第4話 妹殺し
「ふむ・・・・」
魂の情報を頭にインプットしながら、エマが唸る。
「エマ?どうしたの?」
「やっかいなことだな・・・・」
小さく首を振るエマの側に立ち、マーシュはエマの手元資料を覗き込んだ。
「なぜこのような魂ばかりここに送られてくるのだ?」
恨みがましい目で睨むエマに、マーシュは苦笑を向ける。
「ここにだけ送られている訳ではないと思うけど、ね。最近は増えてきているようだから、この手の魂が」
「・・・・嘆かわしい」
「そうだね」
同意の言葉を述べながらも、表情を曇らせるエマを、マーシュは冷めた瞳で見つめていた。
罪を犯した人間に対する温かな同情の念は、元人間のエマだからこその、感情なのだろうか。
マーシュには、エマが胸に抱える感情を、理解することができずにいた。
「いらっしゃいました」
すぐ隣に直立不動の姿勢で控えるマーシュの言葉に、座り心地のよい椅子に体を預けていたエマは、身を乗り出して顔を上げた。
拍子に、肩口からサラリと黒髪が零れ落ち、首元のボウタイがフワリと揺れる。
入り口には、不安げな表情を浮かべた幼い女児が所在無さげに立っていた。
「冥界カウンセリングルームαへようこそ」
心なしか、エマの言葉に優しい響きが含まれているように聞こえ、マーシュは驚いてエマを見た。
エマがこのカウンセリングルームαの担当になってからもうだいぶ経つが、お決まりのこの言葉に若干でも感情が込められたのを、マーシュは初めて耳にした気がした。
「こちらへ」
普段よりも幾分柔らかく響くエマの誘いの言葉に、女児はおどおどとした表情を浮かべながらも、少しずつエマの元へと歩を進めると、やがて赤いラインの手前で足を止めた。
「ママは?」
数段低い場所に立つ女児の姿は、エマの座る場所からデスク越しにギリギリで見えるほどの小ささ。
か細く小さな声で、女児はエマに尋ねた。
「ママはどこ?」
「お前の母親はここにはいない」
「ママにあいたい、ママのところにいきたい!」
「残念ながらそれは無理だ」
「なんでっ、なんでっ!」
涙を流し地団駄を踏む女児に、エマは小さな溜息を漏らす。
助けを求めてそっと横に控えるマーシュを見ると、驚くことにマーシュの涼し気な目元には何の表情も浮かんではいなかった。
私の教育係も務めているのでは無かったか?
マーシュの助けが得られそうも無い事を悟ったエマは、もう一度小さな溜息をもらすと、じっと女児を見つめて告げた。
「お前は死んだ。だが、お前の命を奪ったお前の母親はまだ生きている。ゆえに、会う事は叶わぬし、母親の元へ行くことも叶わぬ」
「・・・・ママ・・・・」
目の前で項垂れる女児がどれほどエマの言葉を理解できたのかは分からなかったが、母親と会えない事だけは理解しただろう。
そう判断したエマは、女児の魂の行先を判定を下すべく、女児に問うた。
「なぜ赤子の命を奪った?」
「え?」
エマの問いに女児は顔を上向け、涙で濡れた純粋無垢な瞳をエマへと向ける。
「お前は妹の命を奪ったな?」
「ちーちゃんの?」
「なぜだ?」
「だって」
そう言うと女児は、はにかんだ笑顔をエマへと向けた。
「ママがいつも『うるさい』って、いってたから」
「なるほど」
答える女児の瞳は、どこまでもまっすぐに澄んでいる。
そこに、罪悪の念など、欠片も見当たらない。
「お前の母親は、他になんと言っていた?」
「えーと、ね。『なきやめ』って。だからね、ちーちゃんがないたとき、おくちふさいであげたの」
「ふむ」
「そしたらママ、喜んでくれたのに」
言いながら、女児は悲しそうに顔を曇らせる。
「すぐにこわいかおして、ゴチンしたの。あーちゃん、わるいコだから、ゴチンしたの。だから、ごめんなさいしたい。だから、ママにあいたい」
再び涙を流し始める女児の体には、ところどころに変色が見られる。
事前にインプットした情報によると、この女児は生前、母親から日常的に酷い虐待を受けていたとのこと。
エマは口元に手を当てて目を閉じた。
この魂は、どこに送るべきか。
命を奪うという事の重大ささえ理解していない、この幼い魂を。
自分を保護するべき母親から暴力を振るわれ続けてなお、ひたすらに母親を求め、母親のために罪を犯してしまった、この哀しい魂を。
「エマ、そろそろ判定を」
「・・・・」
「エマ?」
「分かっている」
先ほど見た、感情の無いマーシュの冷めた目が頭に浮かび、エマはつい、無意識のうちに突き放すような言葉をマーシュへとぶつける。
一瞬驚いたように目を見開いたものの、マーシュはその後、静かにエマの判定を待った。
真っ白なルームαに流れる、沈黙の時間。
暫くの後。
口元から手を離し、エマは目を開いて女児を見つめ、告げた。
「リハビリだ」
「かしこまりました」
珍しく、特に不満の表情を見せる事も無く、マーシュが粛々とエマの右手側、女児から見ると左手側にあるリハビリテーションルームへの扉を開く。
「ママに、あえるの?」
不安そうにエマを見る女児に、エマは言った。
「会う必要は、ない」
「なんで?」
女児の問いに、エマは言葉を詰まらせた。
お前の母親はもう怒っていない。だから謝る必要も無い。
きっと、お前が幸せになることを願っているはずだ。
だから、リハビリテーションルームで然るべき治療を受けた後、再び現世に生まれ変わるがいい。
本当はそう、伝えたかった。
だが、このカウンセリングルームでは、一切の嘘が吐けないのだ。
ただ1人、マーシュを除いては。
最後の望みを掛けて、エマはマーシュを見た。
その視線を受けて、マーシュが女児へと歩み寄り、側に跪いてその小さな手を取る。
「なぜ、母親に会う必要が無いか。それはね」
優し気な微笑みを浮かべ、マーシュは女児に告げた。
「キミの母親はキミの事など何とも思っていないからだよ」
「マーシュっ!」
思わずその場で立ち上がり、叫ぶような声を上げるエマを片手で制し、マーシュは続ける。
「怒ってもいないから謝る必要もないし。愛してもいないから、会いに行ったって迷惑なだけだ」
「やめろっ!」
「さぁ、行こうか」
立ち上がると、マーシュは女児の手を引き、リハビリテーションルームへと誘う。
「次はちゃんと、キミらしく生きられる場所で生きるんだよ」
マーシュの言葉がどれほど理解できたのか。
女児はコクリと頷くと、小さな手をマーシュに向かって振りながら、リハビリテーションルームの中へと姿を消した。
「エマ」
「触るなっ!」
閉じたリハビリテーションルームへの扉を睨むように見つめていたエマが、肩に触れられたマーシュの手を思い切り振り払い、漆黒の瞳に怒りを宿してマーシュを睨みつける。
「なぜあんなことをっ!」
「なぜって?」
「あんなに幼い子供に・・・・」
怒りに染まるエマの顔を、マーシュはじっと見つめて言った。
「どんなに幼くても、1人の人間だ。罪によって対応を変えるのは分かるけど、生きた長さで変えるのは、違うと思う」
「だがっ!」
マーシュの言葉を、エマは理解していない訳ではなかった。
それでも、どうしても『人』としての感情が邪魔をしてしまう。
苦悩に歪むエマの顔を覆うように、マーシュはそっとエマを抱きしめた。
「離せっ!」
「いやだ」
「マーシュっ!」
「泣くんだろ?」
「・・・・っ」
「1人で泣くんだろ?どうせ」
マーシュの腕の中で、エマが大人しく黙る。
「誰にも見られたくないなら、ここで泣けばいい。俺が隠してやるから。こうしていれば、俺にも見えない。そうだろう?」
やがて、静かなすすり泣きの声が、マーシュの腕の中から漏れ出した。
「正直、俺には分からないんだ」
「なにが?」
マーシュの入れた紅茶を口に運びながら、エマが問う。
思い切り泣いてすっきりしたのか、エマの表情はいつも通りだ。
「子供なんて、もう長い事接してないから」
「ふむ」
「俺もエマの気持ちが分かるようになるのかな」
「ん?」
「エマと俺の間に子供ができたら」
「ぐっ・・・・ごほっ・・・・」
「可愛いだろうなぁ、俺達の子供」
「突然おかしなことを言うなっ!」
咽た苦しさの為かそれとも別の理由か。
エマは顔を真っ赤にしてマーシュを睨みつける。
「別におかしなことなんて・・・・」
「仕事に戻る」
赤い顔のまま、エマはマーシュに背を向ける様にして、次にやって来る魂の情報を頭にインプットし始める。
「ほんと、可愛い」
小さく呟くと、マーシュもカラになったティーカップを片付け、次の魂を迎える準備を始めた。
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