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試験の脅威が去って、一安心のこの日。
ディランさんの部隊は、本日、夜間待機の当番だそうです。
なので、夜勤までの時間を、私のために使ってくれていました。
以前に言われていた、お買い物予行練習の始まりです。
隣りを歩く今日のディランさんは、くつろいだ感じの恰好をされていました。
圧も半減です。
そして、今日は学園へ行かない日なので、エレンさんが魔法をかけてはくれませんでした。
つまり、素顔で町を歩かなければなりません。
試練です。
「ステラ。顔を上げてよく見ろ。タリスライトから来た者が大勢いる」
自然と俯いてしまっているところに声をかけられて、顔を上げました。
賑わっている通りを見ると、確かに、褐色の肌の商人が多くいて、中には身なりの良い女性の姿もありました。
旅行者でしょうか。
「胸を張って、顔を上げろ。お前が視線を集めるのは、普通に可愛いからだ」
「へ?」
からかっている様子は無く、真面目な顔で言われて、反応に困りました。
真に受けていいのか、喜べばいいのか、照れればいいのか、そんな事はないと言うべきなのか。
「それで、どこか行ってみたい所はあるか?お嬢様」
「あ、あの、わかりません。町にどんなお店があるのか」
ディランさんは、自分が言った事を特に気にしていなかったのか、すぐに次の話題へと移っていました。
「店で品物には代金を支払わなければならない事は知っているな?勝手に店から持ち出すなよ?犯罪だ」
「それくらいはわかります!バカにし過ぎです!」
失礼なと、非難の目を向けて歩いていると、
『お嬢さん』
通り過ぎたばかりの斜め後方からかけられた言葉は、とても懐かしい響きでした。
振り返ると、タリスライト出身と思われる露店の商人さんが声をかけてくれたようでした。
目尻にシワを寄せて、私の事を見ています。
『お嬢さんはタリスライトからの旅行者かい?それとも移住者かい?』
久しぶりにタリスライトの公用語を聞いて、胸がいっぱいになりました。
そして、まだちゃんと言葉を覚えていた事に泣きたくなりました。
タリスライトの家では、グリースとタリスライト、二つの言葉で話していました。
グリースの言葉を話していたのはお父様。
タリスライトの言葉を話していたのはお母様。
『私はグリース王国に住んでいます。以前はタリスライトに住んでいました。とても懐かしいです』
『こんなに綺麗なお嬢さんをグリース王国に持っていかれてしまうとは、我が国の損失だ』
これはさすがにリップサービスだとわかりましたので、
『ありがとうございます』
ちょっとだけ笑いながら、お礼を伝えました。
『どうだい?タリスライト産の品物を身につけて、身近に感じてみては。故郷を懐かしむってね。彼氏さんに買ってもらいなよ』
『か、彼氏って、違います!この方は彼氏ではありませんので!とっても頼りになる、気遣ってくれる優しい人ではありますが、彼氏とかではありませんので!決して!』
胸の前で、手をブンブンと振りました。
『はははっ。わかった、わかった。すまなかったね』
「なんだ、勧められているのか?悪い品物ではないぞ」
ディランさんが、店先の品物を覗き込んでいます。
商人さんの言葉の意味を知られなくて、訳もわからずに安心していました。
改めて品物に目を移すと、気軽に身につけられそうな装飾品が並べられていました。
「どれがいいんだ?」
当たり前のように尋ねられて、ポカンとディランさんを見上げてしまいます。
買ってやると言われていたからです。
「選べないのなら、俺が選ぶぞ?」
「いえ……あの……私は……」
「試験を頑張ったご褒美だ。これでいいか?」
「あ、はい」
流れるように、ディランさんは支払いを済ませていました。
「お客サン、アリガとう。二人の未来ニ祝福ヲ」
商人さんの言葉を背中に受け、スタスタと歩いていくディランさんの後を追います。
少し離れた所で立ち止まったかと思えば、
「ほら、腕を出せ」
手を差し出されました。
左手を出すと、そこに装着されたのは、銀色の細いブレスレットでした。
薄い紫色の小さな石がたくさん付いています。
キラキラしていました。
それから、石を囲む細工がタリスライト特有のデザインで、子供の頃に憧れていた情緒あふれるもので、ちゃんと懐かしさもあって、
「可愛い……」
「そうか」
「ありがとうございます。大切にします」
嬉しくて、素直にお礼を口にしていました。
「タリスライトの言葉を話している時、生き生きとしていたな」
歩きながら、ディランさんがそれを言いました。
「久しぶりで、懐かしくて、まだちゃんと覚えていたことにも驚いていました」
「子供の頃の思い出を話したいのなら、言っていいんだぞ?」
「話したいことなど、何もありません……」
話してはいけない気がして、聞いて欲しいと思っても、ディランさんにどんな風に話せばいいのかわかりません。
「次の課題だな……」
ディランさんの呟きを聞いていると、文字通りその場の空気を変える、とてもいい香りが漂ってきました。
鼻をクンクンと動かしていると、
「ああ、串焼きの匂いだな。食べるか?」
「串焼き……あ、でも、普通のお嬢様が食べるようなものなのですか?」
「エステルは好きだ」
「それなら、食べたいです」
匂いを辿っていくと、広場の片隅に串焼きの屋台はありました。
具材が刺さった、思ったよりも大きな串を二本買ったディランさんは、それを持って近くのベンチに座りました。
私も隣に座ると、ディランさんが手にした一本を手渡されます。
お肉と野菜が刺さった串焼きは、とても食べ応えがあるものでした。
香ばしい匂い。
お肉を噛むと、柔らかくて、肉汁が溢れて、それがタレと混ざり合って、とにかく、お口の中がとっても幸せな状態になりました。
美味しい。
小腹が空いていたので、尚の事美味しいです。
くくっと、笑い声が聞こえて、隣に座る人を見上げました。
私が三分の一をお腹にいれた間に、ディランさんはもう食べ終えたようです。
「さすがに、ハムスターのように頬を膨らませて、口の周りをタレまみれにする令嬢はいないな」
「ひっ」
私が動くよりも先に、ハンカチで口を拭かれていました。
自分のハンカチは膝の上に敷いています。
「未使用だ。安心しろ」
そこを気にするよりも、違う所でダメージを受けてしまいます。
とてつもないダメージを負っていました。
うつむいて、残りの串焼きを慎重に食べるのは当然の事ではあって、食べ物には罪は無いけど、しばらくこれは食べられそうにありません。
さらに果実水を飲んだりしても、恥の記憶は流されていくわけでもなく、言葉にできないダメージを負ったまま、予行練習はクライマックスを迎えようとしていました。
「じゃあ、次は店で一人で買い物してこい。お前の大好きな店だ。ほら、行ってこい」
とある茶色の建物の前でディランさんに送り出されて、店のドアノブに手をかけました。
ソッと開けると、来客を告げるベルがなり、ちょっとだけ体がビクッとなりましたが、バターと砂糖の香りがして幸せな気持ちになりました。
お店の中に入ると、たくさんの焼き菓子を売っているお店でした。
入り口付近にあるトレーに、トングで欲しい分だけ乗せていくのですね。
確かに、私の大好きなお店です。
焼き菓子が、宝石のように並べられていました。
ディランさんにも、夜勤中の休憩時に食べたりするものを買ってもいいでしょうか。
甘いものは嫌いではないはずです。
今日のお礼に、だから、二人分を買って、それぞれを紙袋に入れてもらいました。
無事に、買い物ができました。
ホッとします。
お店を出ると、ニヤニヤしながら私を見るディランさんがいました。
オロオロしている私の姿を想像していたのでしょうか。
きっとそうなのでしょう……
「これはディランさんにです。今日はありがとうございました。夜勤、頑張ってください。でも、副隊長さんをあまり困らせないでくださいね」
紙袋を渡すと、意外そうな顔をしています。
「なんですか。私だって、たまにはお礼くらいしますよ。ディランさんが、お仕事前のゆっくり過ごせるはずの貴重な時間を割いてくれたのですから。それに、勉強を教えてくれたことも、ありがとうございました」
「ああ。じゃあ、どういたしまして。ありがたく受け取るよ」
ディランさんの顔を、穴が開くほど見上げていました。
また、あの、優しい笑顔を向けてくれていたからです。
「今日は帰るか。また近いうちに、今度は食い物以外の店に行くか?」
「……はい」
ディランさんの少し後ろを歩きながら、自分の頬が熱を帯びている事を感じていました。
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