第3話 快楽殺人

「これは・・・・」


次にやってくる魂の情報に触れたエマは、顔を顰めて固く目を閉じた。

それは、エマが苦手としている案件が絡んだ魂。


「マーシュ、この魂は送り先を間違われていないか?本当にこのルームαで合っているのか?」

「もちろん」

「・・・・どうだか」


涼しい顔をしているマーシュを横目でひと睨みすると、エマは再び魂の情報を頭にインプットし始めた。



「いらっしゃいました」


いつものごとく、すぐ隣に直立不動の姿勢で控えるマーシュの言葉にも顔を上げる事無く、エマは視線を落として座り心地の良い椅子に体を預けたまま、ボソリと呟く。


「冥界カウンセリングルームαへようこそ」


隣から小さな咳払いが聞こえたが、敢えて無視。

真っ白な部屋の中、赤いラインの手前で止まった足を確認すると、ようやくエマは顔を上げ、そこに立つ男の姿に目を向けた。


「ラッキーだな。こんなところでこんな可愛いコに会えるなんて」


数段低い場所から男はそう言うと、少しばかりエマを見上げてニコリと笑いかけてくる。

エマは心底ゾッとした。

隣ではマーシュが、苦虫を噛み潰したような顔をして男を睨んでいる。


「エマ、冷静に」


どの口が言っているのだと呆れながらも、エマはマーシュの言葉を聞き入れてひとつ大きな深呼吸をし、男の目をじっと見る。


「・・・・なるほど」


半ば呆れながら、エマが呟く。

男の中に罪悪という念は皆無だった。


「ねぇ、キミもオレと気持ちいいコトしない?」

「お前の言う【気持ちいいコト】とはなんだ?」

「やだなぁ、セックスに決まっているじゃないか」


男の言葉に、マーシュが気色ばむ。

先ほどのお返しとばかりに、コホン、と咳ばらいをひとつ。

マーシュを制すると、エマは男に問うた。


「ふむ。お前とのセックスは、それほどに気持ちのいいものなのか?」

「ああ。最高の気持ちよさを味合わせてあげられるよ。オレならね」

「その【最高の気持ちよさ】の先にあるのが、【死】であるということか?」

「結果的には、そうなるのかな。でも、殺すつもりなんて無かったんだよ。あまりに気持ちよかったから、つい」


これまでの行為でも思い返しているのか、うっとりとした表情を浮かべた男の顔は、うっすらと上気しているように見える。


「恍惚と苦悶が入り混じったあの顔・・・・ああ、想像するだけでオレ・・・・」

「残念だったな。わたしは既に死んでいる。わたしだけではなく、お前もな。ゆえに、【最高の気持ちよさ】はもう、味わえないということだ」

「あ、そっか。それは残念」


軽い口調でそう言うと、男はさらに先を続ける。


「でも、死ななくたって、首を絞めれば苦しくはなるだろ?どんなに苦しくても、もう死ぬことが無いなんて、最高じゃないか!永遠にあの、最高の快楽と苦しみというスパイスを味わい続ける事ができるんだから」

「ふむ」


男の言葉にうなずくエマを、マーシュは目を剥いて睨みつける。

そんなマーシュを敢えて無視すると、エマは口元に手を当てて目を閉じた。


この男が今まで快楽の果てに命を奪ってきた女の数は、ゆうに10人を超えている。

そのどれも、幸か不幸か、男は現世では罪から逃れてきてしまった。

だが、男が罪悪の念を全く感じていないのは、罪を逃れてきてしまったから、だけだろうか。

この男は心の底から、自分は女達に快楽を与えてやった、感謝されるべき人間だと思っている。


口元から手を離し、エマは男に再び問う。


「お前とのセックスの際に見せる女の【恍惚と苦悶が入り混じった顔】こそが、お前自身にとっての最高の快楽、ということなのだな」

「そのとおりだよ、可愛コちゃん」

「ふむ。では聞くが、お前の相手をしていた女にとって、お前との行為はどうだったのだろうか?」


エマの問いに、男はニヤリと笑って言った。


「メチャクチャ感じてたよ、みんな。イイ顔してた。こんなに気持ちイイのは初めてだって。今まで一度も気持ちのいいセックスをしたことが無いコ達ばかりだったからね。結果的に一期一会になってしまったけど、生きている内に最高の快楽を味わえたんだから、みんな幸せだったよ。絶対に、ね」


未だ、男の中に罪悪の念は皆無だ。

このままでは、どこに送ったところでこの魂のためになることはなにひとつ無いだろう。


「助けて、と」

「え?」

「助けを乞うた女は、1人も居なかったのか?」


男の目の中に、小さな揺らぎが生まれた。

エマはその揺らぎに向かって言葉を掛ける。


「お前は先ほど【あまりに気持ちよかったから、つい】と言った。それは、お前自身の快楽を優先し、相手の制止を聞かなかった、つまり、相手の命さえ快楽の道具として使い捨てた、ということではないのか?」

「え・・・・いや、そんなことは・・・・ぐっ」

「そんなことは無いと、本当に言い切れるのか?まだ生きていたいと願い、助けを乞うた女たちの命を、お前は自身の快楽のためだけに、奪い続けていたのではないのか?」

「ちがっ・・・・あぁっ、声がっ」

「お前は容易く丸め込めそうな女を見繕い、ただお前が快楽を得るためだけの道具として使い捨てた。違うか?」

「オレがっ?!そんな、ことある訳なっ・・・・ぐっ、喉が・・・・・ある訳っ・・・・くそっ、なんでだっ?!」


喉元を押さえ、苦し気な表情を浮かべる男を冷めた目で見ながら、エマは冷淡な口調で告げる。


「ここでは嘘はつけぬ」

「なん、だとっ?嘘なんてっ・・・・くっ・・・・」

「言えぬのが何よりの証拠だ」


男の中に生まれた小さな揺らぎは、次第にその大きさを増していき、やがて男はその場に膝をついて叫んだ。


「道具にして何が悪いっ!良く知りもしない男にホイホイついてくる尻軽女たちだぞっ!あいつらにだって責任はあるだろうっ!それに、それなりの見返りをオレはあいつらにくれてやったんだっ!あいつら自身が望んだ、【最高の快楽】という見返りをなっ!」

「ふっ・・・・」


男の言葉を、エマは鼻で笑った。

実際、エマには目の前の男が滑稽でならなかった。

【最高】という曖昧なものなど、測る物差しによっていかようにも変わるというのに。


「何がおかしいっ?!」


激高する男に、エマは冷笑を向ける。

肩口からはらりと零れ落ちた黒髪をうるさそうに払いのけると、エマは言った。


「なに、お前の与える【最高の快楽】とやらを、わたしも一度味わってみたかったものだ、と思ってな。それはさぞかし【最低の快楽】だろうがな」

「なんだとっ?!」

「相手への気遣いの欠片もない独りよがりのセックスで、【最高の快楽】を与えるなどとは片腹痛い。マーシュ、判定を下すぞ」

「はい」

「F-8だ」

「かしこまりました」


うっすらと口元に笑みを浮かべながらマーシュは、エマの右手側、男から見ると左手側にあるFの扉を開く。


「なんだっ、F-8ってっ?!」

「レベルF、期間8の地獄だ」

「なんだとっ?!」

「ああ、説明が足りなかったようだな」


口の端だけを吊り上げて笑い、エマは男へ告げた。


「地獄とはな、生者の世界で言い伝えられているような場所ではないぞ。己の行いがそのまま己に返って来る場所でもあるそうだ。お前の場合は、そうだな・・・・さしずめ、お前が女達に与えてやったという【最高の快楽】とやらを、その身に受け続ける事になるだろう」

「えっ・・・・」


エマの言葉をようやく理解したのだろう。

徐々に、男が顔の色を失くしていく。

真っ白な部屋の色も相まってか、男の顔色はもはや蒼白に近い。

その姿に、エマはさらに笑みを深めて、男へこう告げた。


「どうだ?お前にとってはすばらしい世界ではないか?サービスとして、期間は長くしておいてやった。存分に楽しむがいい」

「いや・・・・いやだ・・・・いやだーっ!」

「さぁ、こちらへ」


暴れる男の腕をガッチリと捕まえると、マーシュは男を引きずるようにFの扉の前へと連れて行き、そのまま扉の向こうと押し込む。

その姿を見届けた後、エマはグッタリとデスクの上に突っ伏した。



「お疲れさま」

「ああ・・・・疲れた」


デスクの上に突っ伏したままのエマの頭を、マーシュは優しく撫でながら、入れたての紅茶をデスクに乗せる。


「温かいうちに飲んで」

「・・・・ああ」


マーシュの入れる紅茶は、ほんのひと時の安らぎをエマに与えてくれる。

その安らぎの中、エマは口元に手を当て、先ほどの男を思った。


判定は、正しかったのか。

あの男は、これからその身に受けるであろう自らの犯した罪に、耐えきれるだろうか。


「エマ」

「ん?」

「俺、しびれたよ、エマの言葉に」

「なんのことだ?」


キョトンとした目を向けるエマを、マーシュはおかしそうに笑って見る。


「『相手への気遣いの欠片もない独りよがりのセックスで、【最高の快楽】を与えるなどとは片腹痛い』って」

「あぁ・・・・」

「俺とエマならお互いに、【最高の快楽】を与え合うことができると思うんだけど」

「ぐっ・・・・ごほっ・・・・気管に入ったっ・・・・」

「大丈夫っ?!」

「突然おかしな事を言うなっ!」


苦しさのせいか、それとも他の感情のせいか。

耳まで真っ赤に染めて自分を睨むエマを、マーシュはそっと抱きしめる。


「性的案件、よく頑張ったね。偉いよ、エマ。あんなに苦手で避けてたのにね」

「ふんっ」

「苦手なのは、経験が無いからじゃないかな?だったら今後の為にも、是非俺と」

「いい加減離せっ、仕事に戻る!」


マーシュの腕を振り払い、真っ赤な顔のまま、エマは次の魂の情報を頭にインプットし始めている。

その姿を優しく見つめると、マーシュもまた、飲み干されて空になったティーカップを片付け、次の魂を迎える準備を始めた。

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