声が引き戻す。


「いらっしゃいました」


 すぐ隣に直立不動の姿勢で控える、執事兼教育係兼恋人マーシュの声に、エマは閉じていた目を開け、姿勢を正した。


 エマの座る真っ黒なデスクと椅子、デスクの手前に引かれた真っ赤なライン以外には何もない、真っ白な部屋。

 左右の壁にはそれぞれ5つずつ、扉が並んでいる。

 部屋の入り口から赤いラインまでの間を、キョロキョロと忙しなく顔を左右に動かしながら、男が歩いてきて赤いラインの前で足を止めた。


「冥界カウンセリングルームαへようこそ」


 数段高い場所から少しばかり見下ろすかたちで男を真っ直ぐに見ながら、エマはお決まりの言葉をいつもの如く感情無く発する。

 マーシュは一瞬、片眉を吊り上げ口を開きかけたものの、すぐに諦めたように口を閉じた。


「ここは、天国か?地獄じゃ無い事は、間違いないな」

「地獄ではない。だが、天国でもない」


 言いながら、エマは男の目をじっと見る。

 そして。


「なるほど」


 小さく呟いた。


 事前にインプットした情報によると、男は腹に子を宿した妻を事故で失っていた。

 生者の世界でのルールを無視した結果起きた事故ではあったが、故意による殺生ではない。

 妻も、宿していた子も、既に現世戻りへの準備に入っている。直にまた、現世へと生まれ変わるだろう。

 だが男は、結果的に子もろとも妻の命を奪った相手を許すことができず、その命を奪わんと、相手を庇おうとした他の人間をも巻き添えにして、自ら命を絶った。

 男には、己の行為に対する罪悪の念が一切感じられない。

 ただ、自らの復讐を果たした達成感のみで満たされているようだった。

 故に、冥界入り口で告げられた地獄行きの振り分けを頑として受け入れず、この冥界カウンセリングルームαへと送られてきている。


 紅をつけずとも十分赤い唇を開き、エマは男に問うた。


「満足か?」

「なにが?」

「己の為した行為のことだ」

「嫁さんと子供をひき殺したヤツを殺したことか?ああ、そりゃ、満足に決まってる。俺は、嫁さんと子供の復讐を果たしたんだからな!」

「ふむ」


 口元に手を当て、エマは視線を落とす。


 元人間として、男の言葉は、男の想いは、エマには痛い程によく分かる。

 生者の世界でのルール【飲酒運転禁止】。

 それを破り、判断能力が著しく欠けた泥酔状態で自動車の運転を続けた若者に、この男の妻やもうじき生まれるはずだった子は、命を奪われたのだ。

 だがそれでも。

 生者の命を故意に奪うことは、許されることではない。

 それに。

 因果応報。

 現世に生まれた人間はすべからく、前世の業を背負っている。

 男が前世で犯した罪が、そのまま現世に跳ね返ってきている。

 ただ、それだけのこと。


 口元から手を離すと、エマは再び男を見て、言った。


「お前は、【報復】を受ける覚悟をもっていたのであろうな?」

「は?報復?なんで俺が?」

「相手の命を奪ったであろう?」

「それはアイツが俺の嫁さんと子供を」

「庇おうとした親の命も、奪ったな?」

「俺の復讐を邪魔するからだっ!それに、あんなガキの親なら同罪だろ!」

「ふむ」


 男の中には、未だ罪悪の念は欠片も無い。


「あんた、『ハムラビ法典』て、知らないのか?」

「知っておるが?」

「だったら分かるだろ?『目には目を、歯には歯を』ってヤツだよ。俺はただそれを実行しただけさ」


 得意げに語る男に、マーシュが冷たい目を向けた。

 その冷たさの理由ならば、エマにも良く分かる。

 小さく息を吐くと、エマは男に告げた。


「わたしは復讐を否定するつもりはない」

「おっ、分かってるねぇ?じゃあ」

「お前が受けた痛みと全く同じか、それ以下の痛みを相手に与えるのであれば、な」

「・・・・えっ?」

「だがお前は、お前が受けた以上の痛みを相手に与えた。無関係な人間まで巻き込んで。『ハムラビ法典』は、単に復讐を許可した法典などではないぞ。無用な争いを防ぐため、己が受けた被害を超える復讐を否とした法典だ」


 驚いた様に目を見開く男の中に、小さな揺らぎが生まれる。

 その揺らぎに向かって、エマは言葉を続けた。


「お前が命を奪った者にも、その者を大事に思う人間がいる。その者達が全てお前のように報復に出たとしたら、どうなるのだろうな?お前の親兄弟、友人知人の命も危ういのではないか?お前が行った行為は、そういう行為なのだ」

「・・・・それはっ・・・・でもっ」

「詳細を伝える事は叶わぬが、現世の行いは全て、因果応報。お前自身の前世での行いが、お前の妻と子の命を奪うこととなった一因となっているやもしれぬ」

「まさか、そんな」

「今生での行いが、来世での生に影響を与えぬと良いが」


 生じた心の揺らぎに飲み込まれたように、男が力なくその場に膝を付く。


「エマ、そろそろ判定を」

「分かっている」


 マーシュに答えながらも、エマの心は揺れていた。

 どうしても、人間としての感情が、正しい判定の邪魔をしてしまう。

 暫くのあいだ目を閉じ、口元に手を当てて迷っていたエマは、たまらずに目を開くと、すぐ隣のマーシュに声をかけた。


「マーシュ・・・・」

「自分を、信じて」


 マーシュは小さく響く声で、微笑みながらそう言うのみ。


 再度目を閉じ、口元に手を当てながら、エマは思考を研ぎ澄まし、己の中の声に耳を傾ける。


 男の妻と子は、男がこのような凶行に及ぶ事など、望んではいなかっただろう。

 男も、ただ己の欲の為に命を奪った訳ではない。

 だが、故意に命を奪ったことは、揺るぐことの無い事実。

 そして今。

 男はようやく自分が犯した事の重大さに気づき、罪と向き合い始めている。

 ならば、判定は-。



 口元から手を離し、目を開けてまっすぐに男を見ると、エマは静かに判定を告げた。


「D-2だ」

「かしこまりました」


 エマの言葉に小さく頷くと、マーシュはエマの左手側、男から見ると右手側にあるDの扉を開く。


「それは・・・・地獄か?」

「ああ、そうだ」

「だろうな」


 ははは、と乾いた笑い声を上げ、男がゆっくりと立ち上がる。


「馬鹿なことしちまったな、俺。嫁さんと子供に笑われちまうな、これじゃ」


 そんなことは無いと。

 エマは男に声を掛けてやりたかった。

 だが、ここ冥界カウンセリングルームでは一切の嘘が吐けないのだ。

 ただ1人、マーシュを除いては。


 男の腕を取り、Dの扉へと誘いながらマーシュが男へ掛けた言葉に、エマは大きく目を見開く。


「次出会った時に笑われないくらい、しっかり罪と向き合えばいい。何度でもやり直せる。それが人間の強み、だろう?」

「・・・・ああ」


 小さく頷くと、男はそのままDの扉の中へと消えた。




「もっと甘い判定をするかと思っていたよ」

「なぜだ?」


 束の間の休息にと紅茶を注ぎながら、マーシュはエマに笑いかける。


「エマは優しすぎる所があるからね」

「そうだろうか」


 湯気とともに香り立つ紅茶に目を細めながら、エマは不思議そうにマーシュを見た。


「わたしは、優しくなどないぞ?」

「エマが優しくないって言うなら、俺は冷徹ってことになるけど」

「かもしれないな」

「ひどっ!エマ、俺のことそんな風に思ってたのかっ?!」

「いや、そこまでは」

「・・・・そこまでは、って・・・・」


 ガックリと肩を落とすマーシュに小さく吹き出し、ティーカップに口をつけ紅茶を一口飲むと、エマは言った。


「マーシュが入れてくれる紅茶は、優しい香りがする」

「えっ?」

「冷徹な者に、このような紅茶は入れられないと思うが」

「・・・・エマ?」

「あの男に掛けた言葉。わたしには掛けられなかった言葉だ」


 澄ました顔で紅茶を飲んでいるエマだが、その頬はうっすらと朱に染まっている。


「あれ?もしかして、俺に惚れ直してくれた?」

「なっ・・・・」

「嬉しいな~、もっと俺に惚れてくれてもいいんだよ?」

「何をバカな・・・・仕事に戻るっ!」


 飲み干したティーカップをソーサーに戻すと、サラはマーシュから顔を背けるようにして、次にやって来る魂の情報を頭にインプットし始めた。


「なんだろうねぇ?ツンデレとか言うのか?こういうの。ツンが異様に多すぎる気もするけど・・・・それがまた、可愛かったりして」


 少しの間デレた顔でエマを見つめていたマーシュだが、スッと頬を引き締めると、小さな声で呟く。


「『復讐を否定するつもりはない』、か。それはつまり、キミも・・・・」


 マーシュの視線の先にいるエマには、届かないほどの小さな声。

 軽く頭を振ると、マーシュもやって来る魂を迎える準備に取り掛かった。

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