第8話 ストーカー

 ひじ掛けのついた椅子に体を預けて、エマは目を閉じ、口元に手をあてていた。

 今、冥界カウンセリングルームαにいるのは、エマとマーシュのみ。

 気遣わし気なマーシュの視線を受けていたエマが、ふと目を開け、口元から手を離すと姿勢を正した。


「来たな」


 入り口のドアがゆっくりと開き、初老の男が姿を現す。


「冥界カウンセリングルームαへようこそ」


 いつものごとく、ニコリともせずに棒読みで告げるエマの姿を見ると、マーシュの懸念は杞憂であるように思われる。

 フゥっと息を吐くと、マーシュも雑念を振り払い、姿勢を正した。



「なんだ、ここは」


 左右の壁に並ぶ扉を物珍しそうに眺めながら、男はエマの方へと歩みを進め、デスクの手前に引かれた真っ赤なラインの前で足を止める。


「あの扉の中に、私が進むべき扉がある、ということか」

「ご名答」


 三つ揃えのスーツを着用し、まっすぐに背筋を正してエマを見上げるその男は、口元に穏やかな笑みを浮かべている。


「冥界がこのようなシステムになっていたとは、驚いたものだな」


 小さく頷きながら呟く男の目を、エマは真っ直ぐに見つめた。


「なるほど」


 事前にインプットした情報によると、男は婚姻関係を結んだ女性を亡くした後、この冥界に来るまでの間3人の女性に執拗な付きまとい行為を行い、いずれも死に至らしめたとのこと。

 女性を守ろう動いた者さえも、排除して。

 ただ。

 男の中にあるのは、亡き妻をはじめ、死に至らしめた女性達への恋慕の情のみ。

 罪悪の念は、微塵もない。


「どの扉だ?」


 エマを真っ直ぐに見返しながら、男が問う。


「どの扉へ入れば、愛しい人の元へ行けるのだ?」


 男から目を逸らすことなく、エマは告げた。


「どの扉へ入っても、お前が望む者との再会は叶わぬ」

「何故だ?」

「そこにある扉は、地獄へと繋がる扉と現世へと繋がる扉。そして、地獄または現世へ戻る前のリハビリテーションルームへと繋がる扉のみ。そして、お前の行き先は私がこれから判定する」

「無論、私は現世へ戻るのであろう?」

「いずれは戻る事になるであろうが、今ではない事は確かだ。それに、現世へ戻ったところで、お前の今の記憶は無くなっている。もちろん、相手の記憶もだ。再び生者として出会える確率など、絶望的に低いだろうな」

「・・・・お前も私の邪魔だてをするのか」


 穏やかだった男の表情が一変し、殺気が男を包む。

 マーシュの表情に緊張が走ったが、対照的にエマは穏やかな笑みを浮かべた。


「感情がコントロールできぬほど、想っていたのだな」

「なんだと?」

「それが本来のお前の姿であろう?」


 今、男の中にあるのは、純粋とも言えるほどの憎しみ。

 強すぎる恋慕の情の裏の情、とでも言えるだろうか。


「それほどまでに、先立った妻を欲していたか」


 ギリッと、音が聞こえてきそうなほどに、男は食いしばった歯をむき出しにして、エマを睨みつけている。


「お前に何が分かる」

「何も分からぬ。分かる気も無いが」

「なに?」


 突然、隣から漂い始めた冷たい怒りの感情に、マーシュはハッとしてエマを見た。

 その黒々とした瞳は、静かな怒りを秘めて細められている。


「エマ、落ち着いて」


 そっとエマの肩に手を置いたマーシュの手を、エマはうるさそうに振り払う。


「私は落ち着いている」

「私情を挟んではいけない」

「・・・・私情?」


 瞳の中にのみ怒りを閉じ込めたような、表情の無いエマの顔。

 再度エマの肩に手をかけ、マーシュはゆっくりと諭すように、エマに告げた。


「テラの命を奪ったのは、彼ではない」


 とたん。

 エマの目が大きく見開かれた。

 瞳からは、徐々に怒りの色が薄れ始める。


「いつも通りだ。いいね」

「・・・・わかった」


 大きく深呼吸をひとつ。

 エマは目を閉じ、口元に手を当てた。



 男の中には、確かに亡き妻を恋い慕う純粋な気持ちがあった。

 それは今でも変わらずに。

 悲しいかな、その気持ちが男を執拗なまでの付きまとい行為へと突き動かしてしまった。

 男が命を奪った3人の女性は、どこか男の妻を思わせるような面影があった。

 男の行為はひとえに、妻を失った悲しみからの行為に他ならないだろう。

 そして、一番の不運は、男と亡き妻との結ばれ方にあった。

 当初は拒んでいた妻は、男の熱意にほだされて次第に男に心を許すようになり、やがて結婚へと至ったのだ。

 男が3人の女性たちに執拗な付きまとい行為を行ったのは、この成功体験が大きな要因のひとつとなっていることは間違いない。

 だからと言って、最後まで心を許すことが無かった女性たちの命を奪っていい理由には、成り得ないのだが。


 ふと目を開けると、口元から手を離し、エマは男に問うた。


「お前の妻が他の男からしつこく言い寄られていたとしたら、お前はどうする?」

「何を言うかと思えば・・・・そのようなこと、聞かずとも分かるだろう?私はもちろん、妻を助ける」

「助ける・・・・?お前の妻はただ、純粋な好意を向けられているだけだが?」

「純粋な好意であろうとなかろうと、妻が嫌がっているのであれば、それは迷惑行為以外の何ものでもない」

「・・・・分かっているではないか」


 フッと微笑み、エマはさらに男へと言葉をかける。


「そう。相手が嫌がっていれば、迷惑行為以外の何物でもない。それを、お前は自ら行ったのだよ。お前が命を奪った相手に」

「・・・・なんっ・・・・」

「そして、大切な人を助けようとした者の命をも、お前は奪ったのだ。自分勝手な恋慕の情に突き動かされて、な」


 男が纏っていた殺気が消えた。

 と同時に、男の心に生じたのは、大きな揺らぎ。

 その揺らぎに向かって、エマはさらに言葉を継ぐ。


「今の姿を先立った妻に見せる事が、お前にはできるのか?」


 力なく首を振り、男はその場に両膝を付く。


「ならば己の罪と向き合い、贖罪せよ」


 そう言うと、エマは傍らに立つマーシュを見上げる。

 視線に気づき、小さく頷いたマーシュにホッとした表情を見せると、エマは男に向けて告げた。


「判定を下す。E-4だ」

「かしこまりました」


 エマの言葉に、マーシュはエマの左手側、男から見ると右手側にあるEの扉を開く。


「贖罪が済んだら、また妻に会えるのだろうか」


 力なくそう呟く男の問いへの答えを、エマは持ち合わせていない。

 代わりのように、エマの側を離れ、男の元へと向かうマーシュが口を開いた。


「人間の言葉を借りるのならば、『神のみぞ知る』だ。冥界の者としては、神の存在をどうこう言う事はできないがね」

「・・・・そうか」


 マーシュに腕を引かれて立ち上がると、男はエマへ深々と頭を下げる。


「過ちに気付かせてくれて、ありがとう」


 そして、Eの扉の中へと姿を消した。


「・・・・会えると、いいな」


 男が姿を消したEの扉をじっと見つめ、エマは小さく呟いた。




「いやぁ・・・・余りの冷たさに俺、凍っちゃうかと思ったよ?エマって怒ると怖いんだね。こりゃ気を付けないとな」


 休息の間に紅茶を注ぎながら、どこかおどけた様子でマーシュはそんな事を口にする。

 いつもと変わらぬ様子でマーシュの入れた紅茶に口を付けながら、エマは言った。


「何故テラの事を知っている?」

「ぎくっ」

「茶化すな、マーシュ」

「・・・・まぁ、そうくるよなぁ」


 溜め息を吐き、マーシュは苦笑を浮かべてエマを見た。


「でもごめん。まだ言えない」

「・・・・そうか」

「えっ?」

「どうした?」


 驚くマーシュと、驚くマーシュに首を傾げるエマ。


「いやいや、そんなあっさり引き下がる?!」

「食い下がった方が良かったか?」

「そうじゃないけど」

「いずれは話してくれるのだろう?」

「え?」

「『まだ』と言ったからな」


 淡々とそう返すエマに、マーシュの口元が徐々に綻び・・・・


「わっ!何をするっ!紅茶が零れるっ」

「ごめん、感情がコントロールできなくなった」

「離せっ、マーシュっ!」

「無理無理、エマが可愛すぎるからいけないんだよ?」

「なんっ・・・・?!」


 フワリと優しくマーシュに抱きしめられながら、カップの紅茶を零さないようにと必死で両手で支えるエマの顔は、目元まで朱に染まっている。


「・・・・もう、いいのではないか?そろそろ時間では?」

「はぁ・・・・仕方ない」


 エマを開放したその手で、名残惜しそうにエマの頭を優しく撫でると、マーシュは微笑んで言った。


「ありがとう、エマ」

「なにがだ?」

「・・・・エマパワーをチャージできたから」

「・・・・何をバカな事を」


 カップに残っていた紅茶を飲み干すと、エマはそのまま、次の魂の情報をインプットすべく準備を始める。


「・・・・必ず、話すから」


 小さく呟き、マーシュは手早くカップとソーサーを片付け、次の魂を迎える準備に取り掛かった。

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