5
しばらく何もない日が続いていました。
何も無い日といっても私が関わっていないだけで、魔物被害は変わらずあって、ギデオン様も、ディランさん達も対応に忙しくされているようです。
不要な心配かもしれませんが、怪我が無いよう無事を祈るばかりです。
学園生活の方は、あれ以来、ソニアさんからは変な気配は感じられず、このまま様子を見てもいいのかとズルズルと日にちが経過して、一ヶ月が経とうとしたこの日。
お姉様とアリソン様と楽しく過ごせて、本来の役割を忘れかけていた頃。
その時、教室では、愕然としながら先生の話を聞いていました。
試験って何ですか!?
日程や範囲の説明を担任の先生がされていますが、私は絶望感に見舞われていました。
試験には落第点が存在しており、それに満たないと補習を受けなければならないと。
ええっ……聞いていません……
これって、私も適用されるのですか?受けなければならないのですか?
今まで学校に通った事がなかったのに、さらに実年齢よりも上の学年で試験を受けなければならない。
点数が悪いと補習があるとは、それは困りました。
お姉様達のそばにいられないのは本末転倒です。
余程、私が悲痛な面持ちだったのか、
「ステラ、試験は大丈夫そう?」
お昼休みになると、半泣きの私にお姉様が声をかけてくれました。
「エステルさん……無理そうです……」
「わからない所は聞いて。お昼休みも利用しましょう」
「はい……」
食事しながら、お姉様からは試験のポイントを話してもらえました。
アリソン様も、おすすめの参考書を教えてくれました。
これ以上は自分で頑張らなければならないのは仕方がない事なのですが、ディランさんからも少し話を聞いてみたいなと思っていました。
学園の帰りに、制服の上から魔法士団のローブを被って、ふと、そうしなければならないと思い立って、お城の図書館で辞書を借りて、それから向かうつもりでした。
その途中の、お城の端にある回廊での事です。
お姉様の姿が見えて、近くの植え込みの中に飛び込むように隠れました。
どうやら、ディランさんに会いに来ていたようです。
お城の敷地内にあっても、一部の貴族に開放されている図書館なので、ここでお二人は待ち合わせをしていたのかもしれません。
私は、どんなタイミングでここに来てしまったのでしょうか。
人の往来がない回廊。
お二人は何か話していたようで、盗み聞きなどしたくはなかったのに、この場から動けずにいました。
幸い、お二人の声は聞こえませんでしたが、ディランさんの前で、顔を覆って泣くエステルお姉様の姿がありました。
何があったのか、涙を流しているお姉様を見て、胸が締め付けられます。
ディランさんが何かをお姉様に言って、気遣うように肩に手を乗せています。
お姉様に、何か起きたのか、不安です。
結局、ディランさんに話を聞く事などできるわけもなく、二人の姿が見えなくなったところで、魔法士団の営舎へと戻りました。
私の頭の中を、お姉様の悲しげな横顔が占めていました。
ディランさんの姿も。
新たな問題を抱えてしまったかのように足取り重く、最後の頼みの綱とばかりにジェレミー様に相談しに行くと、ニコニコしながら“助っ人を呼ぼう”と仰りました。
やはり試験は免除してもらえないのですね。
途中編入で成績が悪いのなら、尚の事補習を受けさせなさいと学園側から言われたそうです。
勉学に励むようにと仰った、学園長先生の言葉が頭に甦りました。
そして、また翌日。
学園でのお姉様はいつもと変わらないように見えました。
柔らかな笑顔で私に話しかけてこられ、昨日の涙など少しも残っていません。
ディランさんと話して解決したのか、その事には安堵しながら学園から戻ると、陽が暮れるまでの少しの間、植物園で草花のお手入れをしていました。
心落ち着く静かな時間です。
ちょっとの間、いろんな事を忘れていました。
一人を満喫していました。
だから、その人の訪れを誰が予想できるものですか!
バンっと、扉を開けて当たり前のように植物園に入ってきたのは、紙の束とノートを抱えたディランさん。
いつもいつも、勝手に入って来て!
驚く私をよそに、隅に寄せているテーブルセットの所まで行くと、そこに持っていた物を置きました。
最近見つけた、敷き詰められたモザイクタイルが素敵な、お気に入りの円形テーブルにです。
またディランさんが来た時、立たせたままだったり、床に座らせたりするのは悪いかなって思って、用意したものですが、いや、つまり、待っていたわけではなくて……
「勉強するぞ。さっさと、来い」
えっ?と聞き返しそうになりました。
「勉強って、ディランさん、仕事をしてください。騎士の任務はどうしたのですか!暇なのですか!?」
「必要な事は終わらせてきた。緊急時はすぐにわかるようにしている。残りは副隊長に押し付けてきた」
「それって、結局、サボりですよね!?」
副隊長さんが気の毒ですが、私の言葉など無視して、テーブルの上に置いたノートにバンっと手を置きました。
「オーラム団長に頼まれた。頼まれたからには、俺が何とかする」
ディランさんが“助っ人”なのですか?
ジェレミー様に頼まれた事なら、私も素直に従わなければなりません。
作業用の手袋を置いて手を拭くと、テーブルの所まで行きました。
積み上げられたノートや、紙の束を見ます。
紙はそんなに安いものではないのに、学園では当たり前にたくさん使われていて驚いたものです。
「過去に出された試験問題だ。今年の卒業生と今の三年にも確認はとった。俺の時と同じでだいたい使いまわされているから、これを中心に勉強しろ。王都の屋敷に、学生時代の俺の私物が残っていて運が良かったな。無ければ無いで、ヤマを張ってやるけどな」
「これ、ディランさんの答案用紙なのですね」
手に取って見た物は、すごくいい点ばかりで、目を見張った。
ほぼ満点に近い。
一年生からちゃんと通っても、こんなに良い点が取れるとは思えない。
ヤマを張った云々でも取れない。
「脳筋直情型なのに、勉強もできるだなんて、ズルいです!」
「お前は最近、遠慮をどこかに捨て去ったようだな」
滅茶苦茶睨まれました。
「ほら、座れ」
ディランさんの斜め前、直角となる位置に着席すると、それからは、地獄のような時間が過ぎました。
ディランさんの教え方はとてもわかりやすかったのですが、とにかく覚えなければならない事がたくさんで、ガラス天井の向こう側がすっかり暗くなって、テーブルの周りだけが明かりで照らされている頃には、グッタリとしていました。
「糖分……甘いものが欲しいです…………」
このままでは、頭が死にます。
「ほら」
私が呟くと、テーブルの上に綺麗なガラス瓶が置かれました。
中には色とりどりの飴が入っています。
コロンとした丸い形の瓶が、飴色で彩られた光を通してキラキラしています。
ガラス瓶だけでも、見ていて楽しめるものです。
「これはお前にやる」
「可愛い……ありがとうございます……」
それを開けて飴を一つ口に入れると、優しい甘さが口の中に広がって、いつかの事が思い出されました。
「お菓子をあげるからって言われても、知らない奴にはついて行くなよ」
ディランさんも同じ事を思っていたのか、いつか聞いた言葉と、全く同じ事を言いました。
懐かしむように言われたら、子供扱いですかと、怒る気持ちも無くなります。
「今日はここまでだ。また明日も同じ時間に来るからな」
「ありがとうございます……」
ディランさんには感謝ですが、私の頭が破裂寸前です。
「営舎まで送っていくから、早くしろ」
テーブルに突っ伏していると、ディランさんは広げられていたものをまとめて、それらを全て持って出口へと向かいます。
「晩飯に遅れるぞ」
「そうだ!」
パッと立ち上がると、飴の瓶を大切に胸に抱いて後に続きました。
営舎の入り口で、ディランさんからノートや答案用紙を受け取ると、そこでお別れとなります。
暗闇の中で、広い背中を見送りました。
エステルお姉様と何を話したのかなって、そんな事を考える間も無く、怒涛の時間が過ぎていきました。
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