第5話 夢か現か~エマの過去Ⅰ~
「エマ、行くよ」
「うん」
優しいく響く穏やかな声に素直に頷くと、エマは声の主の元へと駆け寄る。
声の主は、エマの双子の兄、テラ。
エマとテラは、事業を営む水島家の長男と長女として、何不自由の無い暮らしを送っていた。
「自信は、ある?」
「うん、まあ。テラは?」
「どうだろう・・・・エマには負ける、かな」
二卵性双生児ではあるものの、テラとエマはよく似た顔つきをしていた。
烏の濡羽色と表される黒髪は、ふたりともに同じ。
ただ、その長さが異なるのみ。
ただ、瞳の色は同じながら、エマが吊り目なのに対して、テラはどちらかというとタレ目。
ふたりともに整った顔つきながら、エマが若干キツそうな印象を与えるのに対して、テラは穏やかな印象を与える。
印象が、性格に影響を及ぼしているのか。
性格が、印象に影響を及ぼしているのか。
テラが社交的で明るい性格なのに対して、エマは内向的で引っ込み思案。
テラが積極的でアウトドアな嗜好であるのに対して、エマは能動的でインドアな嗜好。
性格は両極端だった。
それでも、ふたりの仲の良さは、近所でも評判になるほど。
テラは事あるごとに、エマに言っていた。
「僕たちは同じ日に生まれた双子なんだ。だから、僕たちはふたりでひとつ。何があっても、エマは僕が守るからね」
と。
「ドキドキするね」
「うん」
通りの角を曲がれば、合格発表者の受験番号の一覧が張り出されている大学は、すぐそこ。
だが。
「エマっ!」
強い力に抱きすくめられ、エマはその場から動くことができなかった。
やがて、力の抜けたテラの体が、エマの体づたいにゆっくりとずり落ち、地の上に横たわる。
視界の開けた目の前には、強張った顔の女が、血の滴る刃物を両手に持ったまま、呆然とした顔で立っていたが、エマと目が合うなり、刃物を投げ捨ててその場から走り出す。
「テラ・・・・テラっ?!」
横たわるテラの体の周りには、赤黒い血の染みが徐々に大きく広がってゆく。
「嘘・・・・テラ、起きて、テラっ!」
やがて、周りを取り巻き始めた野次馬たち向こう、遠くからサイレンの音が近づいてきた。
「さぁ、エマに最後のご挨拶を」
棺に入れられ、美しい死化粧を施されたその顔は、どうみても眠っているようにしか見えない。
「綺麗よね、本当に。顔を傷つけられなかったのは、せめてもの救いかしら・・・・この子も年頃の女の子だもの」
母親は寂しそうな微笑を浮かべて、棺の中に眠る我が子の頬をそっと愛おしそうに撫でる。
腰まであった長い髪をバッサリと切り落としたエマは、そんな母親の側に寄り添うようにして跪き、棺の中に眠るテラの姿を見つめると、誰にも聴こえないくらいの小さな声で呟いた。
「ごめんね、テラ」
テラを失った母親は、テラだけでなく正気も失ってしまったらしい。
父親が何度説明しても、亡くなったのはエマ、生きているのはテラだと言い張った。
そして、突然ハサミ取り出し
「テラっ!あなたは一体なにをしているのっ!髪をこんなに伸ばすなんて!」
そう言って、ばさりとエマの髪を切り落としたのだ。
テラを刺し殺した女はまだ捕まってはいないが、テラに交際を断られた女ではないか、とのこと。
警察から見せられた女の写真は、エマが見た女と同一人物のように見えた。
きっと、エマをテラの彼女と勘違いし、エマを殺そうとしたのだろう。
一瞬早く気付いたテラが、とっさに身を挺してエマを庇ったのだ。
『何があっても、エマは僕が守るからね』
脳裏に響くテラの優しい声が、エマの心を締め付ける。
テラは、自分の身代わりとなって死んだ。
ならば自分は。
テラの代わりにテラとして生きよう。
テラが骨となって自宅に戻ってきた夜。
エマはそう、心に決めた。
***************
何度も繰り返し見る夢。
懐かしい兄と会える、そして別れる、悲しい夢。
頬にひんやりとした冷たさを感じ、エマは自分が泣いていた事を知る。
パジャマ代わりの淡いピンク色のゆるTシャツの袖口で涙を拭き、ふと隣を見たエマは、驚きで目を丸くしながら声を上げた。
「なっ?!なにをしているっ?!」
エマの隣で、片肘を立てて添い寝をしていたのは、執事兼教育係兼恋人のマーシュ。
濃紫のネクタイの首元を緩めたスーツ姿。
洗いざらしで整えていない短髪の黒髪が、サラサラと横に流れて奥二重の涼し気な切れ長の目元に淡い影を作り出している。
「なに、って・・・・」
穏やかな微笑みを浮かべて、マーシュは言った。
「早く目が覚めたから、エマの寝顔見てた」
「はぁっ?!」
「別にいいだろ?恋人の寝顔見る権利くらい、俺にだってあるはずじゃないか?」
「そっ・・・・それはっ・・・・だがっ」
実のところ、エマはまだ自分がマーシュの恋人であるという実感がほとんど無い。
それというのも、エマが冥界に辿り着いてすぐの頃、まだ右も左も分からないという訳が分からない状態の
とは言え、一度決定した条件はそう簡単に覆す事はできないらしく、結果、エマはマーシュの『恋人』という立場になってしまっている。
「なっ・・・・なにも、してないだろうなっ?!」
「あれ~?もしかして、した方が良かったか?」
「マーシュっ!」
「ウソウソ。何もしてないから、安心しろって」
上掛けをしっかりと胸に抱きしめ、警戒心を露わにするエマに、マーシュは体を起こすと両手を挙げて降参の意を示す。
「俺は、エマが嫌がるような事は、絶対にしない。そう言ったろ?」
「・・・・ああ」
「おっ、もう時間か。では、紅茶を入れて参ります。早めにお支度を」
言いながらネクタイを締め直し、キリリとした表情を作ると、マーシュは部屋の奥へと姿を消した。
「・・・・心臓に悪い。まぁ、もう死んでいるから関係ないが」
小さく呟きながらベッドから降りると、エマは生きた人間の頃からの習慣通りに顔を洗って髪を梳かし、いつもの仕事着へと着替えを始める。
ここは、冥界に来てからエマに与えられた住居。
エマとしては困ったことに、執事兼教育係兼恋人のマーシュも、出入り自由となっている。
マーシュの肩書上、致し方無いことではあるのだが。
ここ冥界でも現世同様に執務の時間が決まっており、それ以外の時間は冥界から出られない事を除いてはほぼ自由な行動が許されている。
そして、7日のうち1日は、執務自体が免除。いわば、週休1日の状況。
エマと違って生者の住まう現世へ自由に行き来ができるマーシュは、
『たまには、冥界デートもしたいんだけどな』
などと言いつつも、ことあるごとにエマのために本や映画を手に入れてきてくれるため、エマが執務以外の時間を持て余す事は無かった。
マーシュに好意が無い訳ではない。
むしろ、自分の中に生まれている好意に、エマはとまどっていた。
このまま甘えていいものか。
まだ生者として犯した罪も償っていない自分が、このような状況に甘んじていいのかと。
「テラの代わりに生きることすら、出来なかったのに、な」
小さく呟くエマの声をかき消す、マーシュの大声。
「エマ!まだっ?!紅茶冷めちゃうよ!」
「今行く!」
鏡を中の自分の姿に着衣の乱れが無い事を確認すると、エマはマーシュの待つリビングへと向かった。
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